ヌ史句

January 1912001

 罠ありと狸に読めぬ札吊りし

                           村上杏史

語は「狸」で冬。狐も冬だが、冬期は山中に餌が乏しくなり、里へ降りてきて人と接触することが多いからだろうか。私の住む多摩地域では、いまでは四季を問わずにひょっこり出現し、新聞ダネになったりする。狸にかぎらない。現代の山は食料難だから、我が故郷では野猿が跳梁し難儀していると聞く。さて、揚句はそのまんま句だけれど、なんとなく可笑しい。人を化かすのは得意な狸だが、哀しいかな文字が読めないのだ。狸は通り道も決まっているそうで、罠も仕掛けやすい。このあたりも間抜けといえば間抜けで、古来言われてきた狸の愛嬌に通じる。捕獲した狸は、毛皮はコートなどの防寒具に、肉は食用(狸汁)とし、毛は毛筆などに加工された。狸毛の筆は柔らかで、まことに書きやすい。狸の句といえば、漱石に「枯野原汽車に化けたる狸あり」の謎のような一句がある。アニメ『となりのトトロ』の化け猫バスじゃあるまいし、いかな狸でも汽車には化けられないだろう。そう思ってきたが、柴田宵曲『俳諧博物誌』によれば、狸はいつの時代にも新事物の研究に熱心で、汽車に化けた狸の話は全国的にあったそうだ。漱石の突飛な発想ではないらしい。ただし、姿を汽車に変えたのではなくて、音を真似たというのが宵曲の推理である。狸の腹鼓というくらいで、狸は音作りにかけては名手なのである。この推理を得て漱石句を読むと、なるほど「枯野原」を轟々と突っ走る見えない汽車の不気味さが伝わってくる。ただ残念なことは、狸の新事物研究の成果も「汽車」止まりで、その後の新しいものに化けた話は聞かない。どんなに秘術を尽くしても人が驚かなくなったので、つまらなくなっちゃったのだろうか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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