ec齦ス句

August 1482002

 樟脳舟しやうなう尽きてしまひけり

                           菊田一平

樟脳舟
季句としてもよいが、当歳時記では夏に分類しておく。「樟脳舟(しょうのうぶね)」は、夏祭りの屋台店などでよく売られていた玩具だからだ(写真はここより借用)。ぺなぺなのセルロイド製の小舟で、後部に樟脳を挟むところがあって、洗面器に浮かべると思いがけないスピードで走り回った。たいていは夜店のサンプルのほうが長時間走っていたが、あれは取り付ける樟脳の量が売り物よりも多かったのか、おじさんの腕前がよかったのか。これだけ洗面器で走るのならと、本物の池に浮かべてみた奴がいたけれど、あえなく沈没してしまいベソをかいていたっけ……。汚れた水では、樟脳のパワーが落ちてしまうらしい。ちなみに、樟脳はクスノキの根や幹から抽出し、昔から防虫剤として使われてきた。医薬分野では「カンフル」と呼ぶ。気化性に富むので、その性質を巧みに利用したのが樟脳舟だ。掲句は、買ってきて機嫌よく走らせていた舟が、ついに走らなくなってしまったときの何とも言えない気持ちを詠んでいる。ちょっぴりしかない樟脳を大事に大事に使ってきたのに、ついに燃料切れになった。「しやうのう」の平仮名表記が、「しようがない」みたいに見えて面白い。いや、切ない。あきらめきれずに、じっと洗面器の舟をみつめている少年の姿が浮かんでくる。今年の夏も、そろそろおしまいだ。『どっどどどどう』(2002)所収。(清水哲男)


January 2212008

 いきいきと雪の雫の竹箒

                           菊田一平

年の東京は積もるような雪はまだ降っていないが、油断していると慣れない雪に往生することになる。門までの踏み石や、家の前のわずかな通り道だけでも、降り積もり固く凍りつかない前に雪を払っておくことは、なかなかの大仕事だ。ひと仕事が済んで、下げられた竹箒から働く人が流す汗のようにぽたぽたと雫がしたたり落ちている。「いきいきと」の形容を命ないものに結びつけるとき、過剰な主観に辟易することも多いが、竹箒にはついさきほどまで握られていた持ち主の体温がありありと残っているように感じられるためか、無理なく受け入れることができる。箒は利き腕や使い方によって、微妙な具合に癖もつくものだ。こうなると箒という道具は単なる掃除用具ではなく、ごく個人的な、気に入りの万年筆のペン先などに感じる、減り具合まで愛おしむことができる特別なもの、自分の分身のように思えてくる。ところで、「竹箒」で検索すると上位に表示される「天才バカボン」で登場するレレレのおじさんだが、彼が電気店の社長であり、妻は既に他界、五つ子が五組で25人の独立した子供がいるという克明な背景に思わず仰天したことも今回の竹箒検索のおまけである。〈なやらひの鬼の寝てゐる控への間〉〈仏蘭西に行きたし鳥の巣を仰ぎ〉『百物語』(2007)所収。(土肥あき子)


May 0152008

 歯を剥いて先帝祭のうつぼの子

                           菊田一平

関は海峡の町である。小高い丘に上がると対岸の門司の山々が目睫の間に迫り、源平合戦の行われた潮流を一望することが出来る。竜宮の形に模した楼門を持つ赤間神宮では毎年この時期に幼帝の霊を慰める「先帝祭」が行われる。このあたりには安徳天皇陵と伝えられる墳墓が残り、お向かいの小倉には命からがら逃げてきた幼帝を藁で匿った謂れにちなむ祭事の残る土地もある。下関、北九州と延べ6年ほど暮らしたことがあるが、そうした事物を見聞きするたびに土地の人々が源氏よりも平家と幼帝に惻隠の情を持っていることが伝わってきた。この句を一読したとき、通り過ぎるだけではわからない地元の感情と共鳴するところがあるように思った。うつぼは荒々しい性格を持ち、敵と戦うときにはその鋭い歯で相手の肉を食いちぎるまで容赦しないという。小さいながら敵に向かってくわっと歯を剥く様が幼帝を守って滅びた平家武士の生まれ変わりにも思え、その気の強さがかえって哀れを誘う。ゴールデンウィークには「先帝祭」にあわせて「しものせき海峡まつり」が催される。なかでも源氏に模した漁船が白、平家が赤の幟をたて、初夏の馬関海峡に繰り出す様は見事だ。『百物語』(2007)所収。(三宅やよい)


January 1712009

 冬満月枯野の色をして上がる

                           菊田一平

週の金曜日、東京に初雪という予報。結局少しみぞれが落ちただけだった。少しの雪でも東京はあれこれ混乱する。一日外出していたのでほっとしたような、やや残念で物足りないような気分のまま夜に。すっかり雨もあがった空に、十四日の月がくっきりとあり、雫のようなその月を見ながら、掲出句を思い出していた。枯野は荒漠としているけれど、日が当たると、突き抜けたようなからりとした明るさを持つ。凩に洗われた凍て月のしんとした光には、枯野本来のイメージも重ね合わせることができるが、どちらかといえばぱっと目に入る明るさが脳裏に浮かんだのではないか、それも瞬時に。〈城山に城がぽつんと雪の果〉〈煉瓦より寒き首出し煉瓦積む〉など、目の前にあるさまざまな景色を、ぐっとつかんで詠むこの作者なら、枯野の色、という表現にも、凝った理屈は無いに違いない、と思いつつ、細りゆく月を見上げた一週間だった。『百物語』(2007)所収。(今井肖子)




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