勉強することがありすぎて却って手がつかない。これではならじ。今日明日は徹しよう。




20020608句(前日までの二句を含む)

June 0862002

 夜の雲やラムネの玉は壜の中

                           真鍋呉夫

語は「ラムネ」で夏。一読、漠然たる不安な感じに誘われた。月が出ているのだろう。いくつもの雲の端のほうが、月光を反射して少し明るくなっている。濁った色合いの雲だ。それらの雲が風に乗って移動していく様子を、作者は「ラムネ」を片手に眺めている。「夜の雲」ではなく「夜の雲や」というのだから、そんな雲に心を引かれていることがわかる。では、どのように引かれているのか。それが中七下五句で明らかにされ、明らかにされると同時に不安感が立ち上るという仕組みだ。さて「ラムネの玉」もまた、いささかの濁った色合いを持っている。決して、透明ではない。しかも半透明の「壜(びん)の中」にあるので、なおさらに濁りを帯びて見える。雲の色は天然自然の濁りであり、ひるがえってラムネの玉のそれは人工の濁りだ。このときに作者は、自分がまるで瓶の中の玉のようだと感じたのだと思う。いかに純粋を希求してもついに透明にはなることは適わず、濁りを帯びたままの存在であるしかないのだ、と。しかもその濁りは、夜の雲のように天然自然に発したものではなく、あくまでも人工的なそれでしかない。こう読むと、壜は文明社会を暗示しており、玉は好むと好まざるとに関わらず文明社会に取り込まれた人間存在の比喩となるだろう。そこでもう一度上五に戻ると、すっかりラムネの玉と化した自分が、夜の雲を見上げている気持ちにさせられる。不安感は、私自身のラムネの玉化によるものと思われる。『眞鍋呉夫句集』(2002・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)


June 0762002

 田一枚植て立去る柳かな

                           松尾芭蕉

遊行柳
語は「田植」で夏。近着の詩誌「midnight press」(No.16 2002年夏)の「ポエトリイ・コミック」(長谷邦夫)が、この句を取り上げていた。テーマは、句の主格は誰なのか……。昔からこの論議はかまびすしく、主格早乙女説、芭蕉説、はたまた柳説とにぎやかだ。なかには山本健吉のように、植えたのは早乙女で、立去ったのは芭蕉だと、主格を二つに分けた説もある。長谷さんは、平井照敏がこの柳の精が翁の姿で現れる能『遊行柳』を根拠とした柳(の精)説を支持している。いずれにも読めるが、私も柳説だ。ただし、根拠は少し違う。そもそも芭蕉がこの柳を目指したのは、私淑していた西行にこの柳を詠んだ歌があったからだ(『奥の細道』参照)。憧れの柳だったのである。その柳をいま眼前にして、感激の余韻のうちにすっと句が成った。このときに、私の着眼点は「田一枚植(うえ)て」にある。あまり鮮明ではないが、写真(栃木県那須町HPより・中央が遊行柳)に見られるように、芭蕉の昔から周辺には田が何枚もあった。通常の田植で一枚だけ植えて立ち去る手順などはありえないから、芭蕉が現実に見たとすれば、最後の一枚という理屈だ。が、最後の一枚を言うときに「田一枚」とはいかにも不自然である。したがって、現実の田植ではない。私は、芭蕉の前にはまだ一枚も植えられていない田圃が広がっていたのだと思う。しかし、やっと西行ゆかりの柳の陰に立つことのできた芭蕉の興奮が、しばし白日夢のように展開し、柳(の精)が彼を歓迎するかのように「田一枚」を植えてみせる情景が浮かんだのだ。この幻想は、先の能から来たものとも考えられる。しばらくして放心状態から醒めてみれば、柳はただの柳であり、涼しげに風に吹かれているばかり。それにしても、私の知るかぎり「田一枚」にこだわった解釈にはお目にかかったことがない。不思議なこともあればあるもの。(清水哲男)


June 0662002

 扇置く自力にかぎりありにけり

                           上田五千石

語は「扇(おうぎ)」で夏。中国の団扇(うちわ)に対して、平安時代はじめに日本で考案されたのだそうだ。さすがと言おうかやはりと言おうか、コンパクト化の得意な國ならではの発明品である。それはともかく、掲句は「自力」に「かぎり(限り)」のあることを、さしたる重さを感じさせない扇を媒介にして言ったところが面白い。字句通りにすらりと理解すれば、作者は「扇置く」ときに、いささかの重さを感じて、その重さから自分の持てる力の限界を連想したことになる。扇ならまだ楽々と持ったり置いたりすることはできるけれど、他方、自力ではどうにもならない重いものが存在することに素早く思いがいたり、すなわち人の力には限界ありと納得したのだ。むろん、このように読んでよい。ちゃんと、そう書いてあるのだから。しかし私には、句がもっと別のことを言っているように写る。むしろ、反対に近いことを言っているのではあるまいか。つまり、作者は扇を扱う以前に、たぶん精神的な「かぎり」に追いつめられるような状態があって、そこでたまたま扇を置いたときに閃いた句ではないのだろうか。自力の「かぎり」に懐疑的なままで、一応の自己説得のために「ありにけり」の断定を置いてみたという感じ。前者と読めば、句の中身はさながら格言のようにふっきれる。後者だと、たかが扇を置くくらいではふっきれない何かが依然として残る。「自力」の可能性を前者のようにすぱりと割り切られては困るという、私のへそ曲がり的な読みにすぎないのかもしれないけれど。『俳句塾』(1992)所収。(清水哲男)




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