笊」q句

July 3072001

 日と月と音なく廻る走馬燈

                           岩淵喜代子

絵仕掛けの回り灯籠。今流に言えば科学玩具だが、物の本によると「中国から伝来したもので、江戸時代初期、宗教的色彩の濃いものからしだいに変化して、元文年間(1736〜41)以後、遊戯的な技巧や工夫が加えられ、夏の納涼玩具として発達した」のだという。作者は「音なく迴る走馬燈」を見ている。その影絵に「日と月」が具体的にあったのかどうかは別にして、「音なく迴る」のは「日と月」も同じであることに思いが至っている。すなわち、この宇宙全体が一種の走馬燈みたいなものではないか、と。この時間も、走馬燈といっしょに「日と月」も廻っているのだ。そのことに思いが至って、また目の前の走馬燈を見つめ直すと、単なる涼感以上の感慨がわいてくるようだ。通いあう句に、角川源義の「走馬灯おろかに七曜めぐりくる」がある。これはこれで捨てがたいが、時空間的に大きく張った掲句は、走馬燈の玩具性をはるかに越えており、そこに作者の手柄が感じられる。影絵のよさは、仮想現実(バーチャル・リアリティ)を目指さないところだ。あくまでも、影でしかないのである。仮想にとどまるのだ。だから、想像力の活躍する余地が大きい。両手を使ってたわむれに障子に写し出すイヌやキツネの影に、目を輝かす子はいまでもたくさんいるにちがいない。『蛍袋に灯をともす』(2000)所収。(清水哲男)


February 1822004

 受験期や深空に鳥の隠れ穴

                           岩淵喜代子

語は「受験」で春。「大試験」の項目に分類しておく。さて、どんな句集にも、いくつかの難解な句が含まれている。今日は、あえてチャレンジしてみたい。しばし、それこそ受験生のように考え込んでしまった句だ。が、チャレンジしたからには答案を白紙で出すわけにもいかないので、一応の解答らしきものを書いてはおくけれど、正解の自信はほとんどない。まず、「深空」で想起される春の鳥といえば、ヒバリだ。鳴きながら真っすぐに舞い上がり、空高くほがらかに囀るが、地上からその姿を認めることはなかなかできない。まるで「隠れ穴」でもあるかのように、彼らは深空に姿を没してしまうのである。では、このことと受験との関係をどう考えればよいのだろうか。ここが思案のしどころだ。そこで「受験期」の「期」に注目して、詠まれているのは自分や身内の受験のことではなく、もっと社会的なひろがりを持った「受験シーズン」一般の現象を指した句だと結論づけた。受験から何歩か引いた醒めた目で、この季節をとらえているのだと……。そう考えると、こうなる。すなわち、この季節には大勢の受験生が志望校を目指して、巣の中のひな鳥たちのように押し合いへし合いしながら、競争に励む。学校の受験会場に集まってくる子供たちの姿には、そんな感じがつきまとう。が、ほんのひとときの受験期の熱気が去ってしまうと、いったい彼らはどこへ行ってしまったのかと思われるほどに、後には何も残らない。学園には、ただいつも通りの生徒や学生の姿が見られるだけなのだ。巣立っていった「受験生」という鳥たちは、みんな深空の隠れ穴にでも入ってしまったのではないのか。と、私の解釈はここらへんまでなのだが、どんなものでしょうか。やっぱり、下手な考えでしょうか。でもこんな具合に、たまには解釈に四苦八苦するのも、頭の体操にはいいですね。ひとつどなたか、名解釈をお願いします。『硝子の仲間』(2004)所収。(清水哲男)


July 0272004

 野外劇場男と女つと立ちて

                           岩淵喜代子

語は見当たらないが、「野外劇場」で催しをやっているのだから、夏と解しておいてよいだろう。近所の井の頭公園に野外音楽堂があるので、ああいうところを連想した。時刻も不明ながら、涼しくなってくる夕暮れ時以降だろうか。作者が催し物を観ていると、目の前あたりに坐っていた「男と女」が「つと」唐突に立ち上がったと言うのである。この「つと」というたった二文字の副詞が実によく効いていて、記憶に残った。「つと」立ったということは、お互いがあらかじめ立つことを示し合わせていたということになる。催しがつまらなかったりして、立とうかどうしようかと逡巡した様子は見えない。示し合わせた時間になったので、催しとは無関係にすぱりと立ち上がったのだ。その上に、この「つと」は二人の関係も暗示しているようである。誰か知っている人に見とがめられると困る関係。いや、二人で見物しているところは見られても構わないのだが、中座するところを見られると困るという事情がある。そんな関係。二人はなるべく早くその場から立ち去りたいので、互いに無言で「つと」立って足早に暗いほうへと消えてゆく。ミステリーめかして言え添えれば、彼らの野外劇見物はアリバイ作りだったのかもしれない。作者はむろん、そんなことをいろいろと思い巡らしたわけではないのだが、「つと」立った「男と女」の後ろ姿に、一瞬自分にも周囲の観客にもなじまない特異な雰囲気を感じて、こう書きとめてみたのだ。あまりにも互いの呼吸が合い過ぎた動作は、秘密裡のそれと受け取られやすく、かえって人目を引いてしまうということになろうか。『かたはらに』(2004)所収。(清水哲男)


October 21102004

 食べるでも飾るでもなく通草の実

                           岩淵喜代子

語は「通草(あけび)」で秋。いただき物だろう。むろん食べて食べられないことはないのだけれど、積極的に食べたいとも思わない。かといって飾っておくには色合いもくすんでいて地味だし、たとえばレモンのようにテープルを明るくしてくれるわけでもないので、困ってしまった。でも、せっかくいただいたものでもあり、先方の好意を無にするようなことはできない。さて、どうしたものか……。作者はさっきから、じいっと通草をにらんでいるのである。ふふっと思わず笑ってしまったが、こういうことは誰にでも経験があるだろう。昔の話になるが、小学生が修学旅行の土産に小さな筆立てをくれたことがある。私には小さすぎて使い物にならなかったのは仕方がないとして、筆立てに大書されていた言葉がいけない。「根性」だったか「努力」だったか。とにかくそんな文字がくっきりと焼き付けられていて、しばし机上に飾るというのもはばかられた。どうしようかと私もしばらくにらんでから、やむを得ず戸棚に保管することにしたのだった。が、句の通草の場合は、まさか戸棚にはしまえない。いったい作者はどうしたのだろうか。『硝子の仲間』(2004)所収。(清水哲男)


June 0662005

 天井に投げてもみたり籠枕

                           岩淵喜代子

語は「籠枕(かごまくら)」で夏。竹や籐(とう)で籠目に編んで、箱枕やくくり枕の形につくったもの。私は持っていないけれど、見た目には涼しそうだ。さて、作者はその枕を「天井」にまで投げ上げてみたとがあると言うのである。思わず笑ってしまった。が、笑った後に、何かしんとした感情も残った。作者が枕を投げ上げたのは、べつに意味あることをしようとしたからではない。ほとんど衝動的に放り上げたのだろうが、こうした衝動は、それが引き起こす行為の過程や結果に意味があろうがなかろうが、人間誰もに自然にわいてくるものだろう。つまり、枕を投げ上げた行為は突飛に写るとしても、その行為の根にある衝動は万人に思い当たる態のものなのである。だから、笑ったのは直接的には作者の不可解な行為に対してなのだが、笑いの対象は、まわりまわれば実は自分自身のこれに似た行為に対してであるということになってくる。このように、その場に誰かがいあわせたとしたら、なんとも不可思議に写るであろう行為を、私たちは日常的に繁く行っているはずである。ひとりでいる気安さからではあるとしても、しかし、こうした行為を抜きにしては、社会的世間的な他者との緊張した交流もまた無いのだと、私は考えている。したがって、しんとせざるを得なかった。そしてまた句に戻り、そこでまた笑ってしまい、それからまたしんとなる……。『硝子の仲間』(2004)所収。(清水哲男)


October 23102005

 芸亭の桜紅葉のはじまりぬ

                           岩淵喜代子

語は「桜紅葉」で秋。「芸亭(うんてい)」は、日本最古の図書館と考えればよいだろう。奈良時代後期の有力貴族であった石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)によって、平城京(現在の奈良市)に設置された施設だ。仏道修行のための経典などが収められていたと、創設経緯などが『続日本紀』(797年完成)に出てくる。しかし、宅嗣の死後間もなくに長岡遷都が行われ、荒廃した平城京とともに「芸亭」も消滅してしまったと思われる。したがって、掲句の「芸亭」は幻である。絵も残されていないので、どんなたたずまいだったのかは誰にもわからない。掲句は、そんな幻の建築物の庭には「桜」の樹があって、こちらは誰もが見知っている「紅葉」がはじまったと言うのである。つまり作者は、幻の芸亭に現実の桜紅葉を配してみせたわけだ。「桜紅葉」は、他の紅葉に先駆けて早い。すなわち、もはや幻と化している芸亭にもかかわらず、そこにまた重ねて早くも衰微の影がしのびよってきた図だと解釈できる。幻とても、いつまでも同じ様相にあるのではなく、幻すらもがなお次第に衰えていくという暗喩が込められた句ではなかろうか。想像してみると美しくも幻想的な情景が浮かんでくるが、その美しさの奥に秘められているのは,冷たい世の無常というようなものであるだろう。「俳句研究」(2005年11月号)所載。(清水哲男)


December 28122005

 荷がゆれて夕陽がゆれて年の暮

                           岩淵喜代子

末の慌ただしさを詠んだ句は枚挙にいとまがないが、掲句は逆である。と言って、忙中閑ありといった類いのものでもない。このゆれている「荷」のイメージは、馬車の上のそれを思わせる。大きな荷を積んだ馬車が、夕陽の丘に消えていく。牧歌的な雰囲気もあるけれど、それ以上にゆったりと迫ってくるのは、行く年を思う作者の心である。すなわち、行く年を具象化するとすれば、今年あったこと、起きたこと、その他もろもろの事象などをひっくるめた大きな「荷」がゆれながら、これまたゆれる夕陽の彼方へと去っていくという図。もちろん夕陽が沈み幾夜かが明ければ、丘の向うには新しい年のの景観が開けているはずなのだ。「年の暮」の慌ただしさのなかにも、人はどこかで、ふっと世の雑事から解放されたひとときを味わいたいと願うものなのだろう。その願いが、たとえばこのようなかたちを伴って、作者の心のなかに描かれ張り付けられたということだろう。そしてこの「荷」は、おそらくいつまでも解かれることはないのである。来年の暮にも次の年の暮にも、永遠にゆれながら夕陽の丘の彼方へと消えていくのみ……。それが、年が行くということなのだ。去り行く年への思いを、寂しくも美しく、沁み入るが如くに抒情した佳句である。現代俳句文庫57『岩淵喜代子句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


July 1172009

 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし

                           岩淵喜代子

元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2007)所収。(今井肖子)


August 2082009

 かはほりのうねうね使ふ夜空かな

                           岩淵喜代子

い頃、暗くなりはじめた屋根の周辺にこうもりはどこからともなく現れた。こうもりの羽根の被膜は背中と脇腹の皮膚の延長で、長く伸びた指を覆うようにして翼となったそうだ。肘を少し曲げたねずみが両手をぱたぱたさせて空を飛んでいるようなもので、鳥のように直線的な飛び方でなく「うねうね」という形容がぴったりだ。夜空を浮き沈みするように飛んでいるこうもりを生け捕りにしようと兄は丸めた新聞の片端に紐をつけこうもりめがけて飛ばしていたが、子供の投げる新聞玉が命中するわけもなくあたりは暮れてゆくばかりであった。深い軒や屋根裏や、瓦の隙間に住んでいたこうもりは住み家がなくなってしまったのか。長い間こうもりを見ていないように思う。夜空をうねうね使いながらこうもりは何処へ飛んで行ったのだろう。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(三宅やよい)


May 2252012

 雲雀には穴のやうなる潦

                           岩淵喜代子

日の金環食の騒ぎに疲れたように太陽は雲に隠れ、東京は雨の一日になりそうだ。毎夜月を見慣れた目には、鑑賞グラスに映る太陽が思いのほか小さいことに驚いた。金環食を見守りながら、ふと貸していた金を返してもらうため「日一分、利取る」と太陽に向かって鳴き続ける雲雀(ひばり)の話を思い出していた。ほんの頭上に輝いていると思っていた太陽が、実ははるか彼方の存在であることが身にしみ、雲雀の徒労に思わず同情する。雲雀は「日晴」からの転訛という説があるように、空へ向かってまっしぐらに羽ばたく様子も、ほがらかな鳴き声も青空がことのほかよく似合う。掲句は雨上がりに残った潦(にわたずみ)に真っ青な空が映っているのを見て、雲雀にはきっと地上に開いた空の穴に映るのではないかという。なんと奇抜で楽しい発想だろう。水たまりをくぐり抜けると、また空へとつながるように思え、まるで表をたどると裏へとつながるメビウスの帯のような不思議な感触が生まれる。明日あたり地面のあちこちに空の穴ができていることだろう。度胸試しに飛び込む雲雀が出てこないことを祈るばかりである。『白雁』(2012)所収。(土肥あき子)


June 0762012

 箱庭と空を同じくしてゐたり

                           岩淵喜代子

庭は箱の中に小さな木や人を配し、川をしつらえ橋を渡したミニチュアの庭だが、どうして夏の季語になっているのだろう。歳時記の皆吉爽雨の解説によると箱庭を作るのは子供の夏の遊びの一つと書かれており、「古い町並みを歩くと軒下などに箱庭がおかれているのを見かけて、日本人の夏を感じる」とある。この頃は心理療法として箱庭を作るのが治療のひとつになっているようだけど、夏空の下で箱庭を作る遊びも楽しそうだ。箱庭を覗きこむ自分の頭上にも箱庭と同じ空がある。空から俯瞰すると自分がいる風景も覗きこんでいる箱庭の風景と同様の小ささで、人という存在がいじらしく思える。『白雁』(2012)所収。(三宅やよい)


November 11112012

 立冬や浮き上がりさうな力石

                           岩淵喜代子

の姿ということを意識しないままに読み、作ってきましたが、もしかしたら、この句にはそれがあるのかもしれません。何度読み返してみてもわからない句なのですが、それでもしばらくの間、この句から目を離せられないからです。まず、「立冬」で始まり、「力石」で終わる、この納まりのよさ。漢字二字を上下に配置した姿です。増俳では、横書きになりますが、この句を縦書きにしてみてください。「立冬」は暦のうえの言葉ですが、この日、空を見上げて冬を予感する人もいるでしょう。それに対して「力石」は寺社の境内にあって、昔は力試しに持ち上げられたそうですが、今は地面に黙って鎮座しています。文字の上下と事象の天地が対応していることによって、句の姿が安定しています。ところが、中七が全く不安定で、第一に字余り、第二に「浮き上がりさうな」という内容です。「浮き上がりさうな力石」とは、どこの、どんな、どれくらいの大きさの力石であるのか、その時の天候は、そして作者の心のもちようはどのような状態であったのか、不明です。つまり、中七は謎です。しかし、立冬は確かに今年もやって来て、力石は、日本中の寺社に遍在しています。季節は確実に繰り返し、力石は不易の姿。掲句に生物は登場しませんが、天地の間を徘徊して、ときに、幻視してしまう風羅坊(「笈の小文」)の姿が見え隠れするようです。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)


November 28112014

 田鳧群れ冠羽を動かさず

                           岩淵喜代子

鳧(タゲリ)は頭に反り返った冠羽(かんむりばね)がある冬鳥で、刈取り後の田や草地に群れて、ミューミューと猫のように細く鳴く。警戒心が強くすぐに飛び立つ習性がある。ふわりふわりとした羽ばたきも特徴である。チドリ科の30cm位の鳥でちょこまかと歩く。顔立ちがすっきりした鳥なので双眼鏡でいくら見ていても飽きない。一群れの田鳧のその見飽きない冠羽を観察していると彼等も息を詰めこちらを眺める。冠羽の動きも止まった。じっと静かに対峙する時が流れてゆく。他に<夏満月島は樹液をしたたらす><誰かれに春䡎の火種掘り出され><僧といふ風のごときを見て炬燵>などあり。『岩淵喜代子句集』(2005)所収。(藤嶋 務)


May 1752015

 箸置きを据ゑて箸置く薄暑かな

                           岩淵喜代子

の美学です。主は、箸置きと箸を膳という平面に据え置いて、会食の起点を設置しています。それは、客のお手元です。今のところ他には何もない。料理はまだ運ばれていません。何もない空間だからこそ、料理はつぎつぎに運ばれる余地があり、客も主も箸を使い箸を置き、自由にふるまえます。演出家のピーター・ブルックに『何もない空間』という著作があります。舞台上で俳優が演技の自由を獲得するためには、大道具・小道具・舞台美術を最小限にすべきだという演出論です。たしかに、彼の舞台でよく使われる小道具は一本の長い棒で、それは時に空間の仕切りとなり、時に槍になります。一本の棒があれば、俳優と観客との想像力によって舞台空間は可動的になります。むしろ、豪奢な大道具はそれが足かせとなって、舞台を固定的にすることがあり、ピーター・ブルックは、著書の中でそれに警鐘を鳴らしています。そんなことを思い返しながら掲句を読むと、一膳の箸は、一本の棒のごとくシンプルゆえに自在です。挟み、運び、切り、刺す。客と主の所作には、もてなされもてなす遊びの心がありましょう。その舞台が膳であり、箸は巧みに動きつくして箸置きに置かれます。さあ、紗袷せに身を包んだ粋客がいらっしゃいました。やや汗ばんだ肌を扇子であおぎながら、正座して膳につきました。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)


February 1422016

 鵜の列の正しきバレンタインの日

                           岩淵喜代子

日、日曜のバレンタインデーとなりました。会社や学校では、金曜日に義理チョコ・友チョコが配られたのか、それとも、明日月曜にこれが行なわれるのか。一方で、日曜の今日、わざわざチョコを手渡されたのなら、それは義理ではない友だち以上の本命宣言でしょう。今日手渡されるチョコの純度は高いようです。最近の義理チョコには、義理100%、80%、、50%、、10%、、といった「義理度」が数値化されている品が売られていて、物心がついた時から何かと数値に翻弄されてきた男たちの心をもてあそぶ商品が登場しています。また、宅急便もこの日曜をターゲットにしたスモールサイズが登場し、日本独特のこの風習が、巧みな商魂によって作られた仕掛けであることを物語 ります。 さて、掲句の鵜の列には二通りの読み方が可能です。河畔で魚を狙う鵜が、各々縄張りを確保するために等間隔に佇んでいる様です。この秩序は、義理やしがらみや本音や恋情を一個のチョコに託してパッケージとして渡す形式的行動に通じます。一方、空を飛んでいる鵜なら、その隊列は整然としたV字飛行ですから、バレンタインのV。天地に鵜有り、人に情あり、口にチョコ。『螢袋に灯をともす』(2000年)所収。(小笠原高志)


July 0172016

 水中に足ぶらさげて通し鴨

                           岩淵喜代子

冬の湖沼に渡来する真鴨は、翌年の早春に再び北方に帰っていくが、夏になっても帰らないで残り、巣を営んで雛を育てる。青芦が伸びた湖沼に、静かな水輪の中に浮かんでいる姿は、やや場違いの感じを受けるが、どこかさびしげで哀れでもある。因みに四季を通じて日本に滞留する軽鴨(かるがも)とか鴛鴦(おしどり)は通し鴨とは言わない。やることを全て終えてのんびりと水中に足をぶらさげている。餌も付けずに釣竿を垂らす釣り人の前をゆったりと流れて行く。何だか温泉の足湯にでも浸かってのんびりとしたくなった。他に<己が火はおのれを焼かず春一番><その中の僧がいちばん涼しげに><湯豆腐や猫を加へて一家族>などなど。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(藤嶋 務)




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