本日付「毎日新聞」夕刊に井川博年の辻征夫追悼文が掲載される由(井川より「極め付け」のTEL)




2000N45句(前日までの二句を含む)

April 0542000

 山門を出れば日本ぞ茶摘唄

                           田上菊舎

上菊舎(たがみ・きくしゃ)は江戸期の俳人、女性。まだ茶摘みのシーズンには早いが、くさくさすることの多い当今故、清新の気を入れたいがための選句である。読者諸兄姉には、以て諒とせられよ。この「山門」は、京は洛外宇治の黄檗山万福寺のそれ。万福寺の開祖は、明の僧・隠元である。上野さち子『女性俳句の世界』(岩波新書)によると「当時の黄檗山は、中国文化淵叢の地として文人憧憬の場であった」そうだから、建物をはじめとする万福寺の中国的雰囲気に酔った菊舎の心持ちは、十分に推察することができる。中国文化の毒気にあてられたごとくに山門まで出てきたとき、どこからともなく風に乗って聞こえてきた茶どころ宇治の「茶摘唄」。そこで彼女ははっと我に帰り、思わずもここは「日本ぞ」と口をついて出てしまった。吹き渡るみどりの風が、頬に心地よい。そして、それよりも何よりも、私は句の「日本」という言葉の美しさに注目する。ここに見られるのは、国粋主義者が信奉する「日本」でもなければ、近代の国際競合に薄汚れた「日本」でもない。絢爛たる中国文化をよしとした上での、庶民の安住の場所としての「日本」なのだ。俳句で「日本」が使われる例は少ないけれど、こういう「日本」なら今後も大歓迎したい。しかし一方で、もはやこのように美しい「日本」の言語的実現はあり得ないとも思う……。(清水哲男)


April 0442000

 どことなく傷みはじめし春の家

                           桂 信子

わゆる春愁には、このような暮らしの上の心配も入り込んでくる。「どことなく」と言うのだから、具体的に家のどこかが「傷(いた)みはじめ」たというわけではない。「どことなく」なんとなく、どこなのだかよくはわからないのだが、どこかが確実に傷んできた気配がするのだ。だから、緊急に修理する必要もないわけだが、「どことなく」不安にもなってくる。暖かい光のなかの、一見平和な環境にある「春の家」だからこそ、この漠然たる不安が際立つ。句全体の味わいとしては、しかし、「どことなく」ユーモラスだ。ここに、みずからの漠然たる不安を客観視できる作者の、したたかな腕前を感じさせられる。春愁におぼれない強さ。あるいは、春愁の甘い響きに飽きてしまった諦念が、ぽろりと、むしろ不機嫌主導でこぼれ落ちたのかもしれない。いずれにしても、単純の極にある言葉だけで、これだけのことを言えた作者の才質は素晴らしい。「俳句研究年鑑」(1994)の自選句欄で見つけた。すなわち、作者自信の一句である。(清水哲男)


April 0342000

 奇術にして仁術の俳パッとさくら

                           原子公平

くら賛歌であると同時に俳句賛歌でもある。俳句には元来、その短さゆえに「奇術」のようなところがあり、たったの十七文字が悠に百万言に勝ったりする。小さなシルクハットから、鳩がパッパッと何羽も飛び立ったり、万国旗がゾロゾロと出てきたりするように、信じられない現実を突きつけてくる。しかも、上質の「俳」は読者の心を癒し、励まし、喜ばすなど、その「仁術」的効果もはかりしれない。「さくら」とて、同じこと。「奇術」のようにあれよという間に咲き、「仁術」のように人の心を浮き立たせる。このとき「さくら」は、天然の俳人なのだ。自然詠のかたちをとりながら、句自体が一つの俳論になっているのもユニーク。長年のキャリアがあってこその、これは作者の「奇術」である。原子さんは、最近車イスの人になられたと仄聞した。「俳句研究」誌に連載されている[わたしの昭和俳句]は、近来まれに見る面白い読み物だ。私的俳壇史だが、社会的な時代背景の提示にあたっての、素材の適切な取捨選択ぶりには唸ってしまう。そのことによって、登場人物がみな輝いている。これほどに読ませる俳壇史が、これまでに書かれたことがあったろうか。俳句に興味のない人までをも、引き込んでしまう書き振りだ。これまた「奇術」にして「仁術」と言うべきか。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)




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