ヨ冬q句

July 2172002

 草ぐきに鰓さしきたる涼しさよ

                           斎藤梅子

くちぼそ
の夕景。釣った魚を「草ぐき」に吊るした人が戻ってきた。まだ、水がぽとぽとと滴っている。いかにも「涼し」げだ。一読、忘れていた少年時代の一コマを思い出した。退屈だった夏休み。魚釣りにでも行くかと、麦藁帽子(大人用、農民の必需品、かぶると重かった)をかぶって、ひとりでよく近くの川へ出かけたっけ。餌はミミズ。そのへんの土をほじくり返し、シマミミズをゲットして空缶に入れていく。暑さも暑し。炎天下で釣りざお(といっても、それこそそのへんの竹を適当な長さに切り取ったものだった)を垂れていると、ぼおっとしてきて意識が遠くなりそう……。釣れてもよし、釣れなくてもよし。どうでもよし。洒落た魚篭はおろかバケツなんてものもないので、釣れたら掲句の人のように、茎の細くて丈夫そうな草を引きちぎって、鰓(えら)から口に刺し貫いて川水に漬けておく。いちばん釣れたのは「くちぼそ」(写真・平安神宮HPより)だった。「コイ科の淡水産の硬骨魚。体は細長く、全長約8センチ。モロコに似ているが、口ひげがない。各鱗の後縁が黒く、暗色の帯や斑紋があることが多い。日本各地に広く分布。焼いて鳥の餌とする」[広辞苑第五版]。いくら釣れても食べた記憶はないので、いま調べてみたら鳥(たぶん鶏)の餌だったのか。でも、もう少し体長はあったと思うけど。そうこうしているうちに日が西に傾きかけ、晩のご飯を炊くために、獲物をそのへんにぶん投げて走って家に戻るのだった。たぶん、明日も同じことを繰り返すのだろう。『八葉』(2002)所収。(清水哲男)


March 1332003

 豚怒り大学校の春休

                           斎藤梅子

語として「春休」を扱っている歳時記は、意外に少ない。「夏休」「冬休」ほどには、ドラマ性がないからだろうか。学校や学生生徒が、いちばんぼおっとしているのも、春休みである。さて、掲句であるが、若い読者にはなぜ「豚」が出てくるのかは、わからないだろう。農学部あたりで飼育している豚かもしれないと思うのが、せいぜいだろう。無理もない。作者に聞いてみたわけではないけれど、私たちの世代であれば、たいていの人は「ははあん」と見当がつく。この句は間違いなく、1964年の東大の卒業式で、時の大河内一男学長が述べたはなむけの言葉の一節を踏まえている。曰く「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」。その日の夕刊だったか、翌日の朝刊だったかに大きく報道され、ずいぶんと話題になったものだ。いまさら解釈の必要もないだろうが、時代は高度経済成長のトバ口にあったころで、経済優先の時代を生きていく若者たちへの、清貧を旨とする学長からの警告だった。その警告にもかかわらず……、と作者は言いたいのだ。当時の若者がこのザマでは、ダシにされた「豚」も怒って当然じゃないか。しかし当の「大学校」は、春休みなんぞに入って、のほほんと構えているばかり。作句時期は、1999年と記載されている。『八葉』(2002)所収。(清水哲男)


January 2112008

 何もなし机上大寒来てゐたり

                           斎藤梅子

寒は「太陽が黄経三百度の点を通過するとき」と、歳時記に書いてある。……と言われても、よくわかりませんが(笑)。要するに、寒さの絶頂期ということだ。この机は居間や書斎のそれではないだろう。たとえば客間に据えてある黒檀か何かの机である。昔、母方の祖母の実家に厄介になっていたことがあるが、その家には玄関近くに大きな客間があった。ふだんは使われていない部屋だから、なんだか一年中寒々とした様子があった。たまに入ることがあると、真ん中に置かれている大きな机の上にはむろん何も置かれておらず、夏場でもひんやりとした感じだったことを覚えている。作者はそうした部屋に、たまたま大寒の日に入ったのだ。それでなくとも寒いのに、火の気のないがらんとした部屋の机の上には何もなく、いよいよ寒さが身に沁みて感じられたのだった。いや、何もないのではなくて、なんと「大寒が来ていた」と書かれているのは、フィクションというよりもほとんど実感からの即吟だろう。咄嗟に、そう思えてしまったのである。私はあまり擬人法を好きではないけれど、こうした咄嗟のインプレッションを述べるような場合には、ぴったり来る場合もあることはある。『現代俳句歳時記・冬』(学習研究社・2004)所載。(清水哲男)




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