2003N6句

June 0162003

 冷し中華運ぶ笑顔でぞんざいで

                           星川佐保子

近はあまり見かけなくなったが、以前は食堂の表に「冷し中華はじめました」とか「生ビールはじめました」などの張り紙が出た。これを見ると、夏近し……。なんとなく明るい気分になったものだ。「冷し中華」を季語として採用している歳時記はまだ少ないけれど、これから編まれるものには不可欠な項目となるだろう。掲句の舞台は、既に夏の盛りの大衆的な食堂だ。混みあっている雰囲気を、よく伝えている。注文した冷し中華の皿を、女店員がまことに「ぞんざいに」卓上に音立てて置いたのだ。思わずもムッとして顔を見上げると、そこにあったのは屈託のない笑顔だった。これじゃ、憎めない。見るともなく見ていると、彼女はどのテーブルにも同じような調子で運んでいる。こうしたところの店員のマナーの悪さは、いまにはじまったことではないけれど、あくまでも笑顔を絶やさずに運んでいるのだから、彼女に悪気はないのである。むしろ、活気のある働き者なのだ。この明るいぞんざいさも、また夏の風物詩。と、作者が思ったかどうかは知らないが、私にはそんなふうに写る。こんな句もあった。「ヘルメット冷し中華の酢に噎せる」(後藤千秋)。食べるほうにしても、これだ。冷し中華をしみじみ味わおうなんて客は、そんなにいないのではあるまいか。ほとんどが、ぞんざいに食べている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


June 0262003

 紫陽花のパリーに咲けば巴里の色

                           星野 椿

来が、「紫陽花(あじさい)」は日本の花だ。日本から中国を経由して、18世紀末にヨーロッパに渡ったと言われる。しかし、皮肉なことに、日本では色が変わることが心変わりと結びつけられ、近世まではさしたる人気はなかった。『万葉集』には出てくるけれど、平安朝の文学には影も形も見られない。ところが、逆にヨーロッパ人は色変わりを面白がり、大いに改良が進められたので、現代の日本には逆輸入された品種もいくつかある。だからパリの紫陽花は改良品種ゆえ、「パリーに咲けば巴里の色」は当たり前なのだが、もちろん作者は、そんな植物史を踏まえて物を言っているわけではない。同じ紫陽花なのに、巴里色としか言いようのない色合いに心惹かれている。この街に「日本色」の紫陽花をそのまま持ってきたとしても、たぶん似合わないだろう。やはり、その土地にはその土地に似合う色というものがあるのだ。いや、その色があってこそのその土地だとも言える。ヨーロッパで紫陽花を見たことはないが、たとえば野菜の色だって微妙に異っている。そこらへんの八百屋の店先に立っただけで、なんとも不思議な気分におちいってしまう。トマトやらジャガイモやら、お馴染みの野菜たちの色合いが日本のそれとは少しずつ違うからだ。その微妙な色合いの差の集積が店内の隅々にまで広がっている様子に、よく「ああ、俺は遠くまで来てるんだ」と思ったことだった。私には、そぞろ旅情を誘われる句だ。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


June 0362003

 何か負ふやうに身を伏せ夫昼寝

                           加藤知世子

語は「昼寝」で夏。昼寝というと、たいがいは呑気な寝相を思ってしまうが、掲句は違う。「身を伏せ」て寝るのは当人の癖だとしても、何か重いものを負っているかに見えるというのである。最近の夫の言動から推して、そんな具合に見えているのだろう。痛ましく思いながらも、しかしどうしてやることもできない。明るい夏の午後に、ふっと兆した漠然たる不安の影。この対比が、よく生きている。一つ家に暮らす妻ならではの一句だ。ちなみに、「夫」は俳人の加藤楸邨である。ただ実は、作者・知世子の夫を詠んだ句には、このようなシリアスな句は珍しい。例外と言ってもよいくらいだ。家庭での楸邨はよほどの怒りん坊であったらしく、その様子は多くカリカチュアライズされて妻の句に残されている。「怒ることに追はれて夫に夏痩なし」。これまた妻ならではの句だけれど、距離の置き方が掲句とは大違いだ。ああまた例によって怒ってるなと、微笑すら浮かべている。なかで極め付けは「夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし」だろう。「き」と「く」は「来」で、なんと夫を「蜂」と同じようなものだとしているのだから、思わずも笑ってしまう。三十六計逃げるに如かず、君子危うきに近寄らず。と、楸邨の癇癪玉を軽く避けている図もまた、長年連れ添った妻ならではの生活模様だ。夫よりも一枚も二枚も上手(うわて)だったと言うしかないけれど、しかし読者には、これで結局はうまくいっている夫婦像が浮かび上がってくる。『朱鷺』(1962)所収。(清水哲男)


June 0462003

 老鶯をきくズロースをぬぎさして

                           辻 桃子

語は「老鶯(ろうおう)」で夏。年老いた鶯のことではなくて、夏になっても鳴いている鶯のことを言う。物の本に「その声やや衰ふ」ことからの命名とあるが、そうとも限らない。数年前の盛夏、京都・宇治の多田道太郎邸で余白句会を開いたときには、庭先まで来て実に元気な声で鳴いていた。しかし、掲句の場合には、やや衰えた感じの鳴き声のほうが似あいそうだ。思いもかけぬときに、どこからかかすかに鶯の声が聞こえてきた。ちょうど「ズロース」をぬぎかけていたのだが、思わずも手を止めてじっと耳傾けてしまったというのである。誰かに見られていたら、まことに妙な格好のままなのだけれど、むろん周囲には誰もいない。これが、たとえば料理や洗濯の最中のことであっても、俳句にはなるだろう。なるけれども、面白味には欠けてしまう。やはり、妙な格好であるからこそのリアリティの強さが、掲句の魅力だ。そしてこの生臭くも滑稽な句のイメージは、この句だけにとどまらず、人がひとりでいるときの様態一般に及んでいる。そこが素晴らしい。誰もが一瞬アハハと笑い、でも我が身に照らして、必ずしも笑ってすまされる句ではないことに気がつくからだ。掲句とは逆に、ひとりでいることを意識的に利用した詩に、片岡直子の「かっこう」がある。「誰もいないへやで/私だけいるへやで//私は素敵なかっこうをしてみます//足をたくみにからませて/のばしてみたり/折ってみたり//手も上手についてみます//そうして うつろな眼を壁になげます//いろんなかっこうをしてみます//君はどんなかっこうがすきですか?」。これまた、アハハと笑うだけではすまされない。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


June 0562003

 芸大の裏門を出てラムネ飲む

                           永島理江子

語は「ラムネ」で夏。大学とは限らず、どんな裏門にも、正門とは違った姿がある。そして、その姿には例外なく隙(すき)がある。正門は常に緊張していて隙を見せないが、裏門はどことなくホッとしているようで、力が抜けている。だから、裏門を通って外に出ると、人もまたホッとする。不思議なことに、正門から出たときにはあまり振り返ったりしないものだが、裏門からだと、つい振り返りたくなる。裏門は油断しているので、振り返ると門の中の真実が見えるような気がするからだ。実際、振り返ると、「ああ、こんなところだったのか」と合点がいく。そこで作者はホッとして、ラムネを飲んだというわけだ。何かクラシカルなイベントでも見てきたのだろう。クラシックなイメージの濃い「芸大」に対するに、ポップな「ラムネ」。学問としてのアートに対して、庶民の生んだアート。作者は自分の行動をそのまんま詠んだのだろうが、図らずもこんな取り合わせの面白さが浮き上がってきた。べつに「芸大」でなくたって同じこと、と思う読者もいるかもしれない。でも、たとえばこれを「東大」などに入れ替えてみると、どうなるだろうか。今度は、学問的知対庶民的知という格好になって、句がいささか刺々しくなってくる。どこかに、いわゆる象牙の塔に対する庶民の意地の突っ張りみたいなニュアンスが出てきてしまう。やはり、ラムネ飲むなら芸大裏がいちばんなのだ。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)


June 0662003

 ぼうたんの夢の途中に雨降りぬ

                           麻里伊

語は「ぼうたん(牡丹)」で夏。やわらかい句だ。このやわらかさには、ホッとさせられる。作者が牡丹の夢を見ているのか、あるいは牡丹そのものが夢見ているのか。助詞「の」の解釈次第で、二通りに読める。どちらだろう……。などと考えるようでは、俳句は読めない。この二通りの読みが曖昧に重なっているからこそ、句のやわらかさが醸し出されてくる。いずれかに降る雨だとすれば、甘すぎる砂糖菓子のようなヤワな句になってしまう。すなわち、「の」の曖昧な使い方が掲句の生命なのである。先日の「船団」と「余白句会」のバトル句会に思ったことの一つは、詩人は句作に際して、言葉の機能を曖昧に使わないということだった。イメージを曖昧にすることはできても、言葉使いを意識して曖昧にはできないのだ。だから、どうしても「何が何して何とやら」みたいな句になってしまう。対するに、掲句は「何やらが何して何である」という構造を持つ。ポエジー的には、どちらが良いと言う問題ではない。三つ子の魂百まで。両者の育ちの違いとでも言うしかないけれど、掲句のように言語機能の曖昧な使い方を獲得しないかぎり、自由詩の書き手が俳句で自在に遊ぶところまでは届かないのではあるまいか。むろん、他人事じゃない。私にとっても、現在ただいま切実な問題なのである。『水は水へ』(2002)所収。(清水哲男)


June 0762003

 経験の多さうな白靴だこと

                           櫂未知子

語は「白靴(しろぐつ)」で夏。昔から「足下を見る」と言う。駕篭やが旅人の足の疲れ具合を見て取って、駕篭賃を釣り上げたことによる。くたびれた草鞋なんぞを履いたりしていたら、たちまち吹っかけられてしまう。このようなこともあって、履物を見てその人のありようを読むことは、それこそ昔から行われてきた。作者もそのようなまなざしで他人を評しているわけだが、「経験の多そうな白靴」という表現は面白い。何の経験なのかと、問うのは野暮だろう。少なくとも、作者の価値観からすると、あまり讃められた経験ではなさそうだからだ。強引なセールスだとか、あるいはもっと個人的な神経に障るある種の言動だとか……。その人ではなくて別な人が履いていれば単なる白い靴でしかないものが、その人が履いていることによって曰くあり気に見えたというのである。つまり作者は、その人にパッと先入観を持ってしまい、それが当たっていそうだと、白靴を見て納得している。このときに、白靴は作者の先入観をかなり具体的に裏付けた(ような気がした)というわけだ。駕篭やが足下を見たのも同様で、最初から足下だけを見たのではない。あくまでも直感的な全体の印象から判断した上で、足下でいわばウラを取った。句のリズムも面白い。音数的にはきっちり十七音なのだが、いわゆる五七調的には読み下せない仕掛けだ。十七音に籠りながらも、故意にリズムを崩している。この故意が、句意をより鮮明にしている。「俳句研究年鑑」(2003年版)所載。(清水哲男)


June 0862003

 まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる

                           西東三鬼

語は「まくなぎ」で夏。「めまとい」とも。夕方、野道などで目の前に群れ、うるさくつきまとう微小な虫。こいつが出てくると、夏だなあと思う。糠蚊(ぬかが)と言われ、世界には人の血を吸う種類も含んで4000種ほどいるそうだが、よく見えないのでどれがどれやら区別する気にもならない。とにかく、払いのけるだけである。このちっちやな虫の集団の羽音が聞こえたら、さぞや物凄いだろうと発想したのが、作者の凡ならざるところ。自註がある。「門の傍に楠が一本立つてゐてそれに添つて地上十尺の所にいつもまくなぎがかたまつて猛烈に上下してゐた。その微小な蟲共は全く狂つてゐた。然し彼等が生命を持つてゐることは疑へない。生命を持つものの大叫喚が聞こえないのは人間の耳が不完全だからだ」。不完全で結構、聞こえなくて大いに結構。まくなぎの阿鼻叫喚まで聞こえたら、こっちのほうが叫喚してしまうだろう。想像するだに慄然とする。一般的に人よりも昆虫のほうが聴覚に優れているそうなので、まくなぎ自身にはお互いの発する音が聞こえるのかもしれない。となると、彼らにとっての掲句は文字通りの糞リアリズム句ということになる。うるさくて、自分自身までをも払いのけたい衝動が、阿鼻叫喚の狂気を呼んでいるのかと想像すると、これまた慄然とさせられる。大袈裟な物言いの句だと、面白がってもいられない気分だ。『西東三鬼全句集』(1971)所収。(清水哲男)


June 0962003

 葉柳に舟おさへ乘る女達

                           阿部みどり女

語は「葉柳(はやなぎ)」で夏。葉が繁り、青々としたたるように垂れている。句は、これから船遊びにでも出かけるところか。「女達」が「舟おさへ」て乗っているのは、和装だからだ。裾の乱れが気になるので、揺れる舟のへりにしっかりと手を添えながら乗っている。さながら浮世絵にでもありそうな光景で、美しい。……と単純に思うのは、私が男だからかもしれない。作者は女性だから、浮世絵みたいに詠んだつもりはなかったのかもしれない。たかが舟に乗ることくらいで、キャアキャア騒ぐこともなかろうに。せっかくの柳のみどりも興醒めではないか。などと、同性の浅はかな振る舞いに、いささかの嫌悪感を覚えている図だとも読める。「女達」と止めたのは、突き放しなのだとも……。まあ、そこまで意地悪ではないにしても、作者がただ同性のゆかしさ、好ましさを謳い上げたと読むのは早計のような気がする。同性同士でなければ感じられない何かが、ここに詠み込まれているはずだ。そう見なければ、それこそ同性の読者からすると、阿呆臭い句でしかなくなってしまうのではあるまいか。何度か読み直しているうちに、だんだんそんな気がしてきた。考えすぎかもしれないが、ふと気になりだすと止まらないのは、俳句装置の持つ磁力によるものだろう。高田浩吉じゃないけれど(って、私も古いなア)、♪土手の柳は風まかせなどと、呑気に歌い流してすむ句ではなさそうだ。女性読者のご意見をうかがいたいところ。『笹鳴』(1947)所収。(清水哲男)


June 1062003

 平伏の火の父が見し蟻なるか

                           小川双々子

語は「蟻」で夏。平伏(へいふく)する父親の姿。誰だって、そんな屈辱的な父親の姿など見たくはない。想像もしたくない。が、かつての大日本帝国に生きた父親たちにとっては、抽象的にもせよ、平伏は日常的に強いられる行為であった。ニュース映画に天皇が登場するだけで、起立脱帽した日常を、いまの若者は信じられるだろうか。今日伝えられる某国の圧制ぶりをあざ笑う資格は、我が国の歴史からすると、誰にもありえない。しかし、今日の某国でもそうであるように、かつての心ある父親たちはみな「火の」憤怒を抑えつつ平伏し、眼前すれすれの地を自在に歩き回る「蟻」を睨んでいただろう。その「火の父」の無念を、作者は子として引き受けている。かっと、眼前の蟻を睨んでいる。「昭和二十年七月二十八日夜、一宮市は焼夷弾による空襲で八割が灰燼に帰した。僕の父は防空壕内で窒息死した。傍らに自転車が立つてゐた」と作者は書いている。平伏の果てが窒息死であったとは、あまりにも悲惨でやりきれない。作者が父と言うときには、必ずこの悲惨な事実を想起して当然だが、それを個人の問題に矮小化して詠まないところが双々子の句である。個人を超えて常に人間全体へと普遍化する意志そのものが、双々子のテーマであると言っても過言ではないだろう。だから、作者の父親の窒息死を知らなくても、掲句はきちんと読むことができる。ところで、父たちの平伏の時代はあの頃で終わったのだろうか。そのことについても、掲句は鋭く問いかけているようだ。『囁囁記』(1998・邑書林句集文庫)所収。(清水哲男)


June 1162003

 見送るや君たちまちに梅雨の景

                           大住日呂姿

では、立春より百三十五日目にあたる今日十一日を入梅としている。だから、年によっては上天気の入梅日もあるわけだが、今年は暦より一日早く、昨日、関東甲信、近畿、中国、四国、東海地方が入梅を迎えた。いよいよ、茫々たる長雨の季節がやってきた。作者は、親しい人を「梅雨」の中に見送っている。たったいま「じゃあ、また……」と別れたその人が、「たちまち」にして「梅雨の景」と化したというスケッチは卓抜だ。つい先ほどまでの賑やかな人間臭さが嘘のように、その人は梅雨の景色にすうっと溶けていき、一点景にすぎなくなってしまつたと言うのである。往来を行き交う人があっても、みな同じような点景に見えている。無常を感じたというほどではないにしても、何かそこに通じる寂しさが、ふっと作者をとらえたのだ。直截に主観を述べることなく、しかし主観を述べている。俳句にしかできない技と言うべきか。ところで、近着の矢島渚男主宰の俳誌「梟」(第145号・2003年6月)を開いたら、作者の死が告げられていて驚いた。転居したばかりのアパートで、倒れておられたという。一面識もなかったけれど、私は大住ファンで、これまでに四句書かせていただいている。「家庭というものの味を知らなかった大住さんの孤独の死、いや、幸せな死だったかも知れない。いつか死は誰にも平等に訪れるのだ。折りしも東京は桜の季節であった。……」(矢島昭子・同誌より)。享年七十八。生涯にただ一冊の句集が、茫々と残された。合掌。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)


June 1262003

 柿若葉とはもう言へぬまだ言へる

                           波多野爽波

語は「柿若葉」で夏。初夏の陽射しに照り映える様子は、まことに美しい。が、問題はいまどきの季節で、まだ柿若葉と言っていいのかどうか。微妙なところだ。つくづく眺めながら、憮然としてつぶやいた格好の句である。「まだ言へる」と一応は自己納得はしてはみたものの、「しかしなあ……」と、いまひとつ踏ん切りがつかない心持ちだ。俳句を作らない人からすれば、どっちだっていいじゃないかと思うだろうが、写生を尊ぶ俳人にしてみれば、どっちだってよくはないのである。どっちかにしないと、写生にならないからだ。これはもう有季定型を旨とする俳人のビョーキみたいなもので、柿若葉に限らず、季節の変わり目には誰もがこのビョーキにかかる。季語はみな、そのものやその状態の旬をもって、ほとんど固定されている言葉なので、一見便利なようでいて、そんなに便利なツールではない。仮に表現一般が世界に名前をつける行為だとするならば、有季定型句ほどに厄介なジャンルもないだろう。なにしろ、季語は名前のいわば標本であり、自分で考え出した言葉ではないし、それを使って自分の気持ちにぴったりとくる名前をつけなければならないからだ。真面目な人ほど、ビョーキになって当然だろう。掲句は、自分のビョーキの状態を、そのまま忠実に写生してしまっている。なんたるシブトさ、なんたる二枚腰。『波多野爽波』(1992・花神コレクション)所収。(清水哲男)


June 1362003

 接吻映画見る黴傘に顎乗せて

                           清水基吉

語は「黴(かび)」で夏。戦後九年目、1954年の句だ。およそ半世紀前の場末の映画館で、作者は「接吻映画」を見ている。がらがらで、しかも映画は退屈だったのだろう。そうでなければ、傘に顎を乗せて見るようなことはしない。傘も黴臭いが、映画館も黴臭い。そこらへんに、鼠が走っているような「小屋」はザラにあった。どういうわけか、客席に何本かの太い柱が立っているところもあり、柱の真後ろにも席があったのだから、それこそどういうわけだったのか。しかし、このころから日本映画は上り坂にかかってくる。ちなみに『二十四の瞳』『七人の侍』『ゴジラ』などが封切られたのは、この年だ。そんな映画を黴臭い二番館、三番館まで落ちてくるのを待ち、名作凡作ごたまぜの三本立てを、作者も見ていたのだろう。そのうちの一本が接吻映画だったわけだが、そういうジャンルがあったわけじゃない。ちょっとしたキス・シーンがあるというだけで売り物になったのだから、まことに時代は純情なものでした。当時の私はといえば、まだ高校生。立川や福生という基地の街の洋画専門映画館は、いつ入っても女連れのアメリカ兵でいっぱいだった。だから、キス・シーンはべつに映画の中じゃなくても、そこらへんにいくらでも転がっていた。掲句の作者とはまた違う意味で、映画館では憮然たる思いがしたものである。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


June 1462003

 笹百合や嫁といふ名を失ひし

                           井上 雪

笹百合
語は「笹百合」(写真参照)で夏。葉が笹に似ている。山野に自生し、西日本を代表する百合の花と言われてきたが、最近はずいぶんと減ってしまったようだ。生態系の変化もあるけれど、根元から引っこ抜いていく人が後を絶たないからだという。でも、自宅で育てるのは非常に難しいらしい。さて、句の前書には「姑死す」とある。作者は寺門に嫁いだ人だから、それだけ「嫁」の意識は強かったのだろう。私の知人に、つい数年前に僧侶と結婚した人がいる。ごく平均的なサラリーマンの娘だった。で、話を聞いてみると、なかなかに戸惑うことも多いらしい。新婚当時、二人で寺の近所を散歩していたら、檀家衆から「並んで歩くのは如何なものか」という声が聞こえてきたという。以来、本当に三歩ほど下がって歩いているというのだから、この一事をもってしても、「嫁」を意識するなというほうが無理である。もちろん、掲句の作者の生活については何も知らない。が、やはり「姑」との関係は、世間一般の人のそれよりも濃密であったと想像される。亡くなられて、まず「嫁といふ名」を思ったことからも、そのことがよくうかがえる。このときに「笹百合」は、清楚な生涯を送った姑に擬していると同時に、ひっそりと、しかししっかりと咲く姿を、今後の自分のありように託していると読んだ。追悼句ではあるけれど、単なる悼みの句だけに終わっていないところは、やはり「嫁」ならではの発想であり発語だと言うべきか。『和光』(1996)所収。(清水哲男)


June 1562003

 パナマ帽へ手を当つ父の遠会釈

                           菊井稔子

パナマ帽
語は「パナマ帽(夏帽子)」。元気だったころの父親を偲んだ句だ。帽子にちょっと手をかけて「遠会釈」する仕草に、当時の作者はいちばん父らしさを感じていたのだろう。父というと、今でもまずその様子が浮かんでくる……。日本の男が帽子を大いに愛用したのは、明治期から戦後十年くらいまで。戦前の繁華街のスナップ写真を見ると、帽子姿の男が多い。私の父も、いくつか帽子を持っていた。ピーク時の着用率は昭和初期で九割だったというから、作者の父親の帽子姿も一般的だったわけだが、この帽子が「本パナマ」だとしたら、相当な洒落者だったと推測される。漱石も書いているように、本物のパナマはとても高価だった。となると、そんなダンディな父親を、娘は誇らしげに思っていたことになる。格好いいお父さんの格好いい挨拶。往時の父親の残像を通して、古き良き時代を懐かしんでいる。写真のポスターは句にふさわしくはないけれど、パナマ帽が世界的なダンディズムの象徴だった証拠として掲げておく。『BONNIE AND CLYDE(邦題・俺たちに明日はない)』(1967)。舞台は大恐慌時のアメリカで、主人公の若者は刑務所を出たばかりのちんぴらのくせに、パナマ帽を小粋にかぶっているという設定だ。このダンディな姿に女が一目ぼれするところから、映画が動き出す。意気投合した二人は強盗になり派手に暴れまくるのだが、最後には警官隊に包囲され猛烈な銃撃を浴びて死んでいく。警察に二人を売ったのは、途中から仲間に加わった男の父親だった……。今日は「父の日」。『花の撓』(2003)所収。(清水哲男)


June 1662003

 伯母逝いてかるき悼みや若楓

                           飯田蛇笏

語は「若楓(わかかえで)」で夏。楓の紅葉も見事だが、若葉青葉も美しい。句の読みどころは、むろん「かるき悼み」だ。訃報に接して、しくっと胸に来た。だが、それ以上の重い悼みの心は湧いてこない。おそらく「伯母」なる人は、長患いだったのだろう。親類縁者も、近い将来にこの日が来ることを予測していたのだと思われる。また、彼女の死によって、幼い子が遺されるといったような、周辺に直接的な不幸の種が芽生える気遣いもなかったのだ。そして、彼女自身にも死の覚悟ができていることを、作者は薄々ながら知っていた。だから「ああ、やつぱり……」という気持ちになった。こうした想像力を読者に呼び覚ます力は、すべて「かるき」の措辞にある。しくっとした心に若楓の明るさが染みとおるような句で、なまじな追悼句よりも鮮烈ではないか。ただ、作者にしてみれば、発表に際してはよほどの勇気が必要だったにちがいない。「かるき悼み」を不謹慎な表現と読むのが、世間一般というものの文法であるからだ。そして俳句は、世間一般に顔を向けている。この文法が如何に強力であるかについては、読者諸兄姉が先刻ご承知なので、いまさらくだくだしく述べる必要はないだろう。もしも自分が作者と同じような気持ちだったとしたら、こんなふうに詠めるだろうか。ちょっと想像してみるだけで、作者の勇気が実感される。しかも、作句されたのが大正四年(1915年)であることを思えば、なおさらである。『山廬集』(1932)所収。(清水哲男)


June 1762003

 アマリリス男の伏目たのしめり

                           正木ゆう子

アマリリス
語は「アマリリス」で夏。熱帯の百合とでも言うべき華やかさと気品がある。私がすぐに思い出すのは、小沢信男の「四方に告ぐここにわれありアマリリス」で、まことに言い得て妙。その気品であたりを払うような存在感が、しかと刻まれている。擬人化するとすれば、男はたいていこの句に近い感覚で扱う花だろう。ひるがえって、掲句は女性の感覚でつかまえたアマリリスだ。小沢句の花も正木句のそれも、ともに昂然といわば面を上げているところは同じだ。が、いちばんの違いは、小沢句が花を自分に擬していないのに対して、掲句は直裁的に述べてはいないけれど、最終的にはみずからに擬している点である。当たり前と言えば当たり前で、男が自分を花に例えるなどめったにない。せいぜいが散り急ぐ桜花くらいか。ただ当たり前ではあっても、掲句の展開にはどきりとさせられた。花に擬すとはいっても、男は「立てば芍薬坐れば牡丹」などと、いつも外側からの擬人化であるのに比べて、女性はどうやら花の内側に入り込んでしまうようなのである。擬人化した主体が花化している。入り込んでいるので、ちょっと蓮っ葉な「男の伏目たのしめり」という物言いも嫌みにならない。すべてを当人が言っているのではなくて、花が言っているのでもあるからだ。常日ごろ「伏目」がちの私としては、この句を知ったときから、女性をアマリリスの精だと思うことにしている。そう思ったほうが、気が楽になる。半分はホントで、半分はウソだけど……。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


June 1862003

 どこにでもゐる顔多し菖蒲園

                           中村苑子

語は「菖蒲園」で夏。最近、こういう何でもないような句が気になる。「どこにでも」ありそうで、どこにも無い句だ。初心者は、こういう句をまず絶対に作らない。いや、作れない。というのも、誰だって「どこにでもゐる顔」という思いはあっても、いざ作品化するとなると、待てよと立ち止まってしまうからだ。「どこにでもゐる顔」なんて、本当はありっこないじゃないか。みんな、他ならぬ自分も含めて、それぞれが違う顔を持っているではないか。だから、ふっと「どこにでもゐる顔」と感じるときがあったとしても、いざ作品にするときには逡巡してしまうのだ。文字にする瞬間とは不思議なもので、ひどく神経質になってしまう。むろん、「どこにでもゐる顔」なんてあるはずがない。でも、私たちはつい「どこにでもゐる顔」と実感することがあるのは否定できない。だったら、「どこにでもゐる顔」はみずからの現実には存在するのだし、掲句のように書いたって構わない理屈だ。が、私もまた、なかなかこうした書き方ができないでいる。何故に逡巡するのか。自分で自分が歯がゆくなる。「どこにでもゐる顔」と感じる状況の必然性については、ある程度はわかっているつもりだ。でも、そう書くことははばかられる。本当は、何故なのだろうか。ただ、作者も「どこにでもゐる顔多し」と書いている。「多し」は、やはり少しばかりの逡巡のなせる措辞だろうと思った。なんとなく句が可愛いく感じられるのは、このちょっぴりの逡巡のせいなのかもしれない。『吟遊』(1993)所収。(清水哲男)


June 1962003

 二卵性双生児三文安よさくらんぼ

                           文挟夫佐恵

語は「さくらんぼ」で夏。ところで「二卵性双生児」を、作者はどう読んでほしいと思っているのでしょう。そのまんま「にらんせいそうせいじ」でも構わないわけですが、かなりの字余りになりますね。初見のとき、振仮名が小さくて読めず、後にレンズでよくよく見てみたら「にぬふたり」とありました。なあるほど、この字の読ませ方からして面白い。たしかに二卵性の場合は、言われてみないとわからない人もいますね。作者自身が双生児なのか、あるいは子供がそうなのか。いずれにしても、近しい存在の双生児のことを詠んでいます。でないと「二束三文」の措辞が、いささかの自嘲であることから逸脱してしまいます。私は双生児ではないのでわかりませんが、双生児や親の気持ちとしては、よく似ていることが一種のいわば誇らしさに通じるのでしょうか。それこそ「さくらんぼ」が似ていないと、つまり粒ぞろいでないと「二束三文」に値打ちが落ちてしまうように……。私には、似てないほうがお互いに間違われなくてよいとしか思えませんが、そうでもないと掲句は言っています。きっと、私などには理解不能な理屈を越えた何かがあるのでしょう。実は「さくらんぼ」を食べながら、私はいまキーボードを打っています。これだけ粒をそろえるためには、生産農家は大変でしょうね。二卵性の子供を産み育てるのだって大変だ。それが二束三文だなんて、この自嘲にはついていけそうもありません。『天上希求』(1981)所収。(清水哲男)


June 2062003

 路頭とはたたずむところ合歓の花

                           坪内稔典

語は「合歓(ねむ)の花」で夏。夜になると葉を閉じるので「眠」と付いたそうだ。子供のころ、学校への道の途中の川っぷちにあつて、不思議な木があるものだと思っていた。故郷を離れてからは、一度も見た記憶はなく、それでも花の様子は鮮明に思い出せる。いまごろは、もう咲いているだろう。作者は旅行先で合歓に出会い、しばらくたたずんで眺めた。そして、ふっと気がついた。そうか「路頭」とは、こうしてたたずむところでもあったのだ。都会の道のように、ただせかせかと歩くだけが路頭じゃない。作者は日本一せかせかと歩く人が多いと言われる大阪住まいだけに、痛切にそう感じたのだろう。現代ならではの句だ。実際、東京あたりでも、なかなかたたずめるような道はない。たたずむことができるのは、信号待ちのときくらいだ。下手に立ち止まったりしたら、突き飛ばされかねない。それに、合歓なんてどこにも生えてない。すなわち、たたずむに値するだけの対象物もないのである。ひたすら道は歩くため、車で移動するためだけにあるのであって、別の目的で使用したりすると、たちまち道交法に引っ掛かってしまう。いまにきっと、みだりに立ち止まっちゃならぬという一項が追加されるだろう。いや、既に集団に対してはそうした条項があるも同然だ。だから、掲句が発禁になるのも間近い。と、いまは冗談ですむけれど、いつまでこの冗談がもつだろうか。路頭は変わった。それこそ路頭が「路頭に迷っている」。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)


June 2162003

 梅雨の月金ンのべて海はなやぎぬ

                           原 裕

語は「梅雨の月」。降りつづく雲間に隠れていた月が、ふっと顔を出した。すると、真っ暗だった海の表が「金(き)ン」の板を薄く延べ広げたように「はなや」いで見えたのだった。あくまでも青黒い波の色が金箔に透けて見えていて、想像するだに美しい。「はなやげり」とはあるが、束の間の寂しいはなやぎである。句を読んですぐに思い出したのは、小川未明の『赤いろうそくと人魚』の冒頭シーンだった。「人魚は、南の方の海にばかりすんでいるのではありません。北の海にもすんでいたのであります」。と、書き出しからして、寂しそうな設定だ。「北方の海の色は、青うございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。/雲間からもれた月の光がさびしく、波の上を照らしていました。どちらを見てもかぎりない、ものすごい波が、うねうねと動いているのであります。……」。どこにも梅雨の月とは書いてないけれど、この物語の不思議で寂しい展開からして、梅雨の月こそが似つかわしい。そして、掲句の海の彼方のどこかから、こうして人魚がこちらを見ていると想像してみると、いかにも切ない。そんな想像を喚起する力が、句にそなわっているということだ。なお「金ン」としたのは、「金」と書いても「カネ」と誤解する読者はいないだろうが、やはり文字面からちらりとでも「カネ」と読まれることを排したかったのだろう。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)


June 2262003

 姥捨の梅雨の奥なる歯朶浄土

                           櫛原希伊子

捨(うばすて)伝説にもいくつかあるが、掲句の背景にある話は『大和物語』のそれだろう。この話が、なかでいちばん切なくも人間的だ。「信濃の国に更級といふところに、男住けり。若き時に親死にければ、をばなむ親の如くに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻(め)の心いと心憂きこと多くて、この姑(しうとめ)の老いかがまりてゐたるをつねに憎みつつ、男にもこのをばの御心(みこころ)さがなく悪しきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、疎(おろ)かなること多くこのをばのためになりゆきけり」。かくして妻の圧力に抗しきれなくなった男は、ある月夜の晩に養母を騙して山に置き去りにしてしまう。が、一夜悶々として良心の呵責に耐えきれず、明くる日に迎えに行ったという話だ。当然といえば当然だけれど、この話を、男は捨てた「男」に感情移入して受け取り、女は捨てられた「女」の身になって受け取る。子供でも、そうだ。掲句でもそのように受け止められていて、どんなところかと訪ねていった捨てられた場所の近辺を、さながら「浄土」のようだと素直に感じて、ある意味では安堵すらしている。それも、いちめん「歯朶(しだ)」の美しい緑に覆われたところだ。「梅雨の奥」のあたりには神秘的な山の霊気が満ちていて、とても人間界とは思えない。「捨てられるならここでもいいか、とふと思う」と自註にあった。『櫛原希伊子集』(2000)所収(清水哲男)


June 2362003

 ハンカチをきつちり八つに折り抗す

                           後藤綾子

語は「ハンカチ」で夏。どのような状況で、誰に(あるいは、何に)対して「抗」しているのかは、わからない。が、作者の抗議の姿勢はよくわかる。普段は慣れもあって、なんとなく折り畳んでいるハンカチを、このときにはことさらに丁寧に「八つ折り」にした。意識的に、寸分の乱れもないように「きつちり」と折ったのだ。その必要以上の馬鹿丁寧さが、怒りをこらえた作者の心情を見事に具現している。感情を爆発させるのではなく内側に押しとどめ、相手が人間であれば、なおかつ相手にもわからせる仕草というものがある。押し黙ってこいつをやられると、相手にはだんだんボディブローのように効いてくる。女性に特有の遠回しの感情表現法とでも言うべきか。男としては、実にコワい。ところで話はころりと変わるが、欧米では日本のように、女性が手を拭いたり汗を拭うための実用的なハンカチは持ち歩かない。ヨーロッパではあくまでも洟をかむためのものだし、アメリカやカナダではそもそも最初から持つ習慣がない。私の番組の相棒だった女性がカナダ育ちで、あるとき不思議そうに「なんで、みんなハンカチ持ってるんですか」と聞かれて、思わず「えっ、君は持ってないの」と聞き返した覚えがある。掲句を翻訳するとしたら、日本のハンカチ使いの習慣を註記しておく必要がありそうだ。『綾』(1971)所収。(清水哲男)


June 2462003

 昼寝覚電車戻つてゐるやうな

                           原田 暹

語は「昼寝」で夏。昼寝から覚めた後で、一瞬「ここはどこ、私は誰」みたいな状態になることがある。そのあたりの滑稽を詠んだ句は多いけれど、電車の中とは意表を突かれた。車中でのうたた寝も、なるほど昼寝といえば昼寝か。これからの季節、こっくりこっくりやっている人をよく見かける。はっと目が覚めて窓外を見るのだが、どこを走っているのかわからない。おまけに、ぼおっとした頭で懸命に判断してみるに、なんだか目的駅とは反対の方向に「戻つてゐるやうな」気がする。ややっ、こりゃ大変だ、どうしよう……。と、ここで一気に眠気の吹っ飛ばないのが車中のうたた寝というもので、なお作者は車中の人に気づかれないよう平静を装いながら、必死に窓外に目をやっている。このあたりが、実に可笑しい。それもこれもが、私にも覚えがあるからで、こういうときに、次の駅であわてて飛び降りたりするとロクなことにはならない。たいていは、そのまま乗っててもよかったのだ。本当に戻ってしまったのは、一度だけ。ほとんど徹夜で飲んだ後、鎌倉駅から東京駅に向かっていたはずが、気がついたら逆方向の逗子駅だった。途中まで友人と一緒だったので、はじめから方向を間違えて乗ったわけじゃない。明らかに、ちゃんと東京駅に着いた電車が折り返してしまったのだった。誰か起こしてくれればよかったのにと、糞暑い逗子駅で東京行きを待つ時間の長かったこと。以来、終点で寝ている人を見かけたら起こすことにした。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


June 2562003

 仏法僧廊下の濡れている理由

                           夏井いつき

語は「仏法僧(ぶっぽうそう)」で夏。昔はまったく別の鳥を指した名であることは広く知られているが、一応角川版の歳時記から引き写しておく。「夏の夜ブッポウソウと鳴くのはブッポウソウ科の仏法僧だと信じられてきたが、実はフクロウ科の木葉木菟であることが昭和十年に判明した。そこで仏法僧を『姿の仏法僧』、木葉木菟を『声の仏法僧』と呼ぶ。仏法僧は青緑色で赤い嘴が目立つ。……」。両者の棲息場所が同じなので、古人が誤解したらしい。掲句は現代の作品だから、むろん「姿の仏法僧」だ。仏法僧が飛んでいるくらいだから、人里からかなり離れた寺あたりの「廊下」だろう。明るい陽射しのなかを、美しい色彩の鳥がキラキラと飛んでいる。まことに晴朗な気分で、作者は人気のない建物に目をやった。そして、ところどころを眺め歩いているうちに、ふっと廊下の一部に黒い滲みがあるのに気がついたと言うのである。明らかに、水か何かの液体をこぼしたせいだとわかる。それも、ついさきほどこぼしたように、まだじっとりと「濡れている」。でも、いったい、誰がいつどんな「理由」で濡らしたのか。見回してみても、それらしい人影もない。「変だなあ」といぶかる作者の頭上を、折しも仏法僧が「ギャー」と鳴きながら飛び去っていった。と書くと、あまりにミステリー仕立てに読みすぎで、もちろん作者は探偵のように理由を求めているわけじゃない。ちらりと疑念が、心の片隅をかすめた程度。次の瞬間には忘れてしまう程度。しかし、その「ちらり」をこのように、いわば大仰に書きとめることで、逆に仏法僧の姿が読者の目にもいちだんと鮮かになった。そういう構造になっている。句面では、一見仏法僧が脇役に見えるけれど、実はこの鳥を主体に描いた句だったのだ。「俳句」(2003年7月号)所載。(清水哲男)


June 2662003

 いつよりの村のまぼろし氷雨の馬

                           北原志満子

語は「氷雨(ひさめ)」。しばしば物議をかもす季語で、俳句では通常夏季としているが、一般的には冬季と理解する人がほとんどだろう。夏季としたのは、文字通りの氷の雨、すなわち雹(ひょう)を指すからだ。対して冬季と感じるのは、みぞれに近い冷たい雨、すなわち氷のような雨と思うからで、新しい『広辞苑』などでは両義が並記されている。どちらが正しいかということになれば、理屈では氷の雨そのものを指す夏季説が、比喩的に受け取る冬季説よりも直裁的で正確であるとは言える。しかし、一般的に冬季と解されてしまうのは、何故なのだろうか。一つには夏の雹が頻繁に降るものではないからだろうし、もう一つには詩や歌謡曲で冬季として流布されてきた影響も馬鹿にならないと思う。では掲句の「氷雨」の季節はいつだろうかと考えてみて、私の結論はやはり俳句の伝統に添った夏季に落ち着いた。冬の冷たい雨と解しても、句がこわれることはないけれど、雹が農作物や家畜への被害をもたらすことを思えば、「村」の句である以上、夏季とみるのが順当だろう。このときに「氷雨の馬」とは、突然の雹に驚き暴れる馬のイメージであり、そのイメージがこの村には、いつのころからか「まぼろし」として貼り付いていると言うのである。貧しい村の胸騒ぎするような不吉なまぼろしだ。何度も何度も雹にやられてきた村人は、この季節になると、氷雨に立ち騒ぐ馬のまぼろしに悩まされるのである。『北原志満子句集』(1975)所収。(清水哲男)


June 2762003

 セピアとは大正のいろ夏館

                           田中裕明

セピア
語は「夏館(なつやかた)」。和風でも洋風でもよいが、夏らしいよそおいの大きな邸宅を言う。この場合は古い洋館だろう。建物全体がセピア調の落ち着いたたたずまいで、いかにも涼しげである。昨日今日の建築物では、こういう味は出ない。そこで「セピアとは大正のいろ」と、自然に口をついて出た句だ。さて、ならば「セピアとは」、実際にどんな色なのだろうか。私たちは、なんとなくセピアのイメージは持ってはいるけれど、この色についてあまり考えたことはない。「セピア=レトロ調」とすぐに反応するのは、何故なのだろうか。『広辞苑』を引くと「(1)有機性顔料の一。イカの墨汁嚢中の黒褐色の液を乾かしてアルカリ液に溶解し、希塩酸で沈殿させて製する。水彩画に用いる。(2)黒褐色」と出てくる。(1)は人工的な色で、どこででも見られるわけじゃない。(2)は天然に存在する色だが、定義が大雑把に過ぎる。私たちが言うセピアは、黒褐色のなかのある種の色合いを指すのであって、全部ではないからだ。あれこれ調べているうちに、どうやら私たちのセピアは、昔の銀塩写真の色褪せた状態の色から来ているらしいことがわかった。そう言えば、残されている明治や大正の写真はみなセピア色に変色している。だから、レトロ。となると、セピアの歴史は二百年にも満たない。芭蕉も蕪村も知らなかった色だ。近代初期の色。それも、写真の劣化に伴って情けなくも発生してきた色。だから往時の人々にとってのセピアは、負のイメージが濃かったに違いない。けれども、逆に現代人は懐しげに珍重しているわけで、この価値の逆転が面白い。ただし、現代人が好むセピアと写真の劣化によるそれとは、微妙に異っている。写真が小さくて申し訳ないが、比較のためにPhotoshop Elで見本を作ってみた。右側のやや黄色がかった色合いが、劣化写真の色彩に近い。したがって、高齢者ならば、どちらかと言えば右側のほうがセピア色だと指すことだろう。「俳句界」(2003年7月号)所載。(清水哲男)


June 2862003

 虹消えて了へば還る人妻に

                           三橋鷹女

語は「虹」。夏に多く見られるので夏季とされる。どんなに素晴らしい虹だったろう。しばし、忘我の状態で見惚れていた。しかしそれも束の間で、跡形もなく「消えて了(しま)」うと、また散文的な日常の時間のなかの「人妻」に「還(かえ)」ったというのである。句意としてはこんなところだろうが、この句に精彩を与えているのは「人妻」という用語法だ。字足らずを問題にせず「主婦」と置き換えてもよさそうだけれど、そうはいかない。なぜなら、「人妻」は一般的に自分を指して言う呼称ではないからである。冗談めかして「私は人妻だから」と言うようなことはあつても、よほどのことが無いかぎり、他人に正面切って「主婦です」とは言っても「人妻です」とは言わないものだろう。あくまでも第三者の妻の意であり、すなわち「人妻」とは「他人妻」なのである。したがって、掲句は「主婦」と表現するよりも、よほど自分を突き放している。「主婦」としても十分に散文的な日常を感じさせるが、「人妻」はもっと索漠とした気持ちに通じるものがある。だから、虹の幻想的な美しさがより鮮明に印象づけられるのであり、消えてしまった後の空しさが読者にもよくわかるのだ。ところで「他人妻」で思い出したが、最近「他人事」を「たにんごと」と読む人が増えてきた。むろん「ひとごと」と読むのが正しい。こういう間違いは、それこそ「他人事」じゃない気がして、聞くたびにハラハラしてしまう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


June 2962003

 ふりかけの音それはそれ夕凪ぎぬ

                           永末恵子

語は「夕凪(ゆうなぎ)」で夏。海辺では、夏の夕方に風が絶えてひどい暑さになる。瀬戸内海の夕凪はとくに有名で、油凪といういかにも暑苦しげな言葉があるほどだ。私は海の近くに暮らしたことがないので、生活感覚としての夕凪は知らない。若い頃に出かけたあちちこちの海岸での、わずかな体験のみである。ただじいっとしているだけで汗が滲み出てくる、あのべたっとした暑さには、たしかにまいった。たいていは民宿に泊まったから、掲句を読んだ途端に、民宿の夕飯時を思い出してしまった。民宿の夕飯は早い。すなわちまだ明るい時間で、ちょうど夕凪のころだ。当時はどこの民宿に行っても、テーブルに「ふりかけ」の缶がどんと置いてあったような……。出てきたおかずだけでは到底足らない食欲旺盛な若者用だったのか、それとも逆に食欲の湧かない人がなんとか飯を食べるためのものだったのか。冷房装置なんて洒落たものはなかったから、じっとりとした暑さのなかでの食事はたまらなかったなあ。句はそんなたまらなさを、さらさらした「ふりかけの音」との対比で表現している。触覚ではなく聴覚を持ちだしてきたところが面白い。センスがいい。しかし、いかに音がさらさらしていたところで、本当に「それはそれ」でしかないのであり、げんなりしている作者の様子が目に浮かぶようだ。可笑しみが、そこはかとなく漂ってくる。『ゆらのとを』(2003)所収。(清水哲男)


June 3062003

 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る

                           中村草田男

語は「蜥蜴(とかげ)」で夏。昔は、そこらへんにいくらでもいた。スルスルッという感じで走ってきては、ひょいと立ち止まり、ときに周囲を見回すような仕草をする。警戒心からなのだろうか。掲句は、この蜥蜴の様子を知らないとわかりにくい。はじめての子供の誕生の報せを受けた作者は、道を歩いている。いよいよ父親になったのかという思いで、あらかじめこの時が来ることを承知はしていても、なんとなく落ち着かない気分だ。実際、私の場合もそうだった。落ち着けと自分に言い聞かせても、意味もなくあちこちと動き回りたくなる。慌てたって仕様がないのだけれど、頭の中は混乱し、胸は動悸を打ち、やたらに「責任」だとか「自覚」だとかという言葉ばかりが浮かんでくる。果ては、まだ見ぬ我が子が成人になるときに、私は何歳だろうかなどと埒もない計算までしてしまったていたらく……。つい、昨日のことのように思い出す。このときの作者だとて、心中は同じようなものだろう。そんな作者が、とにかく意味もなくパッと止まる。と、視野にある蜥蜴もパッと止まった。そしてお互いに、周囲を見回す。夏の真昼のこの図には、作者の苦笑が含まれてはいるが、第三者である読者からすると、むしろ男という存在の根源的な寂しさのようなものが感じられるはずだ。無茶苦茶に嬉しいのだけれど、どこかで手放しには喜べない男というものの孤独の影が。『火の鳥』(1939)所収。(清水哲男)




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