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November 03112004

 色刷りの朝刊多し文化の日

                           小路智壽子

和二十年代も後半の句だろう。いまでこそ新聞の写真や絵が「色刷り」になっていても珍しくはないけれど、当時は元日などの特別な日しかカラーは使われなかった。コストが高くついたのと、印刷技術がまだ未熟で鮮明に色彩を表現できなかったせいだ。アタラシもの好きの私などは、それでもワクワクして眺めたものである。あまりに実際の色とかけ離れた写真とわかっても、いつもひいき目で見ては、凄いなアと感激していた。掲句は駅売りスタンドの新聞各紙を眺めたときの感想だろうが、これぞ文化であり「文化の日」にふさわしい光景だと心を暖かくしている。「文化」という言葉それ自体に、人々がまだ希望の灯を感じていたころの実感なのだ。文化包丁だとか文化鍋だとか、とにかく「文化」の名をつけてあればありがたいような気になった時代だった。文化湯なんて銭湯もあったっけ。さしずめ「長髪アタマを叩いてみれば、ブンカブンカの音がする」という時代だった……。それが、いまではどうだろう。「文化」は横文字の「カルチャー」にすっかり席をゆずり、今日が「文化の日」だよと言われても、なんだかピンと来なくなってしまった。遠からず「カルチャー・デー」なんて呼ぶようになる日が来るのかもしれない。とまれ、戦後文化は人間の上っ面だけをなぞったような平板なものだった。名称が改変されたとしても、誰もカルチャー・ショックなど受けないだろう。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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