ホ和句

February 1222004

 蔦の芽の朱し女は五十から

                           平石和美

語は「蔦(つた)の芽」。春になると、葉の落ちた黒い蔓から赤い芽や白い芽がふき出てくる。生長も早い。そのたくましい活力を称揚して、他の草木の「ものの芽」と区別する一項目として立てられたのだろう。ちなみに、芍薬や菖蒲の芽なども別項目立てである。掲句の中身は、そうした季語の本意によく適っている。見かけたのは偶然にしても、蔦の芽の「朱」を目にしたときに、こだわっていた何かが嘘のようにふっ切れたのだ。赤い小さな芽から、いわば生きていく勢いをもらったのである。とても素直に、そうだ「女は五十から」なんだと納得できたのだった。単純に解釈すればこういうことだが、むろんこの心境を得るまでには、それまでの気持ちの葛藤の整理がほぼなされていなければならない。ただもう一歩踏み出しかねているところもあって逡巡するうちに、蔦の芽ぶきに出会い、一気に整理がついたということだろう。いや、整理をつけたと言うべきか。自分で自分の葛藤に決着をつけるときには、すでにほとんど気持ちの方向は固まっていても、掲句のように何かのきっかけや弾みによって最終的に決めることが多い。人間の面白いところだ。句だけでは、作者の思い惑っていたことが何であるかはわからない。「五十」とあるので、年齢に関係する生活設計上の何かなのだろうが、それが何であれ、読者も作者同様に素直に「女は五十から」という断言に賛成できる。そこが、掲句の手柄である。「蔦の芽」の生命力が、まっすぐに断言の後押しをしているからだと思う。『桜炭』(2004)所収。(清水哲男)


November 22112004

 兵庫県丹南町字牡丹鍋

                           平石和美

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。猪肉(ししにく)の料理、「猪鍋(ししなべ)」とも。関西で好まれ、肉を野菜と一緒に煮込み、味噌で味付けする。篠山、丹波などに多い。この句が作られたとき(1997)の「丹南町」は多岐郡に属していたが、五年前に篠山町などと合併して、現在は篠山市に属している。句は単に地名を並べたようでもあり、でもまさか「牡丹鍋」という地名はないだろうと思ったけれど、「牡丹」くらいはありそうだと調べてみて、どうやら牡丹以下はフィクションだとわかって、はじめて笑うことになった。つまり「字(あざ)」如何には勝手に当地の名物をくっつけちゃったわけだ。地名にしてよいくらいに、丹南町の牡丹鍋はポピュラーなのだろう。牡丹鍋をいただきながら、ふっとこの洒落を思いつき、心中にんまりしている作者が想像できて楽しい句だ。たまには、こういう遊びもよいだろうと、私もひねってみようとしたが、なかなかうまくいかない。以前住んでいた東京中野にちなんで、「東京都中野区丸井青井町」はどうだろうか。中野駅前には丸井本店があり、経営者は青井さんだ。現在の居住地だと、「東京都三鷹市キウイワイン地区」あたりになるのかな。三鷹市の名物はキウイであり、ワインも作られている。が、やっぱり牡丹鍋には負けるなあ。読者諸兄姉も挑戦してみませんか。『桜炭』(2004)所収。(清水哲男)


September 1992006

 遠ければ瞬きに似て渡り鳥

                           平石和美

やつくつく法師の声がすっかり聞こえなくなり、虫の声もまばらになる頃、しばらくすると海の向こうから鳥たちがやってくる。渡り鳥とは海を渡る鳥を総称するが、俳句ではこの時期の大陸から日本に向かう鳥を「鳥渡る」、春に大陸へ戻る鳥を「鳥帰る」と区別している。はるかかなたから群れをなし羽ばたく鳥の姿は、まさに「瞬き」であろう。さまざまな種類の鳥たちが、羽を揃え、かの地からこの地へ毎年あやまたず渡ってくる。空の片隅に現れる芥子粒ほどの鳥たちは、瞬きのあやうさを持ちながら、しかし瞬くたびに力強く大きく迫ってくる無数の矢印である。イソップ寓話のなかに「詩歌の女神ムーサが歌うと、当時の人間の一部は楽しさに恍惚となるあまり、飲食を忘れて歌い続け、知らぬ間に死んでいった。死んでいった連中は蝉となった。蝉たちは今でも、生まれても食物を必要とせず、飲まず食わずに直ちに歌い始めて死に至る」という話がある。一定の土地に安住することができない渡り鳥たちにも、どこか通じるような気がしてならない。瞬きに似る鳥たちを手招く作者の胸に、かつて翼を持っていた頃の記憶が灯っているのかもしれない。『桜炭』(2004)所収。(土肥あき子)


November 27112008

 言ひかへてみてもぱつちに違ひなし

                           平石和美

月だったか、この欄で阪神の選手のインタビューに出てきた「必死のパッチ」という言葉について話題になっていた。そのことについて大阪の友人と話したが、さして深い意味はなく冬下着のパッチとの語呂合わせであるまいか、という結論に落ち着いた。「ぱつち」という言葉にはパチパチたたく音がその響きに感じられて何となく威勢がいい。ロングパンツ、スパッツ「ぱつち」を現代風に言い換える言葉はいくらでもあるだろうが、股引であることに変わりはない。おじいさんのラクダの股引とブランドもののロングパンツの違いはどこにもない。句の通り気取ってみてもぱっちはぱっちなのだ。このあたり関西弁のあっけらかんとした物言いに関西出身の私などは「ほんと、そうやねぇ」と相槌を打ちたくなる。キャミソールやタンクトップで過ごしていた娘たちも「ばばシャツ貸して」と、お願いに来るこのごろの寒さ、颯爽と街をゆく若者たちがいつ頃から「ぱつち」をお召になるのか、興味は尽きない。『桜炭』(2004)所収。(三宅やよい)


August 1282014

 指の力殺してブルーベリー摘む

                           平石和美

本で本格的な栽培が始まったから30年余り、栄養価の高い健康食品として、またジャムや菓子などの材料として定着したブルーベリー。いまや、農園での収穫体験や、家庭の庭木にも栽培されることから、手軽にその果実を手にすることができる。ブルーベリーは蔓性の植物で、果実は木苺と同じように指先で触れればたやすく萼から離れる。息や気配など、感情を努力して押さえる意味で使われる「殺す」を、掲句では指先の微妙な力加減で使用しているが、やはり一読ぎょっとさせる効果がある。ブルーベリーの果実のやわらかさゆえのあやうさが表現され、力を込めてしまいたくなる相反する気持ちがどこかで芽生えていることも感じさせる。〈顎引いて蝗もつともらしき貌〉〈縞馬の鬣の縞秋うらら〉『蜜豆』(2014)所収。(土肥あき子)


August 2182014

 蜜豆や母の着物のよき匂ひ

                           平石和美

豆はとっておきの食べ物だ。つい先日異動になる課長が課の女性全員に神楽坂の有名な甘味処『紀の善』の蜜豆をプレゼントしてくれた。そのことが去ってゆく課長の株をどれだけ上昇させたことか。蜜豆の賑やかで明るい配色と懐かしい甘さは、子供のとき味わった心のはずみを存分に思い起こさせてくれる。掲載句ではそんな魅力ある蜜豆と畳紙から取り出した母の着物の匂いの取り合わせである。幼い頃から見覚えのある母の着物を纏いつつ蜜豆を食べているのか。懐かしさにおいては無敵としか言いようがない組み合わせである。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」と詠んだのは橋本夢道だけど、男の人にとっても蜜豆は懐かしく夢のある食べ物なのだろうか。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


June 2562015

 飲み干して重くなりたるビアジョッキ

                           平石和美

ールがおいしい季節になった。仕事が終わり「ちょっと飲みに行こうか」と誘われてのまずは最初の一杯。本当に生きていてよかった、と思う瞬間でもある。家だと小さい缶を一本空けるにも持て余し気味なのに、外で飲むとビアジョッキ2杯ぐらいは軽くいけてしまうのはなぜだろう?残り少なくなったビールを飲み干したあと、それまでは軽々と持ち上げていたビアジョッキが右手にずしんと重くなる。空になっているはずなのに…。書かれて初めて気づく感覚もある。このように微妙な勘どころを押させて表現するのは俳句の得意とするところ。この季節ビアジョッキでビールを空けるたび、この句が頭をかけめぐりそうである、『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


December 17122015

 鮟鱇のくちびるらしき呑み込みぬ

                           平石和美

鱇のぶつ切りがスーパーに並ぶ季節になった。寒い日はアンコウ鍋でしょう、と買ってくるがぶつ切りになった部位のどこがどこやら、わからぬまま鍋に入れる。筋やら皮やら肝やら、ちょっと気味が悪いがホルモンだって同じこと。美味しけりゃいいと食べている間はどこの部位かなんてさほど気にしない。しかし口触りで、鮟鱇のくちびる?と思うが回りで食べている人に確かめるのも気が引ける。一瞬の躊躇のあと、えいとばかり呑み込んでしまう。深海魚であるあんこうの口は大きくて、くちびるは分厚そうだ。人間の口の中で咀嚼されて呑み込まれるくちびる、ことさらに考えると何か異常なものを食している気にもなる。食に隠されている気味悪さが際立つのも俳句の短さならではの効果といえる。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)




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