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May 1352000

 目には青葉尾張きしめん鰹だし

                           三宅やよい

わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


October 03102010

 われをつれて我影帰る月夜かな

                           山口素堂

の句の意味は説明するまでもありません。また、どういった思考経路によってこの句が生み出されてきたのかも、明瞭です。自分についてくる影と、自分の立場を、単純に逆転しただけの作品です。しかし、解説すれば単にそれだけのものでも、作品が持つ力は意外に強く読者に迫ってきます。あたりまえの逆転でも、読めばふっと驚いてしまうし、色の濃い影が実体をひきずってとぼとぼと帰宅する様子は、視覚的にも印象的なものです。創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられます。ありふれた発想から生まれた句が、かならずしもありふれた句にはならない、ということのようです。実体を覆すほどの描写は、おそらくこれからも、あたりまえの思考経路から出来てくるのでしょう。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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