リ宋句

May 1952001

 市電の中を風ぬけ葵まつり過ぐ

                           鈴木鷹夫

祭の季節。今日は浅草・三社祭の町内神輿(みこし)連合渡御、明日は本社神輿渡御。江戸第一の荒祭として知られ、今でも非常に人気が高い。今年も、ものすごい人出になるだろう。ただし夏祭の元祖は京都の「葵祭(賀茂祭)」で、昔は「祭」と言えば葵祭のことだった。こちらは荒祭とは対極にあり、葵で飾った牛車を中心に、平安期さながらの美々しい共奉の列が都大路を粛々と進む。毎年五月十五日に行われているので、句はちょうど今ごろの京都を詠んだものだ。私の個人的なノスタルジーからの選句だが、「昔のいまどき」の京都の雰囲気をよく伝えている。冷房設備のない市電は窓を開けて風を入れながらゆっくりと走り、近くの山に茂る青葉を背景にして、古い町並みの美しさが際立つ。「風ぬけ」とは薫風の心地よさを言っているのと同時に、祭が終わった後のいささかの「気ぬけ」にもかけられているようだ。やがて、じめじめとした雨の季節がやってくる。それまでのしばしの時を思い、作者は祭の後の静けさのなかで「風」を楽しんでいる。土地土地の祭は季節を呼び寄せ人を呼び寄せ、呼び寄せては消えていく。「荷風なし万太郎なし三社祭」(宇田零雨)。いつに変わらぬ賑わいの祭だが、人もまた消えていき、ついに戻ってこない。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)。(清水哲男)


January 0312002

 双六のごとく大津に戻りをり

                           鈴木鷹夫

語は「双六(すごろく)」で新年。歌ガルタよりもすたれた正月の遊びが、双六だろう。今の子には、もっと面白い遊びがある。私の子供の頃には、少年雑誌の附録に必ず双六があった。組み立てて使うサイコロの付いていたところが、いかにも敗戦直後的。掲句だが、昔の双六の上がりは「京」と決まっていたけれど、近くの「大津(滋賀県)」あたりまで行くと、なかなか上がれない仕組みになっていた。今度こそとサイコロを振っても、また「元に戻る」と出て「大津」に戻される。作者は実際に正月に旅をしているわけだが、何か大津に忘れた用事でも思い出したのか。京都に入る直前から、また大津に取って返した。これではまるで双六みたいだと、苦笑している。ところで『新日本大歳時記・新年』に、草間時彦がこんな文章を寄せていた。初句会では、よく双六などのすたれた遊びも席題となる。「双六という題を貰った俳人は、どうやって句を作ればよいというのだろう。正月の季語の源泉となるしきたりや行事が亡びつつある現代で、正月の季題を詠むにはノスタルジアに頼るよりほかにない。子供の頃をなつかしく思う心である。双六のさいころが青畳の上にころげていたときの思いを現代に生かすのが正月の俳句の作句法だと私は思っている」。同感するしかないが、となれば、掲句はそのノスタルジアを現代に生かした好例と言うべきか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


March 2832005

 蛇穴を出づるとの報時計見る

                           鈴木鷹夫

語は「蛇穴を出づ」で春。ははは、とても可笑しい。面白い。でも、どういうシチュエーションなのだろうか。冬眠から覚めた「蛇」を見かけたという「報」が入った。「ずいぶんまた、今年は早く出てきたな」と思った作者は、途端に無意識に「時計」に目をやったというのである。つまり、そこで普通なら「今日は何日だったかな」と壁に掛けたカレンダーなどで確認するところを、思わずも「いま、何時だろう」とばかりに、時計を見てしまったというわけだ。カレンダー付きの時計もなくはないけれど、そうした種類の時計ではない。あくまでも、普通の時計だからこそ可笑しいのだ。咄嗟の行為だから,シチュエーションとしては電話で報せてきたと考えるのが妥当で,手紙だったらこのような間違いにはいたらないはずだ。作者はとにかく間抜けなことをやっちまったわけだが、しかしこの種の間抜けは、誰にでも思い当たる質の間抜けである。すっかり日常的に身についている行為が,何かの判断ミスから、すっと出てきてしまう。だが、その間抜けは、多く自分にだけわかる性質のものであり、たとえばこのときに誰かが作者の傍らにいたとしても、単に時計を見た作者の行為が間抜けとはわからないわけだ。したがって,間抜けの主人公は一瞬「しまった」と思い,だが次の瞬間には(誰にもそれと悟られなくて)「ああ、よかった」となる。ましてや、この場合の素材が眠りから覚めたばかりでボオッとしているであろう蛇だから,余計に可笑しく写る。そんな微妙な色合いの失敗を、淡々として提出している作者は,おそらく人生の機微をよく知る人なのだろう。『千年』(2004)所収。(清水哲男)


September 2492005

 秋空がまだ濡れてゐる水彩画

                           鈴木鷹夫

語は「秋空」、「秋の空」に分類。近所の井の頭公園を歩いていると、冬の特別に寒い日は別にして、たいてい何人かの人がイーゼルを立てて絵を描いている。そしてたいてい、通りかかった誰かが描かれていく様子を立ち止まって見つめている。私もまたときどき、その誰かのうちの一人になる。掲句の作者も立ち止まって見ているうちに、この句を得た。ちょうど空を塗り終えたところなのだろう。まだ、空の部分が濡れている。「水彩画」なので濡れていて当たり前なのだが、その当たり前を掲句は、現実の「秋空」に投影するかのように捉まえているところが非凡だ。写生画は現実の様子を写すわけだが、作者はその写された画を見て,もう一度それを実際の空に写し返している。そうすると、まるで現実の秋の空が「まだ濡れてゐる」ように思われるのだ。面白いもので、私ももちろんだが、絵を描く人の後ろで見ている人の視線は、その絵と絵の対象との間を行ったり来たりするものだ。つまり、その絵がどれほど実際の形や色彩に近いか、現実そっくりに写しているかを確かめようとするのである。描き手にとっては余計なお世話なのだけれど、掲句はそうした見物人の素朴な好奇心による心理をよく踏まえて作句されている。この句は「俳句研究」(2005年10月号・「自作の周辺」)で知ったのだが、添えられた作者の文章によると、発表後に類句が頻出しているらしい。真似か、偶然か。それは知らねども、多くの人が深く同感できる一句であるのは間違いないところだ。(清水哲男)


December 15122006

 ヘッドライトに老人浮かぶ聖夜かな

                           鈴木鷹夫

人を見かけることが多くなった。幾つから老人というのか、どういうのを老人ふうというのか、そんなことは定かには言えないが、とにかくあらゆる場所に老人が増えている。出生率が減りつづけ、子供は少なく生んで、過保護に育てる。医療は進み平均寿命は延びる。その結果必然的に老人が氾濫する、街にも村にも道路にも。老人やその医療に関する用語も溢れている、介護、痴呆、ケア、独居、寝たきり等々。ヘッドライトをどこに当てても老人が映っている。おお主よ!僕にとって感慨深いのは、全共闘世代と言われた世代が還暦になること。その世代の末端にいた僕は先輩たちの明晰な論理と勇猛なる行動に目を瞠り、鼓舞され、その後の生き方と考え方に大きな影響を受けた。ときには学籍や就職も捨てて、或いは、獄につながれても巨大な権力と闘った学生たちの多くは、その後、意を屈して権力構造に組み込まれていく。僕もまさしく。しかし、先輩、同輩たちよ、もう停年なのだ。資本から、もうお前は要らないと言われたら、退職金だけちゃんともらって、アカンベエをしよう。アカンベエじゃすまないぞ。どてっぱらに一発喰らわせてやる。四十年という時間を買ってくれたお礼参りをしようぜ。『鈴木鷹夫句集』(現代俳句文庫・1999)所収。(今井 聖)


May 2252007

 竹皮を脱ぎて乳もなし臍もなし

                           鈴木鷹夫

や竹林は大昔から日本にあった景色だと思い込んでいたが、平安時代にはごく珍しいものだったようだ。箒や籠などの竹細工の技術は山の民によって伝承され、時間をかけて暮らしに欠くことのできない生活用品となった。また希少であった時代から、成長の早さや生命力、空洞になっている形状などから、竹には神秘的な霊力があると信じられてきたという。実際、初夏の光が幾筋も天上から差し込む竹林のなかで、ごわごわと和毛に包まれた筍が土に近い節から順に皮を脱ぎ、青々とした若竹となる様子は他の樹木などには見られない美しい過程だろう。狂おしいほど一途に竹が伸びる様子は、萩原朔太郎の作品『竹』にまかせるとして、掲句は滑らかな竹の幹を前に、乳房や臍を探すというきわめて俗な視線を持ってきている。これにはもちろん竹取物語の「筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり」を意識し、かぐや姫の十二単を脱がせるようなエロティックな想像をかきたてる。古来より人々が竹に抱いている清らかな幻想を裏切るような一句であるが、作者の諧謔は〈今生は手足を我慢かたつむり〉〈吊されし鮟鱇何か着せてやれ〉にも見られるように、くすりと微笑させたのちであるからこその、消えぬ火種のような切なさが埋め込まれている。『千年』(2004)所収。(土肥あき子)


November 27112009

 出雲発最終便の咳の人

                           鈴木鷹夫

間では神無月が出雲では神在月。旧暦十月十一日から十七日まで出雲で開かれる会議に出席された神々は十八日に「神等去出」(からさで)祭に送られて元の国々にお帰りになる。咳をしている最終便の人はひょっとしたら最後に帰る神さまかもしれない。「出雲」という地名がどういう効果をもたらすか、作者は十分に計算し尽くして用いている。詩人としての才を感じさせるのはこういうところだ。「俳句研究年鑑」(2003)所載。(今井 聖)


July 0272010

 魚屋の奥に先代昼寝せり

                           鈴木鷹夫

よお、大将いる?」「奥で寝てますよ」「いい身分だね、昼間っから寝てるなんて」「昼間っから魚屋冷やかしてる方もいいご身分じゃないんですか」「何言ってんだ、俺は客だよ。魚買いに来てんだ」「ありがとうございます。今日はいい鰺入ってるよ」先代が昼寝しているのがわかったのは、二代目に尋ねたからだ。それで日頃の付き合いがわかる。他人が昼寝している時間に魚屋に行った方も昼間から暇なのだ。ゆったりした時間が流れる。これを晩年と呼ぶならこんな晩年がいいな。「俳句年鑑2010年版」(2009)所載。(今井 聖)


December 18122012

 白鳥の双羽がこひに眠りたし

                           鈴木鷹夫

ャイコフスキーの名作『白鳥の湖』に登場する白鳥は、美しい姫が魔法によって姿を変えられたものだった。鳥のなかでもっとも気高く美しい白鳥にすることで、どれほど美しい姫であったかを想像させる。しかし、イメージの華麗さと異なり、実際の白鳥の着水は体重の重さも相まってどたどたっとしたものだ。オオハクチョウになると体重8キロから12キロ。両翼を広げた状態の差し渡しは2〜2.5メートルというから、掲句に隣合う〈近づいて来る白鳥の大いなる〉の迫力はいかばかりかと思う。「双羽がこひ」という言葉は初見だったが、それが純白の翼をうっとりと打ち重ねた様子であることは容易に想像がつく。そして、その翼の内側のおそらくもっともやわらかい羽毛のなかに抱かれ眠りにつきたいという作者の心持ちにはいたく賛同する。人間は両腕を広げた長さと身長がほぼ同じだといわれる。2メートルの大いなる母に抱かれた夜はどんな夢を見るのだろう。『カチカチ山』(2012)所収。(土肥あき子)




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