ム恵q句

October 24102004

 秋冷の竹を眺むるあとずさり

                           平林恵子

語は「秋冷」(「冷やか」に分類)。晩秋になると、朝夕は冷え冷えとしてくる。多くの植物が葉を落とし枯れてゆく季節でもあるわけだが、ひとり竹のみが青々と枝葉を繁らせる。「竹の春」という季語もあるほどで、若竹も生長してこの青に加わるから、竹山などは周囲を睥睨するが如きの存在感を示すようになる。私の故郷は竹の多いところだったので、子供の頃から実感していた。そんな竹林か竹やぶか、作者は凝視しようとして、思わずも「あとずさり」したというのである。あとずさりしたのは、全体をよく見ようという意識が働いたことにもよるだろうが、竹群れの圧倒的な存在感を前にして、むしろ精神的に後ろに退かされたという想いのほうが強いのだと思う。だから、実際にはあとずさりをしていないのかもしれない。しかも、季は秋冷の候だ。澄んだ大気の中でくきやかな竹たちは、ますます軒昂にくきやかさを増すようであり、折りからの冷えに縮みがちな作者の身体との取り合わせが絶妙だ。「秋冷」は「あきびえ」ないしは「しゅうれい」と発音できるけれど、この場合には凛とした竹の姿を思いあわせて、音読みの「しゅうれい」でなければならない。掲句は句集の表題作であり、そう思ってから奥付を見たら、やはり「しゅうれい」とあった。『秋冷の竹』(2004)所収。(清水哲男)


July 0572005

 輪唱の昔ありけり青嵐

                           平林恵子

語は「青嵐」で夏。「輪唱(りんしょう)」と聞いてすぐに思い出すのは、三部輪唱曲のアメリカ民謡「静かな湖畔で」だ。♪静かな湖畔の森の陰から もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く……。戦後の一時期には、大いに歌われた。青嵐の季語から見て、作者の頭にもこの曲があったのかもしれない。どんな時代にも人は歌ってきたが、なかで輪唱が盛んだったのは、日本では敗戦から二十年ほどの間くらいだろうか。輪唱は一人では歌えない。その場の誰かれとの、いわば協同作業である。すなわち一人で歌うよりも、みんなで歌うほうが楽しめた時代があったのだ。かつての「歌声喫茶」は輪唱に限らないが、合唱や斉唱を含め、もっぱら複数で歌うことのできる場を提供することで、大ブレークしたのである。対するに、現在流行の「カラオケ」は一人で歌うことがベースになっている。私などにはこの差は、敗戦後の苦しい生活のなかで肩寄せあって生きていた時代とそうでなくなった時代とを象徴しているように思われてならない。戦後の庶民意識は60年を経るうちに、いつしか「みんなで……」から「オレがワタシが……」に完全に変質してしまったということだろう。このことへの評価は軽々には下せないけれど、清々しい青嵐に吹かれて一抹の寂しさと苦さとを覚えている作者には共感できる。俳誌「ににん」(2005年夏号・通巻19号)所載。(清水哲男)


January 1612015

 弄ぶ恋があるらし温め鳥

                           平林恵子

め鳥は一つには、親鳥がひなを羽の下に抱いて温めるそのひなの事。母の想い出には抱かれた日の温かき懐の記憶がある。温め鳥のもう一つには冬の寒い夜、鷹が小鳥を捕らえて掴かんで足を温めるその小鳥の事を言う、翌朝には放すらしい。揚句の場合は後者の鷹に弄ばれた小鳥のほうだろうか。恋は片想い専門の小生であるが一度は弄ばれてみたかった、いや面目ない。他に<山の子が海の子へ振る夏帽子><十六夜や兎の型に切る林檎><東京の大坂小坂金木犀>など。『チョコレート口に小春日臨時列車』(2005)所収。(藤嶋 務)




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