O謔「句

April 2642000

 割り算でといてみなさい春の水

                           三宅やよい

りゃ、とけませぬ、やよい殿。読者にこう答えさせるのが、句の眼目だ。なぜ、とけないのか。私には、わからない。ただ不思議なのは、これが「夏の水」であったり「秋の水」であったりすると、なんとなく「とけ」そうな気のするところだ。すなわち、句は遠回しながら(もちろん故意にだけど)「春の水」のありようを言い当てているのである。言語的マジックの面白さ……。「割り算」を持ちだしてきたことからすると、作者はおそらく算数好きな人なのだろう。まったく逆とも考えられるが、そうだとしたら、このような問題(!!)は作らないと思う。算数嫌いの人は、この世にとけない問題など存在しないと信じ込んでいるフシがあるからだ。そんな問題が他人にはとけるのに、自分にはとけない。算数嫌いは、このへんからはじまる。だから算数嫌いの人は、極端に言えば、今度は自分に割り切れる問題だけを探しはじめる。とけない問題など、眼中になくなる。だから、こういう発想もしない。と言っても、あくまでもこれは「算数」レベルでの話。大学の教養課程くらいまでに勉強するのが「算数」で、それ以降の学問を「数学」と言う。友人の数学者が、若き日に酔っぱらって吐いた名言である。彼は数学者ゆえに、いまだに割り勘の勘定が上手にできない。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 1352000

 目には青葉尾張きしめん鰹だし

                           三宅やよい

わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


August 0482000

 ワタナベのジュースの素です雲の峰

                           三宅やよい

の峰は郷愁を誘う。「子供にだって郷愁はある」と言ったのは辻征夫だが、少年期を過ごした三宅島の夏の海での感慨だったような……。沖には、きっと巨大な雲の峰が聳えていただろう。空は未来を指さすけれど、雲の峰は人を過去へと連れていく。私だけの感受性かとも思ったりするが、どうやらそうでもないらしい。それにしても「ワタナベのジュースの素」とは、懐しや。すっかり、忘れていました。よく飲みました。「ジュースの素」である粉末をコップの水に溶かすだけ。オレンジ味、イチゴ味などがあり、それぞれにそれらしい色がついていたと記憶する。一世を風靡したのは、いつごろのことだったのか。いずれにせよ、日本がまだ貧乏だった時代だ。「ワタナベのジュースの素です、もうイッパイッ」というラジオのCMソングも流行した。1962年にテレビCMで登場したコカ・コーラの歌「スカッとさわやか、コカ・コーラーッ」も同工異曲だった。無理やりに、商品名を覚えさせられたという感じ。ちなみに、コカ・コーラの戦後の日本での発売は1961年だが、戦前にも輸入されたことがあり、高村光太郎や芥川龍之介も飲んだことがあるという。難しい顔で飲んでいる様子を想像すると、ほほ笑ましくなる。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 2452001

 青嵐おお法螺吹きをくつがえす

                           三宅やよい

快痛快。「おお」は「大」とも読めるが、感嘆詞として読むほうが面白い。日頃から大言虚言を吐きつづけてビクともしない憎たらしい奴が、折からの「青嵐」に見ん事ひっくり返されちゃった。ザマア見やがれ、なのである。「なぎ倒す」などではなく「くつがえす」と言ったのは、むろん「論理を『くつがえす』」という概念が作者の意識にあるからだ。この句は実景として「法螺(ほら)吹き」がひっくり返った様子を想像することもできるし、比喩として「法螺吹き」が強力かつ精密な有無を言わせぬ論理(青嵐)によってやり込められたと読むこともできる。いや、その実景と比喩が重なって喚起されるから面白いと言うべきだろう。この題材にしては、少しの陰湿さも感じさせないところも素敵だ。同じ作者に「リリーフは放言ルーキー雲の峰」がある。口ばかり達者な「ルーキー」というのも、まことに可愛げがなく憎たらしい。そいつが、ついに「リリーフ」に出てきた。「ああ、こりゃもうアキまへん」と、作者は天を仰いだ。天には、モクモクと入道雲が涌き出ている。にわかに暑さが実感され、ゲームへの集中力が切れてしまった。さあて、ボチボチ引き上げるとするか。『玩具箱』(2000)所収。(清水哲男)


July 1272001

 木に登る少年は老い夏木立

                           三宅やよい

い木陰をつくり、群れ立っている夏の木々。葉が茂っているので下からは姿がよく見えないのだが、その一本に少年が登っている。なんだか、このまま彼が下りてこないような感じを受けたのだろう。木の上では猛烈なはやさで時間が過ぎていて、登った少年もあっという間に年をとってしまう……。という、夏の真昼時の幻想だ。この句に出会って、もうずいぶんと木に登ってないなと思った。少年時代には、退屈すると登った。適当な枝に腰掛けて脚をぶらぶらさせ、青葉のかげから遠くを見ていた。たまに下を通る人がいると、何故だか知らないが、気がつかれないように身を小さくしたものだった。柿の木は折れやすいので登ってはいけないと知りながらも、おっかなびっくり登るスリルも楽しんだ。本当に、枝といっしょに落っこっちゃった不運な友もいたけれど……。木の上に暮らしていたハックルベリー・フィンじゃないが、あそこには地上とは別の魅力的な世界がある。地面からほんのわずか浮き上がっただけなのに、子供でも(子供だからか)人生観が変わったような気にすらなる。私などもはや木に登ることもあるまいが、いま登ったとしたならば、たまさか通りかかった誰かは、どんな句に仕立ててくれるだろうか。ま、その前に、おせっかいな誰かが飛んでくるのだろう。そういえば、どなたか俳句の「モデル」になったことはありますか。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


December 17122002

 天網恢恢疎にして枯けやき

                           三宅やよい

の項「枯木」に分類しておく。私の住む武蔵野一帯は、昔から「けやき」の樹の多いところで、俳句や短歌にもよく詠まれてきた。もうすっかり葉は落ちてしまい、枝だけが高いところで四方八方に張っている。ことに早朝の澄んだ大気の中で、明けてくる空を背景に黒々と網目状に広がって見えるシルエットは、息をのむような美しさだ。句の言うように、なるほどあれは「天網(てんもう)」である。「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして」の後は、御存知のように「漏らさず」とつづく。老子の「天網恢恢、疎而不失」より来ている。天の張った網目はあらいようだけれど、悪人を決して見逃すことはないという教訓だ。中学生のころに教室で習ってから、ついぞ思い出すこともなかつたが、掲句のおかげでよみがえってきた。といって、句の力点は教訓の中身にあるのではないだろう。あくまでも抽象的な「天網」の形状を、偶然に「枯けやき」のシルエットに発見した(ような気持ちになった)嬉しさを詠んでいる。「天網恢恢……」といかめしげな言葉の最後で、ポンと「枯けやき」に振った詠みぶりが、いかにもこの人らしい。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 1952003

 キューリ切り母の御紋を思い出す

                           三宅やよい

木瓜紋
語は「キューリ」で夏だが、「胡瓜」としないで「キューリ」としたところが、句の眼目だ。一般的にはもはや使われなくなった古風な「御紋」との対比が生きてくる。家紋には左右対称形の図柄が多く、また植物系のものも多いので、たしかに「キューリ」の断面は何かの紋に似ていなくもない。食事の用意をしながら、ふっと「母の御紋」を思い出した作者は、ちらりと当時の母の冠婚葬祭などでの立ち居振る舞いに思いが至ったのだろう。しかし、それも束の間、すぐに現実に戻って台所仕事をつづけている作者の様子が、この「キューリ」という故意に軽くした表現に読み取れる。句のように、私たちもまた、なんでもない日常の中で、ふとしたきっかけから瞬時身近にいた誰かれのことを思い出すことがある。そして、間もなく忘れてしまう。そのあたりの人情の機微を、「キューリ」一語の使い方で巧みに詠み込んだ佳句だと感心してしまった。ただ読者のなかには、あるいは「母の御紋」を何故作者が知っているのかと疑問に思う方がおられるかもしれない。母方の紋を代々娘が継ぐ風習は、多く関西地方に見られたもので、全国的ではなかったようだ。私の母も関西系だから、彼女の紋が「抱茗荷」と知っているわけで、他の地方の女性は嫁入り先の紋をつけたから、一つの家には一つの家紋というのが常識という地方が多かったろう。ちなみに、関西での男方の家紋は「定紋」と言い、女方のそれは「替紋」と呼んだ。ところで、掲句の紋はどんなものなのだろうか。図版の「木瓜」というのがある(織田信長の家紋で有名)けれど、胡瓜の切り口を図案化したものと言われはするが、本来は「カ(穴カンムリに巣と書く)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものだそうだ。カとは地上に巣を作る鳥の巣であり、樹上に作られたものを巣と書いた。多産を祈った紋と思われる。ところで、あなたの家の紋所は何でしょう。ご存知ですか。恥ずかしながら、私は父家の紋をこれまで知らずに生きてきました。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


February 2122005

 排水口にパーの手が出るおぼろ月

                           三宅やよい

語は「おぼろ月(朧月)」で春。やわらかな薄絹でも垂れているような甘い感じの月の夜に、なかば陶然としながら歩いていると、突然眼前の「排水口」からにょきっと「パーの手」が出てきた。もちろん想像の世界を詠んだわけだが、この想像は怖い。出てきたのが手でなくても怖いけれど、それもジャンケンのパーの形の手だというのだから、そこには手を出した正体不明者のからかいの気分が込められているようで、余計に怖く感じられる。実景だったら、声もあげられずに立ちすくんでしまうだろう。掲句から思い出したのは、映画『第三の男』のラストに近いシーンだ。麻薬密売人のオーソン・ウェルズが地下水道のなかで追いつめられ、背中をピストルで撃たれる。それでも必死に逃げようとして、地上に通ずる排水口を押し上げるために、鉄枠を握りしめる場面があった。カメラはその手を地上から撮っていて、いったんは握りしめていた手がだんだんと力弱く開いていき、間もなく見えなくなってしまう。彼の死を暗示する秀逸なカットだったが、これも見ていてぞくっとするくらいに怖かった。この場合は正体不明者の手ではないのだが、しかし常識ではあり得ないはずのことが目の前で起こるということは、やはり心臓にはよろしくないのである。ひっかけて言えば、この句は季語「おぼろ月(夜)」の常識を逆手に取ることで、ユニークな作品になった。この発見は凄い。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


December 29122013

 はらわたの卵をこぼし柳葉魚反る

                           三宅やよい

る12月21日に行なわれた、第110回「余白句会」の兼題が「柳葉魚(シシャモ)」でした。私はシシャモの産地で育ったので、冬、学校から帰るとシシャモを石炭ストーブの金網にのせて、ひっくり返して、かなり無造作にムシャムシャ食べていました。かつて、私の身体の何%かは、シシャモでできていたのですが、俳句の兼題に出されてみるとむずかしく、たまたま実家に所用ができたことを渡りに舟として、釧路までシシャモを仕入れにいきました。しかし、食べ物としてみていたシシャモを句にするのは困難で、駄句を携えて句会に出席したとき掲句に出会い、膝を叩きました。シシャモの雌は、体の1/4程が卵です。また、養分の半分以上を卵に費やしているでしょう。シシャモの雌の本質は、「こぼれる」ほどの卵をぎりぎりまで増殖するところにあり、焼くと「反る」うごきにつながります。今井聖さんが掲句を高く評価したうえで、「『はらわた』は消化器官を指す語だから生殖器官の卵には付かないのではないでしょうか」と疑問を呈され、精緻な読み方を学びました。句会では掲句が天、地に「火の上の柳葉魚一瞬艶めける」(土肥あき子)。私が狙い撃ちされて天を入れたのが「啄木の釧路の海よ!シシャモ喰う」(井川博年)でした。なお、句会の後の忘年会では、お店に無理を言って釧路より持参したシシャモを炭焼きにして皆でいただきました。清水哲男さんが「シシャモ、うまかったー」。(小笠原高志)




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