R[q句

November 16112000

 河豚食べて粗悪な鏡の前通る

                           横山房子

くわからないのだけれど、気になる句というのがある。掲句も、その一つだ。この場合に「粗悪な鏡」とはどんな鏡なのだろうかと、ずうっと気になっていた。出来損ないの鏡、姿を写してもよく写らないか、あるいは歪んで写る鏡だろうとは思うけれど、もうひとつ「河豚」との関係がうまく計れないのだった。で、ときどき句を思い出してはあれこれイメージしているうちに、ハッと思いついたのは、これは河豚の店に掛けられている鏡のことではないのかということだった。よく鏡面にジカに赤い筆文字で「祝開店、○○賛江」などと書かれている、アレである。作者は店の座敷で河豚料理を食べ、上機嫌での帰りしなに、ふっと出口あたりにあった「粗悪な鏡」に姿を写してしまった。そこに鏡があれば、自分の姿を確認するのは、なべて女性の本能に近い行為だろう。ちらりとではあるが、確認した自分の姿は歪んでいたのか、ぼおっとしか見えなかったのか、いずれにしても上機嫌とは裏腹なイメージでしかなかった。だから、思わずも発した言葉が「粗悪な鏡」め、だ。せっかくの河豚の御馳走による高級な満足感が、鏡のせいで一瞬のうちに萎えてしまった……。「これが人生ですね」などと、作者は何も読者に押しつけてはいないけれど、なんだか万事うまくいくわけがない人生の姿を、「粗悪」ではない鏡で一瞥してしまったかのような後味のする句ではある。作者は、故・横山白虹夫人。『背後』(1961)所収。(清水哲男)


March 0732008

 春昼の背後に誰か来て祈る

                           横山房子

から下に向かって書かれたものは上から読まれる。「春昼の背後に」と読み下していくと、そこにまず時間と場所の設定を思う。次に「誰か来て」。ここまでなら読み手の琴線を揺さぶるものはない。これは春昼という季題の本意を意識した上で背後に人の気配を感じる内容だろうと。それだけなら陳腐平凡だなあと予想するわけである。ところが最後の二文字で様相は一変する。「祈る」とあることで教会という空間が特定され「春昼の背後」が大きく包みこまれる。神社なら内容の静かさにそぐわないし、墓前なら「誰か」とは言わない。教会での静かな祈りのつぶやきが聞こえてくる。祈りの静謐の中での聴覚のリアル。「祈る」は空間のみならず行為も特定する。この二文字がこの句のテーマになるのである。叙述の最後の最後に来て作品が蘇る。逆転満塁ホームランのような句だ。縦書き表記の効用も思う。横書きだと左から右へ読んで行くが、横一列全体がなめらかに眼に入る。読み下して「祈る」に出会う衝撃力はやはり縦書きでこそ得られるものだ。『平成俳句選集』(1998)所収。(今井 聖)


January 1012009

 かまくらに莨火ひとつ息づけり

                           横山房子

まくらは、元来小正月(旧正月十五日)に行われたもの。現在は二月十五、十六日に秋田県横手市で行われる行事として名高い。もとは「鳥追(とりおい)」に由来し、かまくらの名も、鳥追の唄の歌詞から来ているともいわれるが、だんだん雪室が主となり、雪室自体のことを、かまくらと呼ぶようになったようだ。この句は、そんなかまくらの中にぽっと見える、莨(たばこ)の火を詠んでいる。吸うと赤く燃え、口から離すと小さくなる莨の火。小さく鼓動するその火に感じられるのは、子供達のかまくら、という童話の世界でも、幻想的な美しさでもなく、人の息づかい、存在感だ。青白い雪明りの中、かまくらそのものにも生命があるように感じられたのだろう。あれこれ調べていると、出前かまくら、から、かまくらの作り方、まで。出前かまくらは、今日、十日から3日間、横浜八景島シーパラダイスで、とある。いろいろ考えるものだなあ、と。「新日本大歳時記 新年」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


August 0982014

 原爆忌乾けば棘を持つタオル

                           横山房子

日の猛暑に冬籠りならぬ夏籠りのような日々を送っているうち暦の上では秋が立ち、そしてこの日が巡って来る。一度だけでもありえないのになぜ二度も、という思いと共に迎える八月九日。八月六日を疎開先の松山で目撃した母は、その時咲いていた夾竹桃の花が今でも嫌いだと言うが、八月の暑さと共にその記憶が体にしみついているのだろう。この句の作者は小倉在住であったという。炎天下に干して乾ききったタオルを取り入れようとつかんだ時、ごわっと鈍い痛みにも似た感触を覚える。本来はやわらかいタオルに、棘、を感じた時その感触は、心の奥底のやりきれない悲しみや怒りを呼び起こす。夫の横山白虹には<原爆の地に直立のアマリリス >がある。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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