June 012002
モンローの忘れ睫の美女柳杉本京子季 May 312002 雷落ちて八十年を顧る後藤夜半季語は「雷(らい)」。日本海側では冬にも多いが、全国的には夏に最も多いことから、夏季としている。句は、落雷後の束の間に働いた心の動きをそのまま述べている。よほど近くに落ちたのだろう。有無を言わせぬ雷鳴と轟音で、その後しばらくの間は、頭のなかが真っ白になった感じがする。助かってよかっただとか、どこに落ちたのだろうなどと思う以前に、限りなく一瞬に近い束の間の空白が生じる。その空白のなかで、作者は「八十年を顧(かえり)」みたと言う。むろん、束の間のことだから、長く生きてきた人生のあれこれのことを具体的に回想できたわけではない。瞬間、何かがさあっと頭のなかを通り過ぎていった。それが自分の歴史からは抜き難いエッセンスだったような気がして、「八十年を顧る」と書き留めたのである。したがって、掲句には顧みた感慨は何も含まれていない。「夢のごとし」のような諦観もない。ただ、自然に心がそう働いたことへの不思議な充実感を述べている。人は死ぬときに、一生のことを走馬灯のように思い出すものだとは、よく聞く話だ。死んだことがないのでわからないけれど、死に際の回想も、もしかすると句のような性質のものかもしれない。と、これはついでに思えたことである。遺句集『底紅』(1978)所収。(清水哲男) May 302002 香水や優柔不断盾として佐藤博美季語は「香水」で夏。身だしなみを整え、これから外出するところ。でも、心弾む外出ではない。先方では難題が待ち受けていて、何らかの態度を決めなければならないのだ。どう応接すべきか。いくら思案しても、どうしたらよいのか結論が出ない。決めかねたままに、外出の時間が迫ってきた。で、仕上げの香をしのばせながら思い決めたのが「優柔不断」……。今日のところはこれを「盾(たて)」として、結論をもう少し先延ばしにするしかないだろう、と。男であれば、さしずめネクタイを締めながら心を決める場面だ。言われてみれば、優柔不断もたしかに堅牢な盾となる。香水の句で有名なのは、中村草田男の「香水の香ぞ鉄壁をなせりける」だ。この「鉄壁」の本質が、実は女性の優柔不断だったらどうだろうと思うと、草田男の生真面目さに切なさと可笑しさが同時にこみあげてくる。ところで、この句を読んであらためて気がついたのは、私は外出寸前に態度を決めることが多いということだった。難題に対してばかりではなく、気ままな遊びでのコース選びについても同様だ。目的地までのバスや電車のなかでは、なかなか考えがまとまらない。というよりも、ほとんど思考停止の状態になってしまう。変更する時間の余裕はたっぷりあっても、結局は家で決めた通りの道筋をたどることになる。すなわち、家から持ちだした盾を後生大事に抱えてしか歩けないというわけだ。なんでしょうかねえ、これって。『私』(1997)所収。(清水哲男)
|