Si句

January 2612002

 木偶の眼のかたりとねむる寒夜かな

                           郡司正勝

者は、歌舞伎研究家として著名。句集が二冊あることを、大岡信の著書で知った。「木偶(でく)」は、あやつり人形。この場合は、文楽の人形のことだ。舞台で生命あるもののごとく動く人形に、寒夜思いを馳せていると、舞台を下りてもなお、吹き込まれた生命のままにある姿が浮かんでくる。と、「かたり」とかすかな音がした……。「かたり」と音をさせ瞼を閉じて、いま人形が眠りに就いたのである。もとより想像の世界ではあるけれども、さながら実景のように心に沁みる。「かたり」と「寒夜」の「カ」音の響きあいも、冬の夜の厳しい寒さに通じて秀逸だ。他方で「ねむる」の平仮名表記は、眠りに落ちる安らかさを表現するためのそれだろう。楽屋かどこか、寒気に満ちた殺風景な部屋に置かれた人形だが、決して荒涼たる思いで眠りに就いたのではない。作者の人形に対する愛情が、この平仮名表記に込められたのだと思う。眠る人形といえば、寝かせると眼を閉じる女の子のための玩具人形がある。あれは、どことなく気味が悪い。本物の人間に近づけようとした工夫であるには違いないが、文楽人形とは異なり、ただ一つの機能に特化した工夫だからだ。生きて見えるのは眼だけで、全身の機能と有機的に連動していないからである。『かぶき夢幻』所収。(清水哲男)


October 11102007

 菊の香や仕舞忘れてゐしごとし

                           郡司正勝

は天皇家の紋章にもなっているので古くから日本独自の花と思っていたがそうではないらしい。万葉集に菊の歌は一首も含まれていないという。奈良時代、まずは薬草として中国から渡来したのが始まりとか。中国では菊に邪を退け、長寿の効能があるとされている。杉田久女が虚子へ贈った菊枕はその言い伝えにあやかったのだろう。沈丁花や金木犀は街角で強く匂ってどこに木があるのか思わず探したくなる自己主張の強い香りだが、菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる匂いのように思う。菊は仏事に使われることも多く、掲句の場合も大切な故人の思い出と結びついているのかもしれない。胸の奥に仕舞いこんだはずなのに、折にふれかすかな痛みをともなって浮き沈みする記憶とひっそりとした菊の香とが静謐なバランスで表現されている。作者の郡司正勝は歌舞伎から土方巽の暗黒舞踏まで独自の劇評を書き続けた。「俳句は病床でしか作らない」とあとがきに綴っているが、句に湿った翳りはなく「寝るまでのこの世の月を見てをりぬ」など晩年の句でありながら孤独の華やぎのようなものが感じられる。『ひとつ水』(1990)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます