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May 0552003

 姉三人丁丁と生き煮そうめん

                           北川孝子

兄弟はあまり集まらないが、何かにつけて女姉妹はよく集まる。古今東西、どういうわけか、そういうことになっている。夏場の「そうめん(素麺)」といえば冷や素麺と決まったようなものだが、たまには熱い素麺も美味い。「煮そうめん」は澄まし汁で食べるさっぱり味の湯麺(にゅうめん)ではなく、味噌などで煮込んだ濃い味のものだろう。「丁丁(ちょうちょう)と生き」が面白い。「丁丁」は一般的には擬音で、鐘の音など、かん高い音が続いて響くさまを表す言葉だ。が、作者はこれを姉たちの生きてきた様子になぞらえている。子供のころから、いつも元気で屈託が無く、かん高くもたくましい生活者のありように、なるほど「丁丁と」とは言い得て妙ではないか。引き比べて、同じ姉妹でも、私はかなり違うようだ。彼女たちのように、闊達に生きてきたとはとても言えない。どうしてなんだろう。会うたびに、そう思う。このちょっとした疑念が、煮そうめんの濃い味にからまってくる感じで、既にあっけらかんと食べ終わっているであろう姉たちとの対比を、より色濃いものにしている。今日は「こどもの日」。小さいころの気質や性格は、そして兄弟姉妹の関係のありようも、よほどのことがないかぎり、大人になっても変わらないものだと思う。そういう目で、今日という日の子供らをあらためて見つめてみるのも、大人にとっての「こどもの日」の存在意義の一つかもしれない。なお掲句は、便宜上夏の季語「冷素麺」に分類しておく。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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