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March 2632001

 水温む鯨が海を選んだ日

                           土肥あき子

来「水温む」は、「水ぬるむ頃や女のわたし守」(蕪村)のように、河川や湖沼の水が少しあたたまってきた状態を言った。それを「海」の水に感じているところが異色。しかし、海もむろん「温む」のである。実は、この句は坪内稔典さんの愛唱句だそうで、最近の新聞や雑誌で何度か触れている。「『あっ、そうだ。今は水温む季節なんだ』と気づいた作者は『そうなんだわ。こんな日だったのだわ。昔々、鯨が陸ではなく海で暮す選択をしたのは』と思った。つまり、水に触れたときの感覚が、哺乳類としての動物的感覚を呼び覚まし、同族の鯨へ連想が及んだのである。/私たちのはるかな祖先は水中から陸上へと上がってきた。鯨の化石によると、初期の鯨には小さな後ろ脚の跡があるという。鯨もまた、私たちの祖先と同じように、陸上生活をしていたのか。……」(「日本経済新聞」2001年2月10日付夕刊)。つづけてこの句を知って「『水温む』という季語が私のうちで大きく変わった。鮒から鯨になったという感じ」と書いているが、同感だ。掲句は「水温む」の季語を、空間的にも時間的にも途方もないスケールで拡大したと言える。それも、ささやかな日常感覚から出発させているので、自然で無理がない。「コロンブスの卵」は、このように、まだまだ私たちの身辺で、誰かに発見されるのを待っているのだろう。そう思うと、句作がより楽しみになる。さて、蛇足。スケールで思い出したが、その昔の家庭にはたいてい「鯨尺」という物差しがあった。和裁に使ったものだ。調べてみたら、元々は鯨のヒゲで作った物差しなので、この名前がついたのだという。その1尺は、曲尺(かねじゃく)の1尺2寸5分(約37.9センチ)で、メートル法に慣れた私たちにはややこしい。最近はさっぱり見かけないが、もはや「鯨尺」を扱える女性もいなくなってしまったのだろう。「俳壇」(2001年2月号)所載。(清水哲男)


October 13102002

 悪友が母となりたる秋真昼

                           土肥あき子

い言葉だな、「悪友」とは。御承知のように、親しい友人や遊び仲間を親しみを込めて反語的に呼ぶ。英語の「bad friend」ともニュアンス的に重なるところはあるものの、日本語では英語のようにストレートな「悪い仲間」の意味は希薄である。その悪友が無事に出産したことを、作者は「秋真昼」に知る。爽やかな秋晴れのなか、電話で知らされたのであろう作者の胸のうちには、おそらく咄嗟には何の感慨も浮かばなかったと思いたい。この種の出来事の感慨には、時間がかかるものなのだ。感じたとすれば、親しかった友だちが、急にすうっと別の世界に行ってしまったという一種の疎外感ではあるまいか。何をするにも気持ちが合い、何につけても趣味が合い、一心同体は大袈裟にしても、とにかく打てば響くの間柄であるがゆえの疎外感……。むろん前もって出産予定日などはよく承知していたはずだけれど、事がいざ現実となって訪れてみれば、ただただ無感動にぽかんとしてしまったのだ。だいぶ以前に、どこかの雑誌で誰かが掲句を評する際に、なぜ「秋真昼」なのかと必然性に疑問を呈していたのを覚えている。ったく、センスがないねえ。ならば、たとえば「秋の朝」とか「秋の夜」とかに読み替えてごらんなさい。句に滲む微妙な疎外感が、たちまちにして乾きを失いリアリティを失い色褪せてしまうのは明白でしょうが。この句は、絶対に「秋真昼」でなければ成立しません。『鯨が海を選んだ日』(2002)所収。(清水哲男)


November 10112002

 吊るされて鴨は両脚揃へけり

                           土肥あき子

語は「鴨」で冬。食用に、両脚をくくられ吊るされている鴨だ。既に臓器は取りだされ、毛もむしられて丸裸にされている。両足を「揃へ」てくくったのは人間であるが、作者には、そうは見えなかった。こんなにも残酷で無惨な仕打ちを受けた後にあっても、鴨は最後の力を振り絞って、おのれの矜持を保つかのようにみずからがみずからの意志で脚を揃えたと見た。いや、そう見たかったのだ。なんという優しさだろう。一寸の虫にも五分の魂。掲句には、この言葉と呼応しあう弱者への深い共感が込められている。句を読んで、すぐに思い出したことがある。小学生の頃、学校から戻ると父が庭で焚火をしていた。焚火それ自体は珍しくもなかったが、見てしまったのだった。私が毎日餌をやったり運動をさせたりしていたニワトリの一羽が、焚火の上に逆さ吊りにされ、毛をむしられている姿を……。途端に、頭の中がくらくらっとなり、真っ白になった。夕飯はすき焼きだったけれど、母からいくらすすめられても「食べたくない」と頑強に言い張って、一口も食べなかった。この句を読むまでは思いもしなかったけれど、あのときのニワトリもまた、みずからの意志で両脚をきちんと整えていたに違いないと思えてくる。いや、やはりそう思いたいのだ。三十羽ほどいたなかで、ヤツがいちばん元気で恰好いい雄鶏だった。「朝日新聞」(2002年11月9日付夕刊)所載。(清水哲男)


February 2422003

 やはらかに裾出して着る春のシャツ

                           土肥あき子

意は明瞭。変哲もない句と言えばそれまでだが、「やはらかに」と「春」の付き過ぎを承知の上での作句だろう。付き過ぎが、かえって春を喜ぶ気分を上手に増幅している。そこらへんに、作者のセンスの良さを感じさせられた。男だと、なかなかこうは作れない。よほどの洒落男なら別だけれど、基本的に男の服装は「着たきり雀」に近いからだ。いかにスーツやネクタイを取っ換え引っ換えしようが、服の着方にまでは、そんなにバリエーションがあるわけじゃない。冠婚葬祭の服装のあり方からはじまるドレスコード的に言っても、女性のほうが、コードの種類ははるかに豊富である。これにはもとより、歴史的社会的なさまざまな要因がからんでくるわけだ。思い出したが、いわゆる「裾出しルック」が流行しはじめたころに、こんな笑い話が本当にあった。会社の応接室に通された中年のおじさんが、お茶を入れてくれた女性の裾が出ていることに気づき、見かねてタイミングを見計らい、小声でそっとささやいた。「出てますよ」。言った途端に、彼女は憤然として、しかし小声でささやき返したという。「流行ってるんです、いま」。当時はシャツまでは下着という感覚が一般的だったので、おじさんが見かねた気持ちもよくわかる。このエピソードに触れて以来、私は女性がどんな服装や着方をしていようとも、「流行ってるんだな、いま」と思うことに決めたのだった。俳誌「鹿火屋」(2003年1月号)所載。(清水哲男)


December 29122003

 数へ日のともあれわたくしの居場所

                           土肥あき子

語は「数へ日」。♪もういくつ寝るとお正月。これである。今年もあれやこれやといろいろなことがあり、押し詰まったら詰まったであれやこれやと忙しい。それらあれやこれやのなかには、もちろん不愉快なこともあるわけだし、来年に持ち越さざるを得ない面倒なこともある。が、そんな「わたくし」にも「ともあれ」いまの「居場所」だけはある。もって瞑すべきではないのか。「わたし」ではなく「わたくし」とあらたまった表現に、作者の謙虚な姿勢がうかがわれる。そうなのだ。ともかくも自分の居場所があるということは、それだけで幸福と言うべきなのだ。句の「居場所」は家という意味か、あるいは家の中での自分の部屋の意なのか、それとももっと精神的な意味があるのか。それは受け取る読者にまかされている。年の暮れではなかったが、私には数ヵ月ほど物理的な意味での居場所がなかった時期があるので、過剰に掲句は心に響くのかもしれない。若かったから日銭を稼げたのはよいとして、毎夜帰るべき部屋がなかった。いかな呑気な性格でも、あの暮しは相当にコタえた。最初は友人宅に世話になっていたけれど、それにも限界がある。以後は山手線界隈の曖昧宿を転々とし、原稿はほとんど喫茶店や飲屋で書いていた。その日暮らしの金はあっても、アパートを借りるだけのまとまったものがなかったからである。幸い奇特な出版社に拾われて危機は脱したものの、いまだに夢に見る。「東京新聞」「中日新聞」(2003年12月27日付夕刊)所載。(清水哲男)


March 0832005

 夜のぶらんこ都がひとつ足の下

                           土肥あき子

語は「ぶらんこ」で春、「鞦韆(しゅうせん)」に分類。平安期から長い間大人の遊具だったのが、江戸期あたりからは完全に子供たちに乗っ取られてしまった。春を待ちかねた子供たちが遊んだことから、早春の季語としたのだろう。一茶に「ぶらんこや桜の花を待ちながら」がある。掲句は「夜のぶらんこ」だから、大人としての作者が漕いでいる。小高い丘の上の公園が想像される。気まぐれに乗ったのだったが、ゆったりと漕いでいるうちに、だんだんとその気になってきて、思い切りスゥイングすることになった。ぶらんこには、人のそんな本気を誘い出すようなところがある。「足」を高く上げて漕いでいると、遠くに見える街の灯が束の間「足」に隠れてしまう。その様子を「都がひとつ足の下」と言い止めたところが、スケールが大きくて面白い。女性がひとり夜のぶらんこに乗るといえば、なんとなく曰くありげにも受け取られがちだが、そのような感傷のかけらがないのもユニークだ。だから読者もまた、春の宵の暖かさのなかにのびのびと解放された気持ちになれるのである。ぶらんこを漕ぐといえば、思い出すのはアニメ『アルプスの少女ハイジ』のオープニングだ。彼女は、異様に長いぶらんこに乗っていた。で、あるヒマ人が計算してみたところ、ハイジは上空100メートルくらいを時速68キロで振り子振動をしていたことになるのだそうだ。シートベルトもせずによくも平気な顔をしていられたものだと驚嘆させられるが、それでも彼女には遠い「都」はちらりとも見えなかった。それほどアルプスは雄大なのである(笑)。「読売新聞」(2005年2月12日付夕刊)所載。(清水哲男)


January 1912006

 サンドイッチ頬ばるスケート靴のまま

                           土肥あき子

語は「スケート」で冬。いいなあ、青春真っ只中。べつに青春でなくても構わないけれど、おじさんがこの姿でも絵にはならない。で、私のスケートの思い出。はじめてスケート靴をはいたのは、二十歳くらいだったか。大学の体育の授業で、スケート教室みたいなものが急遽ひらかれたときのことだ。急遽というのは、体育の単位は出席時間数に満たないと取得できない規定があって、この時期に正規の授業だけでは時間数が不足になることが明らかな学生を救済するための臨時的措置としてひらかれたからである。私は学生運動に忙しかったこともあり時間数が不足していたので、これ幸いと教室に潜り込むことにした。だが、申し込んではみたものの、スケートなんて一度もやったことがない。初心者でも大丈夫ということだったが、そこはそれ、変な青春の意地もあって、その前にひそかに特訓を受けることにしたのである。正月休みで帰省した際に、スポーツ万能の先輩に頼んで、東京の山奥(青梅だったか五日市だったか)にあった野外スケート場に連れていってもらったのだ。しかしまあ、行ってみて驚いた。リンクはなんと、田圃に水をはって凍らせたようなものでデコボコだらけ。そこを貸し靴で滑るのだから、手本を見せてくれた先輩がまず顔から氷面に突っ込んでしまうというハプニングが起き、まあ怖かったのなんのって。それでも、青春の意地は凄い。そんな劣悪なリンクでもなんとか滑れるようになって、大学に戻った。そして、授業本番。「岡崎アリーナ」という名前だったと思うが、室内のリンクでありデコボコなんてどこにもなく、その滑り良さに感激しながらの授業とはあいなったのだった。ああ、これがスケートというものか。すっかり気に入って、せっせと授業に通ったのはもちろんである。授業だから、まさかサンドイッチを頬ばるわけにはいかなかったが、掲句の楽しい気分はわかるつもりだ。「俳句αあるふぁ」(2006年2-3月号)所載。(清水哲男)


April 0942008

 恋猫のもどりてまろき尾の眠り

                           大崎紀夫

の交尾期は年に四回だと言われる。けれども、春の頃の発情が最も激しい。ゆえに「恋猫」も「仔猫」も春の季語。あの求愛、威嚇、闘争の“雄叫び”はすさまじいものがある。ケダモノの本性があらわになる。だから「おそろしや石垣崩す猫の恋」という子規の凄い句も、あながち大仰な表現とは言いきれない。掲出句は言うまでもなく、恋の闘いのために何日か家をあけていた猫が、何らかの決着がついて久しぶりにわが家へ帰ってきて、何事もなかったかのごとくくつろいでいる。恋の闘いに凱旋して悠々と眠っている、とも解釈できるし、傷つき汚れ、落ちぶれて帰ってきて「やれやれ」と眠っている、とも解釈できるかもしれない。「まろき尾」という、どことなく安穏な様子からして、この場合は前者の解釈のほうがふさわしいと考えられる。いずれにせよ、恋猫の「眠り」を「まろき尾」に集約させたところに、この句・この猫の可愛さを読みとりたい。飼主のホッとした視線もそこに向けられている。猫の尾は猫の気持ちをそのまま表現する。このごろの都会の高層住宅の日常から、猫の恋は遠のいてしまった。彼らはどこで恋のバトルをくりひろげているのだろうか? 紀夫には「恋猫の恋ならずして寝つきたり」という句もあり、この飼主の同情的な視線もおもしろい。今思い出した土肥あき子の句「天高く尻尾従へ猫のゆく」、こちらは、これからおもむろに恋のバトルにおもむく猫の勇姿だと想定すれば、また愉快。『草いきれ』(2004)所収。(八木忠栄)


December 29122013

 はらわたの卵をこぼし柳葉魚反る

                           三宅やよい

る12月21日に行なわれた、第110回「余白句会」の兼題が「柳葉魚(シシャモ)」でした。私はシシャモの産地で育ったので、冬、学校から帰るとシシャモを石炭ストーブの金網にのせて、ひっくり返して、かなり無造作にムシャムシャ食べていました。かつて、私の身体の何%かは、シシャモでできていたのですが、俳句の兼題に出されてみるとむずかしく、たまたま実家に所用ができたことを渡りに舟として、釧路までシシャモを仕入れにいきました。しかし、食べ物としてみていたシシャモを句にするのは困難で、駄句を携えて句会に出席したとき掲句に出会い、膝を叩きました。シシャモの雌は、体の1/4程が卵です。また、養分の半分以上を卵に費やしているでしょう。シシャモの雌の本質は、「こぼれる」ほどの卵をぎりぎりまで増殖するところにあり、焼くと「反る」うごきにつながります。今井聖さんが掲句を高く評価したうえで、「『はらわた』は消化器官を指す語だから生殖器官の卵には付かないのではないでしょうか」と疑問を呈され、精緻な読み方を学びました。句会では掲句が天、地に「火の上の柳葉魚一瞬艶めける」(土肥あき子)。私が狙い撃ちされて天を入れたのが「啄木の釧路の海よ!シシャモ喰う」(井川博年)でした。なお、句会の後の忘年会では、お店に無理を言って釧路より持参したシシャモを炭焼きにして皆でいただきました。清水哲男さんが「シシャモ、うまかったー」。(小笠原高志)


January 0812016

 鷽替へてまた抽斗に放り込む

                           土肥あき子

替えとは、主に菅原道真を祭神とする神社において行われる神事である。鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし木彫りの鷽を新しいものに交換し、今年は吉となることを祈念して行われる。この鷽と言う鳥は四十雀ほどの小鳥でオスの頬の淡い朱色が美しく目を引く。「琴弾鳥」の別名は脚を交互に上げてフィッフィッと鳴く仕草が琴を弾くようなので着いた。梅や桜の蜜をあさり花びらをこぼすのもこの鳥の性。また春が来て今年こそはもっと良い夢を散らしたいなと新しい鷽を抽斗(ひきだし)に大切に仕舞う作者ではあった。他に<夜のぶらんこ都がひとつ足の下><花疲れして懐の猫が邪魔><じゃんけんのあひこは楽し木の実落つ>などなど『夜のぶらんこ』(2009)に所収。(藤嶋 務)




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