September 042002
夜業の窓にしやくな銀座の空明り鶴 彬昭和十年(1935年)の作品。句意は明瞭で、いまどきの「残業」にも通じる内容である。最近では、また残業が増えてきたという。リストラのために、正社員の仕事量が増えてきたからだ。ただし、当時の町工場などでは労働環境が違う。その劣悪さについては、後に引用する句を参照していただきたい。季語は「夜業(夜なべ)」で、秋である。といっても、作者は川柳として作っているので、季節の意識は希薄だったかもしれない。俳句で「夜なべ」を秋としてきたのは、夜長感覚とそれに伴う寂寥感を重んじたためだろう。仄暗い秋灯の侘しさもプラスされる。川柳作家・鶴彬(つる・あきら)の句は、数年前に田辺聖子の近代川柳界を扱った小説『道頓堀の雨に別れて以来なり』を読んだとき以来、もっと知りたいと思ってきた。時の権力に苛烈に抗して「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と、川柳得意の笑いを突き詰めた表現の壮絶さに打たれたからである。しかし、何度かあちこちの図書館で調べてみても見つからなかった。理由は、このほどやっと私が読むことのできた本でわかった。この句を発表してから二年後に、鶴は特高警察に逮捕され、翌年の九月、野方警察署留置場で赤痢に罹って、収監のまま豊多摩病院で非業の死を遂げている。二十九歳。べつに大新聞に書いていたわけではなく、一般的には無名の川柳作家が、かくのごとくに国家権力に蹂躙された事実を知った以上は、忘れるわけにはいかない。こうした作家を現代に掘り起こしてくれた方々に、深く謝意を表します。そして、もう二句。すなわち、劣悪な職場環境を詠んだ句に「吸ひに行く――姉を殺した綿くずを」「もう綿くずを吸へない肺でクビになる」がある。小沢信男編『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』(2002・イー・ディー・アイ)所載。(清水哲男) September 032002 虫の夜の星空に浮く地球かな大峯あきら季語は「虫」で秋。秋に鳴く虫一般のことだが、俳句で単に「虫」といえば、草むらで鳴く虫たちだけを指す。鳴くのは、雄のみ。さて、天には星、地には草叢にすだく虫。作者は、まことに爽やかかつ情緒纏綿たる秋の夜のひとときを楽しんでいる。星空を見上げているうちに、自分がいまこうして存在している「地球」もまた、あれらの星のように「空」に浮かんでいるのだと思った。すると、作者の視座に不思議なずれが生じてきた。地球をはるかに離れて、どこか宇宙の一点から星空全体を眺めているような……。この視座からすると、たしかに地球が遠くで青く光る姿も見えてくるのである。となれば、虫たちは地球上の草叢ではなくて、いわば宇宙という草叢全体ですだいている理屈になる。つまり、作者には庭先の真っ暗な草叢が、にわかに宇宙的な広がりをもって感じられたということだろう。一種の錯覚の面白さだが、はじめて読んだときには、ふわりと浮遊していく自分を感じて、軽い目まいを覚えた。それは、地球が空に浮いているという道理からではなく、草叢がいきなり宇宙空間全体に拡大されたことから来たようだった。『夏の峠』(1997)所収。(清水哲男) September 022002 廃船のたまり場に鳴く夏鴉福田甲子雄前
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