@P句

February 2122003

 朝寝して名刺用なくなりにけり

                           緒方 輝

語は「朝寝」で春。春の朝の寝心地は格別で、うつらうつらとつい寝過ごしてしまう。そんな快適な心地も、よく考えてみれば、寝過ごしてはいけない立場の人のものだろう。作者は、定年退職後のはじめての春を迎えているのだと思える。以前と同じようにうつらうつらとしながらも、もはや「名刺用なく」なった身にとっては、うつらうつらにも従来とは違う感じが伴っているのだ。このまま、いつまでもうつらうつらしていてもよいのだと、誰に文句を言われるわけでなしと、うつらうつらする気分には、しかし、名状しがたい悲しさが付け加わる。私は定年どころか、二十代の後半で勤めた会社が三度も駄目になった体験があるので、定年退職の経験はないけれど、句の言わんとするところは少しはわかるような気がする。少しはと言うのは、私の体験は若い時代のものだったので、まだぼんやりと未来を見つめることができたからだ。が、多くの定年退職者には、再び名刺を必要とするような社会的な明日はないのが普通と考えてよい。当人の意志や思惑とは別に、社会のシステムは極めて冷厳に動いていくのだからである。江戸期の狂歌に「世の中に寝るほど樂はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」というのがある。失職した当時の私は、こいつを壁に貼り付けて日々眺めていたっけ。この自嘲の歌を笑える「馬鹿」な人は、よほど我が身を幸せと思わなければいけないのである。とりわけて、いまどきの世相のなかでは。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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