mu句

February 1722005

 田は一代工高受験許しけり

                           藤井洋舫

語は「受験」で春。当歳時記では「大試験」に分類。身につまされる読者もおられるだろう。作者の父としての立場からではなく、かつて「受験」を許された子供の立場から……。「田は一代」とあるから、作者は根っからの農業者ではない。おそらく戦争で職業を失い、素人として農村に入り田を作った人なのだ。私の父もそうだったが、そういう人はたくさんいた。苦労した末に、やっとなんとか農業も軌道に乗り生活も安定してきた矢先のこと、てっきり後を継いでくれるものとばかり思っていた息子が「工高」を受けたいと言いだした。むろん作者は、息子がその方面に向いているかもしれないとは思っている。が、たとえ受験に成功しても、その後の人生は自分で切り開いていかねばならない。何も、手助けしてはやれない。が、農業を継いでくれればいっしよに働けるし、一人前になるのも早いだろう。おまけに、将来のそこそこの生活ならば保証されているも同然だ。だけれども、息子の意思は固かった。涙ながらに訴えられたのかもしれない。最終的には、息子を好きな道に行かせてやろうと決断したわけだが、しかしどうせ「田は一代」なのだとあきらめるまでには、どれだけの懊悩があったことだろう。このような親子は、とりわけて敗戦後十年くらいまでは多かったろう。私の友人のなかにも、高校受験を断念した者が何人かいる。いまでこそ中学の同窓会で会うと笑っているが、当時はきっと深夜に布団をかぶって、ひとり泣いたのだろうな。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)




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