October 122004
梅干の真紅を芯に握り飯
中嶋秀子
季語は「梅干」で夏。梅を干す季節から定まった季語だが、句のように「握り飯」とセットになると、夏よりもむしろ秋を思わせる。運動会の握り飯、遠足やハイキングの握り飯など、とりわけて新米でこしらえた握り飯は美味かった。当今のスーパーで売っているようなヤワな作りではなく、まさに梅干を「芯(しん)」にして固く握り上げたものだ。飾りとしか言いようのない粗悪な海苔なんかも巻いてなくて、純白の飯に真紅の梅干という素朴な取り合わせが、目の保養ならぬ目の栄養にもなって、余計に食欲が増進し、美味さも増したのだった。掲句は、そうした視覚的な印象を押し出すことによって、握り飯本来の良さを伝えている。昔話「おむすびころりん」のおじいさんが取り落とした握り飯も、きっとそんな素朴なものだっのだろう。ついでに引いておけば、明治時代の教科書には、こんな梅干しの歌が載っていたそうだ。「二月・三月花ざかり、うぐいす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月・六月実がなれば、枝からふるい落とされて、近所の町へ持ち出され、何升何合はかり売り。もとよりすっぱいこの体、塩につかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月・八月暑い頃三日三晩の土用干し、思えばつらいことばかり、それも世のため人のため。しわはよっても若い気で、小さい君らの仲間入り、運動会にもついて行く。まして腹痛のその時は、なくてはならぬこのわたし」。『玉響』(2004)所収。(清水哲男)
October 112004
夜長ふと見出しものに「肥後守」
中村草田男
季語は「夜長」で秋。草田男にしては、大人しい句だ。署名がなければ、誰も草田男句だとは読めまい(思い出しますね、「第二芸術論」)。秋の夜長のつれづれに、引き出しの整理でもしていたのだろう。その昔、子供の頃に使った「肥後守(ひごのかみ)」が出てきた。何故こんなところに、こんなものが……。訝しく思いつつも、一挙に懐かしさに襲われて、刃を開いたり閉じたりしてみている。何か削るものはないかと、周辺を見回している作者の姿が想像されて、微笑ましい。「肥後守」は、明治期から昭和三十年代くらいまでにかけて使用された学童用の安価な和式ナイフである。といっても、ちゃんと刃文の出る本格的な刃物で、きちんと研いでやると相当によく切れた。ということは、錵もあったのだろう。主として鉛筆削りに使われたが、そこは子供のこと。それだけの用途ではすまされず、木や竹を削ったり果物を剥いたりと、いまで言うアウトドアでも大いに活躍した。だが、喧嘩に使われることはめったになかったと思う。そのあたりは刃物の何たるかを、肥後守を通じて知らず知らずのうちにわきまえていたのだ。危ないという理由からと、便利な鉛筆削り機が登場したことにより、学校から追放されてしまったけれど、それで良かったとは必ずしも言いがたい。刃物を持ったことがない者には、刃物の恐さがわからないからだ。ちなみに今回初めて知ったことだが、「肥後守」は「味の素」などと同様に普通名詞ではなく、れっきとした登録商標なんだそうである。『大虚鳥』(2003)所収。(清水哲男)
October 102004
錵のごとくに秋雷の遠きまま
友岡子郷
さて「錵(にえ)」とは何だろうか。「沸」とも表記する。句の成否は「錵のごとくに」の比喩にかかっているのだから、知らないと観賞できない。手元の辞書には「焼きによって日本刀の刃と地膚との境目に現れる、雲や粟(あわ)粒のような模様」と出ている。刀身を光にかざして見ると、細かいキラキラする粒が認められる。それが「錵」だ。学生時代に後輩の家に遊びにゆき、はじめて抜身の日本刀を間近に見せてもらった。父親の美術コレクションだったようだが、持ってみて、まずはその重さに驚いた。とても振り回したりはできないと思った。そして、なによりも刀身の美しさ……。息をのむようなという形容が陳腐なら、思わず居住まいをただされるとでも言うべきか。それまで胡座をかいていたのが、すうっと自然に正座してしまうほどだった。「(曇るので)息をかけないように」と言われたのにはまいったけれど、何の感想も漏らせないままに、ただただ見入ってしまったことを覚えている。掲句はそのときのことを思い出させてくれ、私にとっては遠い「秋雷」さながらに、しばし郷愁に誘われる時間を得た。自注によれば、作者は小学生のときに備前長船を叔父に見せてもらったそうで、この「遠きまま」には、距離の遠さと時間の遠さとが同時に表現されているわけだ。しかし、そうした作句事情は知らなくても、日本刀を手に取ったことがある人には、一読同感できる佳句として響いてくるだろう。『未草』(1983)所収。(清水哲男)
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