ム q句

March 3032000

 検眼のコの字ロの字や鳥雲に

                           林 朋子

に帰っていく鳥たちは雲に入るように見えることから、春の季語「鳥雲に(入る)」ができた。「鳥帰る」の比喩的な表現。一所懸命に「コの字」や「ロの字」を見つめていた作者が、検眼を終えて窓外の空に目をやると、いましもはるかな雲のなかに鳥たちが入っていく姿が見えた。近距離の検眼表からかなたの鳥たちへと、無理なく視線が移動している。意表をついた発想とも言えるが、視線の動きはあくまでも自然であり、なめらかだ。ここが、句のポイント。次に、検眼記号をカタカナに見立てたところを子供の発想として読むと、句は追想句となる。言外にこめられた子供時代の甘酸っぱい思い出……。私はそのように読んで、これが抒情性を増幅させる肝心なポイントだと思った。余談になるが、私は子供のころに目がよすぎて、検眼の時はかえって恥ずかしかった。2.0あたりはわざと間違えて、常に1.5でとどめることにしていた。そんなふうだったので、戦国時代に生まれていたら、高い木にでものぼって「見張り」が勤まるから楽だったろうなと、暢気なことを考えていたっけ。四十代まで、目の不自由を感じたことはなかった。いまは罰が当たったけど。これでは、目の句は作れない。作者の視力は健常なのか、それとも……。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


May 1552000

 はつなつのコーリン鉛筆折れやすし

                           林 朋子

雑誌広告・1956
雑誌「野球少年」広告・1956年1月号
しや、コーリン鉛筆。子供のころ、私も肥後守(小刀)で削ってよく使った。他の銘柄には「トンボ鉛筆」「三菱鉛筆」「ヨット鉛筆」「地球鉛筆」「アオバ鉛筆」など。あのころの鉛筆は折れやすく、割れやすかった。なかには芯に砂が混ざっているような粗悪品もあり、書くたびにギシギシ変な音がしたりした。コーリン鉛筆も、上等のほうじゃなかったと思う。でも、私は名前の響きが好きで愛用していた。もちろん、「コーリン」の意味などわかってなかった。英語を習うようになってから、「コーリン」は"colleen"とつづり、アイルランド英語で「(美)少女」の意味だと知ったときは嬉しかった。しかし、なぜこんな難しい言葉を銘柄に選んだのだろうか。鉛筆のマークにも女の子の絵などなかった(広告左上を見ると「花王」マークもどき)し、さぞや宣伝しにくかったろうに。よほど言葉の響きに自信があったのか。事実、私は響きに吸い寄せられたクチだけれど……。ところで、句の「はつなつ」は、理屈で考えれば他の季節とも入れ替え可能だ。鉛筆が折れやすいのは、なにも「はつなつ」とは限らない。だが、あの鉛筆の緑色がいちばん似合う季節をよく考えてみると、やはり「はつなつ」をおいて他にはないだろう。鉛筆が折れやすくて哀しかった記憶も、いまでは「はつなつ」に溶け入って甘美ですらある。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


November 09112002

 電気毛布の中の荒野を父さまよふ

                           林 朋子

語は「毛布」で冬。ついでに「蒲団」も冬の季語なり。さて、ひところ「荒野」という言葉が流行したことがある。五木寛之が『青年は荒野をめざす』という本を書き、加藤和彦が五木の詞で曲を作ってヒットし、「テーブルの上の荒野」「書斎の荒野」などとも使われた。いずれも観念性の強い荒野であり、若者が黙々と開拓すべき荒野として位置づけられていた。掲句の荒野もまた観念的ではあるが、克服すべき荒野ではなく、もはや自力ではどうにもならない対象としての荒野である。身体の弱ってきた「父」が、「電気毛布」をセットしてもらって眠っている。元気な身体であれば、普通の毛布ですむところが、「電気」的に温度をコントロールされた環境でしか寝られなくなっている。そんな父の様子を心配する娘には、方一丈ほどの電気毛布の「中」が荒涼たる野のように思われるのだった。夢を見ているとすれば、どんな夢なのだろうか。楽しい夢であってくれればよいが、傍らの作者には、とてもそうとは想像できない。あてもなく荒野を「さまよふ」父のイメージのみがわいてきて、哀れとも、いとおしいとも……。電気毛布の「電気」が、これほどまでに切なく響いてくる例を、私は他に知らない。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)


January 0712003

 鏡餅のあたりを寒く父母の家

                           林 朋子

場のオフィスに飾ってあった「鏡餅」に、正月二日ころから黴がつきはじめた。暖房のせいだ。鏡開きの十一日(地方によって違いはあるが)までは、とても持ちそうもない。オフィスでなくとも、最近の家庭の暖房も進化したので、たくさんの部屋があるお宅は別にして、お困りのご家庭も多いことだろう。団地やマンションなど密閉性の高い住居だと、もう黴が生えていたとしても当然である。たぶん、作者の普段の住居もそんな環境にあるのだ。それが、新年の挨拶に実家に出向いてみると、黴ひとつついていない。堂々としたものである。飾ってあるところは、昔ながらの床の間か神棚だろう。黴ひとつないのは、むろん部屋全体が寒いためなのだけれど、それをそう言わずに、あえて「鏡餅のあたりを寒く」と焦点を鏡餅の周辺に絞り込んだところに、作者の表現の粋(いき)が出た。同時に、日ごろの「父母」の暮しのつつましさに思いが至ったことを述べている。正直言って、自分の家に比べるとかなり寒い。こんなに寒い部屋で、父母はいつも暮らしているのか。そして、かつての私も暮らしていたのか。ちょっと信じられない思いのなかで、作者はあらためて、これが「父母の家」というものなのだと感じ入っている。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)


March 1532003

 玉丼のなるとの渦も春なれや

                           林 朋子

じめての外食生活に入った京都での学生時代。金のやりくりなどわからないから、仕送り後の数日間は食べたいものを食べ、そうしているうちに「資金」が底をついてくる。さすがにあわてて倹約をはじめ、そんなときの夕食によく食べたのが、安価な「玉丼(ぎょくどん)」だつた。「鰻玉丼」だとか「蟹玉丼」なんて、立派なものじゃない。言うならば「素玉丼」だ。丼のなかには、米と卵と薄い「なると」の切れっぱししか入っていない。丼物は嫌いじゃないけれど、毎日これだと、さすがに飽きる。掲句を読んで、当時の味まで思い出してしまった。作者の場合は、むろん玉丼のさっぱりした味を楽しんでいるのだ。「なると」の紅色の渦巻きに「春」を感じながら、上機嫌である。「なると」は、切り口が鳴門海峡の渦のような模様になっていることからの命名らしいが、名づけて妙。食べながら作者は、ふっと春の海を思ったのかもしれない。楽しい句だ。またまた余談になるが、昭和三十年代前半の京都には「カツ丼」というものが存在しなかった。高校時代、立川駅近くの並木庵という蕎麦屋が出していた「カツ丼」にいたく感激したこともあって、京都のそれはどんなものかとあちこち探してみたのだが、ついに商う店を発見できなかった。さすがに今はあるけれど、しかし少数派のようだ。なんでなんやろか。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)


August 0582003

 蝿叩持つておもてへ出てゆけり

                           林 朋子

るいはボケ老人のスケッチかもしれないが、前書も何もないのでそのままに受け取っておきたい。いいなあ、このナンセンスは。書かれている情景の無意味さもいいけれど、こういうことを俳句にできる作者の感性のほうが、もっと素晴らしい。寝ても覚めても「意味」だらけの暑苦しい情報化社会に、すっと涼風が立ったかのようではないか。この句をくだらないと一蹴できる人は、よほどこの世の有意味の毒がまわっている人だろう。あるいは、無意味も意味のうちであることを意味的に肯んじない呑気な人かもしれない。「蝿叩(はえたたき)」を持って「おもて」へ出ていく行為は、そこつなそれではないだろう。上半身はスーツ姿で、電車の中で下はステテコだけだったことに気がついた(某文芸評論家の実話です)というような失敗は、大なり小なり誰にでもあることだ。そうではなくて、掲句の情景はまったく無意味なのだから、笑える行為でもなければいぶかしく感じられる振る舞いでもないわけだ。ただただそういうことなのだからして、読者はそういうことをそういうこととして受け取ればよいのである。受け取って、では、何も感じないのかといえば、むしろ下手に意味のある俳句よりも、よほどこの「蝿叩」人間の行為に手応えを感じることになるはずだ。不思議なようでもあるが、私たちは別に意味に奉仕して生きているわけじゃないから、むしろそれが自然にして当然の感じ方なのだろう。……などと、掲句にぐだぐだ「意味」づけするなどは愚の骨頂だ。さあ諸君、意味を捨て蝿叩を持っておもてへ出よう。とまた、これも意味ある言い草だったか。いかん、いかん。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)


June 0562004

 昼顔につき合ひ人を待つでなく

                           林 朋子

語は「昼顔」で夏。野山や路傍、どこにでも咲いている。薄紅の花の色は可憐だが、あまりにも咲きすぎるせいか、珍重はされないようだ。句は、わざわざそんな「昼顔」につき合って、誰を待つでもなく道端に佇んでいる。といっても実際に路傍に立っているのではなくて、夏の午後のけだるい時間をシンボリックに詠んだのだろう。なるほど、けだるさには昼顔がよく似合う。この句を読んで、ちょっと思うことがあった。実景ではないと読んだけれど、仮に実景だとすれば、作者以外にはどんな光景に写るだろうかということだ。想像するだけで、なんとなく奇異な様子に見えるのではないだろうか。まさか昼顔につき合っているとは知らないから、道端に人がひとり何をするでもなく長い時間立っていれば、ついつい変に思ってしまうのが人情だからである。最近よく散歩をするようになって気がついたのは、いかにこの人情なるものが散歩者の気分を害するかということだった。天下の往来である。走ろうが立ち止まろうが当人の勝手のはずが、そうじゃない。歩き疲れてしばし佇んでいるだけで、必ずどこからか猜疑という人情のまなざしが飛んでくる。立ち話をしている主婦たちの目が、ちらちらとこちらを伺っていたりする。そんなときには仕方がないから、しきりに腕時計を見るふりをすると、多少は猜疑の目も和らぐようだ。携帯電話は持っていないが、こんなときにはさぞかし便利だろう。ともかく、人通りのない山道ででもないかぎり、人は道で一分と動かずに立っていることはできない。堂々と立ち止まれるのは、ゆいいつ信号のある交差点だけである。嘘だと思ったら、どうかお試しあれ。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)


February 2322005

 たかが椿の下を通るに身構ふる

                           林 朋子

語は「椿」で春。「たかが」が気にならないでもないが、句全体はよくわかる。椿はいきなりぼたっと落ちてくるので、うかうか下を歩けないような気分になるわけだ。「たかが」はだから、花そのものへの評価ではなく、たとえ落ちてきて身体に当ったとしても大したことはないの意だから、使い方としては間違ってはいない。「たかが」はストレートに「椿」にかかるのではなく、書かれていない「落花」にかかっているのだ。だが私だけの感じ方かもしれないのだけれど、ぱっと読んだときのファースト・インプレッションは、なんとなく花そのものを軽く見ているような気がしてしまった。俳句の短さからくる私の「誤解」である。誤解が解けてみれば、なかなかに面白い句なのだが……。「身構ふる」で思い出したのは、ハワイに行ったときだったか、ヤシの実の落下には気をつけるようにと注意を受けたことだ。なるほど、あんな高いところからあんな大きなものが落ちてきて頭に当たりでもしたら、命にかかわる。「たかが」どころの話じゃない。ついでに書いておけば、かなり日常的に身構えざるをえないのが、このところ増えに増えてきた土鳩どもの糞害に対してだ。近所の井の頭公園などに出かけると、たまにこいつらに直撃されてしまう。そんなときには、それこそ「たかが土鳩」とののしりたくなる。石原慎太郎都知事の数ある政策(?)のなかで、私は土鳩一掃策を唯一支持している。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


June 2462005

 冷房の大スーパーに恩師老ゆ

                           林 朋子

語は「冷房」で夏。長らく会うことのなかった「恩師」を、偶然にスーパーで見かけたのだろう。その人は、たぶん男性だ。「大スーパー」だから、二人の距離はだいぶ離れている。目撃しての第一印象は、「ああ、ずいぶんと歳をとられたなあ」ということであった。白髪が目立ち、姿勢も昔のようにしゃんとはしていない。近寄って挨拶するのも、なにかはばかられるような雰囲気である。スーパーでの男の買い物客は目立つ。とくに老人となると、よんどころなく買い物に来ているような雰囲気が濃厚で、気にかかる。妻や家族はいないのだろうか、あるいは病身の妻を抱えてるのだろうかなどと、むろん深く詮索するつもりもないのだが、ちらりとそんなことを思ってしまうのだ。ぎんぎんに冷房の効いた店内を、慣れない足取りで歩いている様子は、溌剌としていないだけに余計に年齢を感じさせるようなところがある。この後、作者はどうしたろうか。句の調子からして、ついに声をかけそびれたような気がするのだが……。これで見かけた場所が書店だったりすると、恩師もさまになっているので挨拶はしやすかっのだろうが、場所と人との関係は面白いものだ。ところで、私もたまにスーパーに買い物に行く。周囲の主婦たちのてきぱきとした動向に気を取られつつ、ついつられて余計なものを買ってしまったりする。目立っているのだろうな、おそらく私も。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます