ト山句

January 0212002

 封切れば溢れんとするかるたかな

                           松藤夏山

語は「かるた(歌留多)」で新年。カルタ(語源はポーランド語、イスパニア語という)にもいろいろ種類があるが、この場合は小倉百人一首による歌ガルタだろう。正月のカルタ会。若い男女の交際の場にもなったので、戦前まではとくに盛んだったらしい。歌ガルタは子供用のいろはカルタなどとは違い厚みがあるので、新しいカルタの紙封を切ると、実際「溢れ」るように箱から盛り上がる。その瞬間をとらえた掲句は、作者の弾む心と照応している。楽しい気分の盛り上がりをカルタのそれに託したところが、いかにも言い得て妙だ。私の若い頃には、もう歌カルタは一般的にはすたれかけており、それでも数度カルタ会に参加した記憶はある。最初は急な呼びかけだったので、百人一首を諳んじていない当方としては、大いにあわてた。窮余の一策で数種だけ覚えて出かけ、それだけをひたすら待ちかまえて取ったのだった。なかで、今でも覚えているのは「天つ風雲の通ひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ」くらいかな。子供時代はいろはガルタ専門で、幼年期に最初に買ってもらったカルタには、昨年亡くなった横山隆一の漫画キャラクター「フクちゃん」の絵が描かれていた。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)などに所載。(清水哲男)


August 2682004

 抱へゆく不出来の案山子見られけり

                           松藤夏山

語は「案山子(かがし)」で秋。「かかし」と発音する人のほうが多いと思うが、「かがし」と濁るのが本来だ。大昔には鳥獣の毛や肉を焼いて、その臭いで害鳥などを追い払った。つまり「嗅がし」に語源があるので濁るというわけである。この句を読んであらためて、案山子にもちゃんと作者がいるのだと気づかされた。当たり前といえば言えるけれど、通りすがりに眺める人のほとんどが、作者の存在には思いが及ばないだろう。よほど目立つ傑作は別にして、作りの上手下手なども気にはかけない。それに案山子の役割は害敵を追い払うことなので、人の目から見た巧拙が、そのレベルの高低で鳥たちに通じるかどうかも疑問だ。「なんだ、こりゃ」みたいな下手っぴいな作りの案山子が、いちばん効果を上げるかもしれないのである。いくら造形的に優れていても、効果がゼロなら話にもならない。要するに、当事者以外はどんな案山子だって良いじゃないかと思うしかないのである。ところが句の作者のように当事者ともなると、事情は大きく変わってくる。そこはそれ近所の手前もあって、そう下手なものは作れない。が、結果は無惨な案山子が出来上がり、立てないわけにもいかないのでコソコソと隠すようにして運んでいる途中で、不運にも「見られけり」。冷や汗が吹き出たことだろう。笑っちゃ悪いけれど、思わずも笑っちゃった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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