April 2842001

 蛙囃せ戦前小作今地主

                           中元島女

戦後しばらくの間ならば、誰もが知っていた「農地改革」を知らないと、理解できない。そこで、手元の『広辞苑』を引いてみる。「(前略)GHQの指令に基づき第二次大戦後の民主化の一環として1947〜50年に行われた土地改革。不在地主の全所有地と、在村地主の貸付地のうち都府県で平均1町歩、北海道で4町歩を超える分とを、国が地主から強制買収して小作人に売り渡した。この結果、地主階級は消滅し、旧小作農の経済状態は著しく改善された」。おおむね正しい説明だけれど、最後の件りは必ずしも正しくないよと、当時の現場の人が言っているのだ。アメリカさんのおかげで「小作」の身分から解放され、自分も夢のような「地主」になることができた。が、経済状態は改善されるどころか、以前よりも苦しくなってしまった。そういうことを、言っている。呑気な現代の辞書のライターにはわかるまいが、在来の大地主がしぶしぶ手放した土地は、多く痩せた土地だったのだ。証拠は、往時の実りの秋を迎えたときに、そこらへんの田畑を見回してみるだけで、子供にすら隠しようもないほどに明白に現われていた。肥沃な土地と痩せた土地との格差は大きい。つまり、アメリカさんは面積の「民主主義」を強制しただけで、肥沃のそれは抜かしてしまったのである。迂闊と言うよりも、ヘリコプターで種を蒔くようなアメリカとの農地の差を、彼らが理解していなかったせいである。だから、せっかくの新米地主も、農民にとっての多忙な黄金週間に、つい愚痴の一つも吐きたくなったというのが、この句だ。「蛙囃(はや)せ」には、名前だけは立派な「地主」たる自分を滑稽に突き放してはみたものの、泣き笑いもかなわぬ不安の心が浮き上がっている。上手な句ではないけれど、このように時代を簡潔に記録することも俳句の得手だという意味で、紹介してみた次第。他意はない。いや、少しはあるかな。ある。『俳諧歳時記・春』(1951・新潮文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます