~フ幕

November 28112000

 石蕗の黄に十一月はしづかな月

                           後藤比奈夫

週末の旅の途次、沼津の友人の案内で「沼津御用邸記念公園」に立ち寄った。ここは明治天皇が孫のために作った別荘地だが、空襲で焼けてしまった(園内には古墳形の防空壕が残されている)。それが戦後も二十年ほど経ってから沼津市に無償返還され、いまの公園に仕立て上げられたものである。海浜の静かな公園だ。園内は折しも、そこここに植えられた黄色い石蕗(つわ・つわぶき)の花盛り。元来が、海岸や海に近い山などに自生するらしいが、私は旅館などの日当りのよくない庭の隅にひっそりと咲いている姿しか見たことがなかった。花の黄は鮮やかだけれど、キク科独特の暗緑色の葉の印象が強いために、どちらかといえば地味で暗いイメージしか持っていなかった。たとえば「石蕗咲くや葬りすませし気の弱り」(金尾梅の門)のように、である。だから、公園で行けども行けども石蕗の花ばかりの道を歩いているうちに、小春日和のせいもあったのだろうが、かなりイメージが変わってきた。落ち着いた明るさを天にさしあげるようにして咲く、味わい深い花だと思ったことである。そんな目で掲句を読むと、たしかに納得できる。「十一月」という「しづかな月」をイメージさせる花として、石蕗は確かな位置を占めているのだなと……。その「しづかな月」も、間もなく過ぎていく。やがて、石蕗も枯れてしまう。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


December 20122001

 魚眠るふる雪のかげ背にかさね

                           金尾梅の門

しい句だ。実景を詠んだと思われるが、となれば「魚(うお)」は、人が雪中の地上からでも認められる、たとえば池の大きな鯉あたりだろうか。鯉でなくともかまわないけれど、水中でじいっと動かない魚の「背」に、雪がこんこんと降りかかっている。雪は水面にまでは達するが、決して水中の魚にまで、そのまま届くことはない。魚は、常に「雪のかげ」を「背にかさね」て眠っているだけなのである。この情景は、いま直接に肌で雪を感じている作者にしてみれば、眼前の具象を越えて抽象的にまで高められたような美しいそれに写った。もとより人と魚とでは、寒暖に対しての生理は同じではない。でも、そんな理屈を掲句に押しつけるのは野暮というものだろう。作者は若き日に、父親の職業を継いでの売薬行商人であった。いわゆる「富山の薬売り」だった。「背」に風呂敷で包んだ大きな荷を文字通りに「背」負って、諸国をめぐり歩く商売である。だからこそ、こういう「背」の観察ができたのではあるまいか。たいていの人は「背」を意識しないで生きていく。「親の背を見て子は育つ」などという箴言は、人が「背」に無意識であるからこそ生まれてきた言葉である。作者名は「かなお・うめのかど」と読み、なんだか大昔の月並俳人のようであるが、1980年に八十歳で没した、れっきとした現代俳人である。『鴉』所収。(清水哲男)


January 1112004

 冬川の假橋わたりとつぎゆく

                           金尾梅の門

校時代は電車通学だったが、駅までの道に多摩川を越える50メートルほどの長さの高い橋があった。永田橋という名前だった。それまでの渡船場が廃止され橋をかけたわけだが、これがいかにも急造といった木造の頼りない橋で、まさに「假橋」。車が通るたびにギシギシと鳴り、かなり揺れるのだった。申し訳程度に低い欄干がついてはいたが、ダンプカーと擦れ違った際にあやまって河原に転落し、一年間の休学を余儀なくされた同級生がいる。句の「假橋」も、そんなものではないかと連想した。荒涼たる冬の川にかかる粗末な橋を渡って「とつぎゆく」女性は、実の娘か身内の者だろうか、それとも偶然に見かけた見知らぬ人だろうか。いずれにしても「わたり」「とつぎゆく」の平仮名表記が、まだどこかに幼さの残る女性を思わせる。この橋の向こうに爛漫たる春が待っていてくれればよいのだが、なんだか苦労だけが待ち受けているような心細さのほうが先に立ってならない。その気持ちを打ち消しつつ、花嫁を見送る作者の気持ちがよく滲み出ている句だ。なお作者の「梅の門(うめのかど)」とはいかにも古風な俳号で、江戸か明治に活躍した人を思わせるけれど、1980年に八十歳で亡くなった人だから、現代の俳人と言ってよい。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


May 2352013

 鏡なすまひる石階をゆく毛虫

                           金尾梅の門

桜のころは毛虫が多くて、おちおち桜の木の下で遊べなかった。あの黒くもにゃもにゃした毛虫は今でも桜を食い荒らしているのだろうか。都会では桜並木の下でもあまり毛虫を見ないように思う。掲句、鏡なす昼の光に石段の照り返しが眩しい。何もかも動きを止めたような昼下がり、全身をくねらせながら石段を這ってゆく毛虫にふと目をとめたまま視線がはずせなくなったのだろう。もどかしいぐらいゆっくりした毛虫の動きが時間の長さを読み手に感じさせる。金尾梅の門(かなおうめのかど)古風な俳号を持つこの俳人は大須賀乙字に学んだ富山生まれの俳人だそうだ。『現代俳句全集』(1958)所載。(三宅やよい)




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