村句

September 0592002

 夢殿にちょっとすんでた竃馬

                           南村健治

語は「竃馬(かまどうま)」で秋。「いとど」とも言い、芭蕉『おくのほそ道』に「海士の屋は小海老にまじるいとどかな」と出てくる。湿ったかまどの周辺や土間などでよく見かけたものだが、いまではどこに棲息しているのだろうか。コオロギに似ているが、翅がなく鳴かない。とにかく、地味で淋しそうな虫だ。句は、そんな竃馬が、なんと、かの有名な法隆寺の「夢殿」に「ちょっとすんでた」ことがあるという。何故わかったかといえば、この虫が作者に語って聞かせたからである(笑)。そんじょそこらの竃馬とは虫の格が違うんだぞと、一寸の虫にも五分のプライドか……。まさか嘘ではなかろうが、得意げに髭を振って話している姿を想像すると、それこそ「ちょっと」可笑しい。このときに、むろん作者は他ならぬ人間界を意識しているわけで、そう言えば、こうした俗物感覚で物を言う人がいることに思い当たる。当人は有名な外国の都市に「ちょっと住んでた」だとか、著名人を「ちょっと知ってる」だとかと、しきりに「ちょっと」とさりげなさを強調するのだけれど、この「ちょっと」が曲者だ。謙虚に見せて、実は押し付けになるケースが多い。そうした押し付けに気がつかない人の自慢話を聞いていると、そのうちに「ちょっと」可哀想な気持ちにもなってくる。『大頭』(2002)所収。(清水哲男)


December 18122002

 声を出すラジオの前の置炬燵

                           南村健治

語は「炬燵(こたつ)」で冬。職業柄、「ラジオ」の句は気にかかる。でも、最初に読んだときには、どういう情景を詠んだ句なのかわからなかった。というのも、そのままに「声を出すラジオ」と読んでしまったからだ。ラジオが声を出すのは、あまりにも当たり前すぎて、どこが面白いのかさっぱり理解できない。はてなと、しばらく睨んでいるうちに納得。実は「声を出す」はラジオだけにかかっているのではなくて、「置炬燵」にもかけられているのだと思えたからだ。そう読むと、にわかに掲句は愉快に動き出す。私の想像では、情景は次のようになる。ラジオを聞きながら置炬燵で暖まっていた人が、トイレに行くとか何かの都合で、ちょっと席を外したのだ。と、そこにポツンと残されたのは「声を出」しているラジオと、その「前の」声を出していないない置炬燵だけだ。人間が関わらない場合のラジオも置炬燵も、お互いに単なるポータブルな箱であるに過ぎない。そのことに気づいた(?!)置炬燵が、対抗してちょっと「声を出」してみたという、現実にはあり得べからざる情景……。と、ここまで書いて、もう一度句に戻ると、いや、いくら何でも、そんな突飛なことを詠むはずはないとも思えてくる。しかし、たとえ作者の意図から外れていたとしても、私は私の勝手な想像が大いに気に入っている。俳句の読みには、常にこういうことがつきまとう。そこに、無論そこだけではないけれど、俳句を読む楽しさがある。なあんて、単なる言いわけかもね。『大頭』(2002)所収。(清水哲男)


August 2882008

 行く夏を鶏の匂いの父といる

                           南村健治

っと昔、近所の人に連れられて山深い田舎に遊びに行った。楽しく過ごしたのだけど、夜の暗さと家の内外に濃く漂っている匂いにはどうしても慣れることができなかった。おとなになって園芸用の鶏糞の匂いをかいだとき、むかし寝泊りした農家の記憶がよみがえってきた。あの家に漂っていた匂いは土間のすぐ脇にあった鶏小屋の匂いだったのだろう。朝になるとおじさんが木の柄杓のようなもので、まだぬくい卵をとってきて掌にのせてくれた。闘鶏用の鶏も育てていて、一回負けた鶏は使い物にならないので潰して食べると言っていた。卵を採り、鶏糞を畑に撒き、いらない鶏を潰して食べるのはその家の主人にとってごくありふれたことだったのだろう。「鶏の匂いの父」はそんなふうに鶏とともに生活してきた人の匂い。作者とともに晩夏の時間を過ごしている父は回想の父なのか、現在の父なのか。どちらにしても夏が過ぎれば鶏の匂いのする父は残り、匂わない息子は別の場所へと帰ってゆく。そうだとしても、一緒にいる今はとりたてて話すこともなく二人ぼやっとテレビなんぞを見ているのかもしれない。『大頭』(2002)所収。(三宅やよい)




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