yM句

December 07122001

 実のあるカツサンドなり冬の雲

                           小川軽舟

語は「冬の雲」。季節によって雲の表情は変化するので、それぞれの季節を冠して季語として独立している。「冬の雲」は暗く陰鬱なものと、晴れた日の美しく晴朗なものとがある。掲句の雲はどちらだろうかと一瞬戸惑って、前者だろうと判断した。すなわち「実(じつ)のあるカツサンド」のように、ずっしりとした分厚い雲だ。たしかに「カツサンド」には、実のあるものとないものとがある。いくらカツの量が多くても、パンとしっくり合っていなくて、お互いにソッポを向いているようなのがある。食べるときに、両者がとにかく意地悪く分離してしまい、始末におえない。そこへいくと、たとえば私の好きな「井泉」のそれは、まことに両者の肌合いがしっくりいっており、特別にカツが大きいわけじゃないのに、作者言うところの「実」があるとしか言いようがないのだ。この「実のある」という措辞を「カツサンド」に結びつけたセンスの良さ。加えて、食べた後(最中でもよい)の満足感を「冬の雲」に反射させた感度の良さに感心した。「実のあるカツサンド」を食べたからこその「冬の雲」は、単に陰鬱とは写らずに、むしろ陰鬱の充実した部分だけが拡大されて写る。そうした「冬の雲」の印象は誰にでもあるはずなのに、それを作者がはじめて言った。ささやかであれ、一般的に満ち足りた心は、直後(最中)の表現などはしない、いや、できない。そこのところを詠んだ作者の粘り腰に、惚れた。俳誌「鷹」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


March 1032002

 我法学士妻文学士春の月

                           小川軽舟

集の他の句から推察して、作者が学生結婚だったことがうかがわれる。「水仙や学生妻の紅を引く」。したがって、掲句は春三月に二人そろって卒業したことへの感慨である。いや、感慨というよりも偶感と言うべきか。偶感のほうが、春の月には似つかわしい。すなわち、卒業と同時に二人とも「学士」なるものになっちゃったんだと、ふと思ったのだ。そのあたりの可笑しみ。句集の序文で藤田湘子は「近頃の青年はこうしたことをぬけぬけと言うのか」と思ったと書いているが、別に「ぬけぬけ」でも「しゃあしゃあ」でもない。「学士様ならお嫁にやろか」と言われた戦前ならばともかく、戦後のおおかたの大学卒業者には、おのれが学士であるなどと認識している人のほうが珍しいだろう。日本で学士制度が現れるのは1872年(明治五年)の学制からで、学位の一つであったが、86年(明治十九年)の帝国大学発足以後「学士」は称号となり、三年在籍を要件とした。現在の新制大学では四年在籍を履修要件とし、称号扱いである。この称号すらもが、もはや気息奄々の状況なのだから……。夫婦そろっての学士などとは、大昔ならば大変な快挙だと誉めそやされたかもしれないが……と、そんなこともちらりと頭をよぎり、作者は苦笑しているのである。作者の句に至る事情は知らなくても、掲句単体を読んで苦笑する読者も、かなりおられるのではあるまいか。『近所』(2001)所収。(清水哲男)


August 2382002

 露草や分銅つまむピンセット

                           小川軽舟

分銅
語は「露草(つゆくさ)」で秋。雑草と言ってよいほどに、昔はどこてでも見かけられたが、最近はずいぶんと減ってしまった。花は藍色で、よく見ると、まことに微細にしてはかない味わいがある。その自然の微細と人工的な微細とを重ね合わせた掲句は、一瞬読者の呼吸を止めさせるように働きかけてくる。「分銅(ふんどう)」は、化学薬品などを精密に計量するための錘(おもり)だ。計り方そのものは単純で、上皿てんびんの片方に計りたい物を乗せ、片方に分銅を何個か乗せて釣り合いを取るだけ。父が化学に関わっていたので、写真と同じセットが我が家にもあった。分銅は付属の「ピンセット」で取り扱い、指を触れたり、落として傷をつけることのないよう注意しなければならない。「校正」と言うそうだが、そんな分銅の誤差を専門的に修正する商売までがある。何を計ったのだったか。実際に計らせてもらったときには、小さな分銅をつまんで乗せるまでは、ひとりでに呼吸が止まるという感じだった。息をすると、つまんだピンセットが震えてしまう。それほどに緊張を強いられる作業を専門としてつづけている人ならば、おそらく露草などの自然の微細なはかなさにも、思わず息を詰めるのではなかろうか。句の情景としては、たとえば大学の古ぼけた研究室の窓から、点々と咲く露草の様子が見えている……。『近所』(2001)所収。(清水哲男)


April 1042003

 げんげ田や花咲く前の深みどり

                           五十崎古郷

語は「げんげ田」で春。「春田(はるた)」に分類。昔の田植え前の田圃には、一面に「げんげ(紫雲英)」を咲かせたものだった。鋤き込んで、肥料にするためである。いつしか見られなくなったのは、もっと効率の良い肥料が開発されたためだろう。これからの花咲く時期も見事だったが、掲句のように、「花咲く前の深みどり」はビロードの絨毯を敷き詰めたようだった。それがずうっと遠くの山の端にまで広がっているのだから、壮観だ。もう一度、見てみたい。句は単に自然の色合いをスケッチしたようにも写るけれど、そうではなくて、紫雲英の「深みどり」には、胎生している生命力が詠み込まれているのだ。むせるように深い、その色合い……。春夏秋冬、折々の自然の色合いは刻々と変化し、常に生命についての何事かを私たちに告げている。連れて、私たちの感受の心も刻々と動いていく。知らず知らずのうちに、私たちもまた、自然の一部であることを知ることになる。やがて紫雲英の花が咲きだすと、子供だった私たちにですら、圧倒的な自然の生命力がじわりと感じられるのだった。「げんげ田の風がまるごと校庭に」(小川軽舟)。校庭で遊ぶ私たちへの心地よい風は、農繁期の間近いことを告げてもいた。もうすぐ、遊べなくなるのだ。子供が、みんな働いていた時代があった。『五十崎古郷句集』(1937)所収。(清水哲男)


September 2292004

 灯火親し英語話せる火星人

                           小川軽舟

語は「灯火親し(む)」で秋。そろそろ、この季語が似合う季節になってきた。本意では本を読むための「灯火」とは限らず、一家団欒などの灯でもよいのだが、読書を詠むときによく使われてきた。掲句も、読書の句だ。いわゆるSFものを読んでいるのだろう。最初は何気なく読み進めていたのだが、そのうちにおやっと気がついた。登場してきた火星人が、当たり前のように「英語」を話しているではないか。ここで読者には作者が英語の小説を読んでいることが知れるが、考えてみれば確かに変である。小説だから仕方が無いと言えばそれまでだけれど、いかに優れた知能の火星人とはいえ、一度も地球上で暮らしたことが無い者に、地球人の言葉が話せるはずは無い。言葉とは、そういうものだ。火星人に地球人と同じような構造の言葉があるわけはないし、仮に話すというコミニュケーション手段があるとしても、地球人同様の環境と生来的に備わった五感とがなければ話は通じないだろう。十数年前にコンピューター雑誌で、宇宙人との交流手段を真剣に研究している人の論文を読んだことがある。彼は、むろん地球人的な意味での言葉の概念を捨てるところから出発していた。当然である。それはともかく掲句の作者は、そうしたことに気づいてにやりとしたのだ。苦笑でもあるが、しかしそこがまた楽しいなという微笑でもある。これからは夜が長くなりますね。ENJOY! 『俳句研究』(2004年10月号)所載。(清水哲男)


July 0472008

 牛冷すホース一本暴れをり

                           小川軽舟

い頃、父に牛の品評会に連れて行ってもらった記憶がある。真黒な牛ばかりだったような。磨き込んだ牛の黒は独特、てらてらとして美しく輝く。農耕用の牛は泥だらけ。農作業のあと川や海に入れて体を冷す。牛の漫画をよく書いた谷岡ヤスジは一時売れに売れて、過労死のごとく早世してしまった。「オラオラオラ」や「鼻血ブー」が流行語になり、キャラクターとしては「バター犬」と並んで煙管をふかす牛「タロ」が一世を風靡した。牛の風貌はどことなくユーモアが漂う。牛を洗っているホースが暴れている。冷されている牛の方にではなくホースに焦点が当たっているところがこの句の新味である。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


November 04112008

 十一月自分の臍は上から見る

                           小川軽舟

には「へそまがり」「臍(ほぞ)を噛む」など、身体の中心にあることから派生したたくさんの慣用句がある。そして、掲句の通り、確かに自分の臍は、鏡に映さない限り、普段真上から見下ろすものだ。身体の真ん中にある大切な部位に対して「上から見る」の視線が、掲句にとぼけた風合いを生んでいる。自分の身体を見ることを意識すると、足裏のつちふまずはひっくり返してしか見ることはできないし、お尻は身体をひねってやっぱり上からしか見ていない。つむじやうなじなど、自分のものであるはずなのに、どうしたって直接見ることのかなわない場所もある。十一月に入ると、今年もあとたった二ヵ月という焦燥感にとらわれる。年末というにはまだ早いが、今年のほとんどはもう過ぎていった。上から眺める臍の存在が、十一月が持つとらえどころのない不安に重なり、一層ひしゃげて見えるのだった。〈夜に眠る人間正し柊挿す〉〈偶数は必ず割れて春かもめ〉『手帖』(2008)所収。(土肥あき子)


January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


September 2492010

 夢見ざる眠りまつくら神の旅

                           小川軽舟

暦10月神々が出雲大社に集まるために旅をすることを「神の旅」というのだが、どうも趣味的というか、極めて特殊な季語に思えて僕自身は用いたことはない。神道の熱心な信者でもないかぎりそんなことをつくづくとは思わないだろうから、これはキリスト教の聖何々祭というのと同様だろうというと、そんなことはない、日本の民衆の歴史の中に神事は今日まで具体的に生きていると反論されることもある。しかしである。俳句が神社仏閣を詠い、特殊な俳句的情緒を演出するために用いられてきたというのも事実である。どうしても「神の旅」を詠いたければ、方法の選択は二つ考えられる。ひとつは正攻法。「神の旅」の本意を十分に探った上で、そこに自分の独自の感覚や理解を付加することだ。もう一つは「神」の「旅」というふうに季語を分解してふつうの言葉として使うこと。これはどんな神のどんな旅でもいいということ。しかし、この場合、神の旅は厳密に言えば季語にならないだろう。僕はこの句は後者だと思う。作者の思念の中にある神は日本の神事の中の神に限定されない。夢を見ないのも眠りがまっくらだったと「思う」のも作者自身の思い。そういう意味ではこの「神」は作者自身にも思えてくる。我等人間一人一人が実は神なのだという認識にも通じてくる。『シリーズ自句自解1ベスト100小川軽舟』(2010)所収。(今井 聖)


April 2142011

 ことば呼ぶ大きな耳や春の空

                           小川軽舟

は閉じれば嫌なものを見なくてすむ。鼻は息をつめればある程度匂いを遮断できる。口を閉じれば話さなくてすむ。なのに耳だけは自分の意思で塞ぐことはできない。ほかの器官がだめになっても耳だけは最期の最期まで機能しているとどこかで聞いたことがある。掲句での「大きな」は耳自体の大きさをあらわすだけでなく、よく人の話しを聞く賢い耳なのだろう。人に語らせる力を持つ耳。人を動かすのは気のきいた言葉や雄弁さではなく、相手の語る言葉の真意がどこにあるのか注意深く聞きわける力かもしれない。そう思ってみても簡単には「大きな耳」の持ち主になれるわけもなく、そんな耳を持つ人に憧れるばかりである。そんな耳の持ち主は和やかな春の空に似通っていて、語る人を包み込む優しさを持っているのだろう。『新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


January 2212013

 雪景色女を岸と思ひをり

                           小川軽舟

に縁遠い地に生まれたせいか、降り積もった雪の表情が不思議でならない。川にぽつんぽつんと雪玉が置かれているように見えたものが石のひとつひとつに積もった雪であることや、くっきりと雪原に記された鳥の足跡が飛び立ったときふつりと途絶えているのさえ、神秘に思えていつまでも見飽きない。女を岸と思うという掲句は、ともすると「男は船、女は港」のような常套句に惑わされるが、上五の雪景色がひたすら具象へと引き寄せている。村上春樹が太った女を「まるで夜のあいだに大量の無音の雪が降ったみたいに」と描写したように、川へとうっとりと身を寄せるように積もる純白の雪の岸には、景色そのものに女性美が備わっている。一面の雪景色のなかで、なにもかもまろやかな曲線に囲まれた岸と、そこに滔々と流れる冷たい水。雪景色のなかの岸こそ、女という生きものそのものであるように思えてくる。〈木偶は足浮いて歩めり燭寒く〉〈河馬見んと乗る木の根つこ春近し〉『呼鈴』(2012)所収。(土肥あき子)


November 18112013

 かつてラララ科学の子たり青写真

                           小川軽舟

ずは「青写真」の定義を、Wikipediaから。「青写真(あおじゃしん、英: cyanotype)は、サイアノタイプ、日光写真ともいい、鉄塩の化学反応を利用した写真・複写技法で、光の明暗が青色の濃淡として写るためこう呼ばれる」。句では「日光写真」を指している。小春日和の午後などに「ラララ科学の子」である鉄腕アトムの種紙で遊んだ子どもの頃の回想だ。当時はそうした遊びに熱中していた自分を立派な「科学の子」だと思っていた。が、日光写真はたしかに科学的な現象を応用した遊びではあったけれども、その遊びを開発したわけじゃなし、とても「科学の子」であったとは言えないなと、微苦笑している図だろう。本格的な青写真はよく建築の設計図に利用されたから、敷延して「人生の青写真」などとも言われる。この句には、そんな意味合いもうっすらと籠められているのだと思う。往時茫々。『呼鈴』(2012)所収。(清水哲男)


December 26122014

 正月は留守にする家鶲来る

                           小川軽舟

月の留守は実家への帰郷とか連休利用の旅行など普段の生活拠点を離れる事が多くなる。十月を過ぎる頃にはそんな正月の予定をあれこれ立てる。ふいと「ヒッヒッ」と火打石を打つ音に似た鳥の鳴き声が聞えた。尉鶲(ジョウビタキ)である。例年通り渡来し例年通りわが家の庭木に止まった。そんな律義さがこの鳥にはある。オスは赤褐色の腹部や尾が鮮やかで翼の黒褐色とそこにある白い斑点がしゃれている。よく目に留まる高さに飛びまわるので目につきやすい。今年もやって来たなと安心しつつも人は自らの旅の準備に思いをはせる。旅は良い、心細くなるような冬の旅が良いと飽食の都会生活にこころ腐らせた身には思えるのである。他に<初冬や鼻にぬけたる薄荷飴><しぐるるや近所の人ではやる店><綿虫のあたりきのふのあるごとし>などあり。「俳句」(2013年2月号)所載。(藤嶋 務)


October 12102015

 晩秋や妻と向きあふ桜鍋

                           小川軽舟

の生まれた背景を日記風に綴った句集より、本日の日付のある句。俳句は日常のトリビアルな出来事に材を得る表現でもある。言ってみれば、消息の文芸だ。読者はしばしば作者と同じ季節と場所に誘われ、そこに何らかの感慨を覚える。むろん、覚えないこともあり得る。作者によれば、妻と桜鍋を囲んだのは「みの家」だそうだが、この店なら違う支店かもしれないが、私もよく知っている。久しぶりの妻との外食だ。考えてみれば、妻と待ち合わせての外食の機会はめったにない。どこの夫婦でも、そうだろう。だから久しぶりにこうして外で顔を突き合わせてみると、ちょっと気恥ずかしい感じがしないでもないけれど、お互い日常的に知り抜いた同士だからこその、なんだか面はゆい感覚が良く出ているのではあるまいか。「さあ、食うぞ」という友人同士の会合とはまた一味も二味も違う楽しさも伝わってくる。『掌をかざす・俳句日記2014』(2015)所収。(清水哲男)


May 1452016

 葉桜や好きなもの買ひ夕餉とす

                           小川軽舟

成二十六年の一月一日から十二月三十一日まで、一日一句の俳句日記を一冊にまとめた『掌をかざす』(2015)より五月十四日の一句。新緑の風の中、ベランダにテーブルを出して乾杯、という気になるのも今頃だ。そういえば今週始め連休明けの月曜日、そろって仕事が休みで外食でもとぶらりと出かけたのだが結局ベランダでビールとなった。外食に比べれば高いお刺身でも安上がり、などと言いつつスーパーに行きそれぞれ好きなものを選ぼうということになり、揚げ物を家人が手に取っても止めておけばとは言わず、普段買わないようなお惣菜をあれこれ買って帰りテーブルに並べた。買ったものばかりをパックのまま、という後ろめたさはなく美味しいビールが飲めたのも、葉桜がまだ軽やかに光っているこの季節だからこそだろう。前出の俳句日記のあとがきに「俳句はささやかな日常を詩にすることができる文芸である」とある。日々のつぶやきで終わらない四季折々の詩が並んでいる。(今井肖子)




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