ノ砺句

May 2052005

 信号をまつまのけんか柿若葉

                           伊藤無迅

語は「柿若葉」で夏。着眼点の良い句だ。まずは、シチュエーションが可笑しい。そのへんに柿の木があるくらいだから、そう大きくはない横断歩道だろう。信号を待つ人の数もまばらだ。そこへ「けんか」をしながら歩いてきた二人がさしかかり、赤信号なので足は止まったのだが、口喧嘩は止まらない。お互いに真っ赤な顔で言い争いつつも、ちらちらと信号に目をやったりしている。激した感情は前へ前へと突っ走っているのに、身体は逆に足止めをくっているのだ。その心と身体の矛盾した様子は、傍らにいる作者のような第三者からすると、とても滑稽に見えたにちがいない。しかも、周辺には柿の木があり、若葉が陽光を受けて美しく輝いている。こんなに美しくて平和な雰囲気のなかで、なにも選りに選って喧嘩をしなくてもよさそうなものを……。と、第三者ならば誰しも思うのだが、しかし当人たちにはそうはいかないところが、人間の面白さだと言うべきか。二人の目に信号は入っても、柿の木には気がついてもいなさそうである。口喧嘩を周囲の人たちに聞かれていることにすら頓着していないのだから、風景なんぞはまったくの関心外にあるのだ。すなわち私たちは、平常心にあるときは美しい自然に心を溶け込ませられるが、激したり鬱屈したりしていると、それはとうてい望めない存在であるということなのだろう。哀れな話だが、仕方がない。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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