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January 0212005

 妻の過去わが過去賀状とみに減る

                           野木野雨

婦といっても、もとは他人だ。お互いに知らない「過去」を持つ。「賀状」が配達されるてくると、そのことを強く感じる。自分が知らない名前の人から相手に来ている賀状は、いやでも別々の過去があったことを印象づける。どんな友人からなのか、どんな付き合いのあった人からなのだろうか。若い頃には、いささか気になったりするものである。が、年を重ねていくうちに、だんだん賀状が減ってくると、二人への過去からの便りも少なくなり、気にしていた頃が華(はな)だったなと思うようになってくる。どんな関係の人からであろうとも、数多く来ているうちが所帯の盛りなのだ。「とみに」減った賀状の束をいとおしみながら、作者はあらためて夫婦の来し方に思いを去来させているのだろう。そういえば、こんなこともあったっけ。「たゞごとの如き賀状や秘めし意酌む」(藤波銀影)。むろん異性からの賀状だろうが、相手は誰に見られてもよいように、淡々と「たゞごと」のような書きぶりしかしていない。が、受け取ったほうには「秘めし意」がよくわかるというのである。知能犯ですな(笑)。かと思えば、たくさん来てはいても、こういう淋しさもある。「賀状うづたかしかのひとよりは来ず」(桂信子)。今年から、今日二日にも配達がある。「かのひと」からの賀状を期待している人は、内心ドキドキなのでしょうね。賀状は小さなドラマ台本だ。『俳句歳時記・新年の部』(1956・角川文庫)所載。(清水哲男)




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