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April 2642002

 南朝に仕へたる太刀飾りけり

                           民井とほる

錦の御旗
語は「武具飾る」で夏。端午の節句を前に、兜や太刀を飾ること。いまどきこうした家庭は少なくなったろうが、ウソかマコトかは知らねども、それなりの家の由緒をあらわす武具を受け継いでいる家は、地方の旧家に多かった。作者の家でも、吉野に逃れた後醍醐天皇に仕えた証拠の「太刀」が先祖代々の宝物として残されてあり、五月の節句には必ず飾ってきたのだ。飾った太刀を眺めている作者は、ずいぶんと誇らしげである。このへんが人間の面白いところで、六百年以上も昔の政変が身近に感じられ、武者ぶるいの一つもしかねない。世に南朝びいきは多いけれど、それはもとより後醍醐天皇の悲運の生涯への同情もある。が、こうした曰くありげな武具が、そこらへんにたくさん残されていることにもあるだろう。所有者は武具の真贋なんぞは問題ではなく、いや問題になどしたくなく、理屈抜きに南朝びいきになってしまう。そのひいきする心がまた、武具をより本物に仕立て上げるとでも言うべきか。この太刀ないしは刀袋に紋が付いているとすれば、新田義貞が後醍醐天皇より賜ったという「日月(じつげつ)」のそれであるはずだ。倒幕の官軍がひらひらさせて進軍した「錦の御旗」に刺繍されたものと、デザイン的には多少の変化が見られるようだが、同じ出自の紋である。写真は、江戸東京博物館のページから引っ張ってきた。実際に倒幕のときに使用された「錦の御旗」だという。東征に従軍した伊予大洲(いよおおず)藩に、薩摩藩を通して下賜されたと伝えられている。しばしば私たちは何かを批判するときに、相手を「錦の御旗」持ちと揶揄したりするが、具体的な旗のイメージを知る人は少ないと思うので……。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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