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June 1562003

 パナマ帽へ手を当つ父の遠会釈

                           菊井稔子

パナマ帽
語は「パナマ帽(夏帽子)」。元気だったころの父親を偲んだ句だ。帽子にちょっと手をかけて「遠会釈」する仕草に、当時の作者はいちばん父らしさを感じていたのだろう。父というと、今でもまずその様子が浮かんでくる……。日本の男が帽子を大いに愛用したのは、明治期から戦後十年くらいまで。戦前の繁華街のスナップ写真を見ると、帽子姿の男が多い。私の父も、いくつか帽子を持っていた。ピーク時の着用率は昭和初期で九割だったというから、作者の父親の帽子姿も一般的だったわけだが、この帽子が「本パナマ」だとしたら、相当な洒落者だったと推測される。漱石も書いているように、本物のパナマはとても高価だった。となると、そんなダンディな父親を、娘は誇らしげに思っていたことになる。格好いいお父さんの格好いい挨拶。往時の父親の残像を通して、古き良き時代を懐かしんでいる。写真のポスターは句にふさわしくはないけれど、パナマ帽が世界的なダンディズムの象徴だった証拠として掲げておく。『BONNIE AND CLYDE(邦題・俺たちに明日はない)』(1967)。舞台は大恐慌時のアメリカで、主人公の若者は刑務所を出たばかりのちんぴらのくせに、パナマ帽を小粋にかぶっているという設定だ。このダンディな姿に女が一目ぼれするところから、映画が動き出す。意気投合した二人は強盗になり派手に暴れまくるのだが、最後には警官隊に包囲され猛烈な銃撃を浴びて死んでいく。警察に二人を売ったのは、途中から仲間に加わった男の父親だった……。今日は「父の日」。『花の撓』(2003)所収。(清水哲男)




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