高校野球予選の西東京大会で、都立国立、都立昭和が四強に。がんばれ、都立高校。




2004N725句(前日までの二句を含む)

July 2572004

 その色の少年夢二草苺

                           廣瀬直人

語は「草苺(くさいちご)」で夏。と言っても、もう実の盛りは過ぎているかもしれない。全体の姿が草のように見えるのでこの名があるが、れっきとしたバラ科の落葉低木で、いわゆる木苺の一種だ。小さな良い香りの赤い実がなり、甘酸っぱい味がする。「夢二(竹久夢二)」は、少年期を岡山県東南部の邑久郡邑久町で過ごした。句の前書きに「岡山小旅」とあるから、現地での作句のようだ。たまたま見かけた草苺の姿に、「少年夢二」を通い合わせている。「その色」の「その」はもちろん「草苺の」であるが、「色」には草苺の可憐な赤に象徴される夢二その後の人生や作品活動のありようをも滲ませてある。いささかセンチメンタルな思い入れではあろうけれど、この感傷はしかし上質のものだ。甘さに流れる寸前で句が踏みとどまっているのは、すっと「その色の」と出た力強さにあるのだろう。可憐ではかなくて……、夢二にはこうしたセンチメンタリズムがよく似合う。「泣く時はよき母ありき/遊ぶ時はよき姉ありき/七つのころよ」。明治四十三年の「中学世界」に載った夢二の歌である。ここにも句の「その色」が、そのまま通い合っているようではないか。俳誌「白露」(2004年8月号)所載。(清水哲男)


July 2472004

 学生食堂冷し中華は売り切れて

                           平木智恵子

語は「冷し中華」で夏。上手な句とは言えないが、「学生食堂」の雰囲気はよく伝わってくる。昼時は混雑しているし、冷房もそんなには効いていない。あそこは食事を楽しむなどは二の次で、とりあえず空きっ腹を満たすためだけにあるような施設である。だから、簡便なメニューが好まれる理屈で、冷たくて安くて早く食べられる「冷し中華」などは人気があるのだろう。冷した麺を皿に盛り、胡瓜と錦糸卵と紅生薑をちょいちょいと乗っけて、ハイおしまい。神田の出版社に勤めていた頃は、手元不如意になると、近所の明大や中大の学生食堂に行った。この季節、冷し中華もよく食べたけれど、ときに麺がほぐれないままになっていたりして、お世辞にも美味いとは言えなかった。でも、編集者なんぞの昼食というものは学生と同じで、とにかく当面の空腹さえ免れればそれでよいというところがある。栄養士が聞いたら、目を回しそうな粗食や偏食ぶりなのだ。話はまた飛ぶけれど、知り合いの女性栄養士のお子さんが、ある日遊びにいった友だちの家から目を輝かせて帰ってきた。「お母さん、○○君ちのおにぎり、すっごく美味しかったよ」。聞いてみると、何のことはない。ごく普通のおにぎりだったのだが、彼女のおにぎりは子供の健康を考えて塩味抜きなので、その差が出たと言うわけだ。鮨屋で頑に醤油を使わないでいたら、握っていた大将に「そんなに不味そうに食わないでくれ」と叱られたのもこの人である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 2372004

 天を航く緑濃き地に母を置き

                           野沢節子

語は「緑」で夏。はじめて飛行機に乗ったときの句だという。飛び立って上昇中に眼下を見渡すと、一面の「緑の地」がどこまでも広がっていた。緊急の用事か仕事での旅だろう。はじめて見る美しい眺めにも関わらず、ああ、あの緑の地のどこかに「母」を置いてきたのだという感懐が胸をかすめる。作者は長く病床にあり、いつも面倒をかけてきた母だったから、「置き」は「置き去り」に通じるところがあって切ない。この見事なランドスケープを、母にも見せてやりたかった。いっしよに見たかった……。どこかに書いたことだが、私は高所恐怖症なので、はじめての飛行機は怖かった。でも、仕事だったのでしかたがない。同乗者は作家の開高健で、奄美大島に住んでいた島尾敏雄を訪ねる旅だった。開高さんは私の恐怖症を知っていたから、窓側に座ってくれ、いよいよ出発という時に例の大音声でささやいた。「清水よ、下見たらあかん。絶対見たらあかんで」。言われなくとも下を見る度胸はなかったが、言われるとますます怖くなってきて、おそらく真っ青になっていたにちがいない。開高さんが、なにやかやと面白い話で気を紛らわせてくれようとしていたのは覚えているけれど、ろくに相づちも打てないほどに、私はカチンカチンなのだった。優しい人だったなあ。『飛泉』(1976)所収。(清水哲男)




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