介護施設の居住費と食費を保険給付から外し自己負担に。なんて薄情な「国家」なんだ。




20050621句(前日までの二句を含む)

June 2162005

 ああ今日が百日草の一日目

                           櫂未知子

語は「百日草」で夏。夏の暑い盛りを咲き通す、憎らしいくらいに丈夫な花だ。メキシコ原産と聞けばうなずけるが、それにしても……。もっとも、名前だけなら「千日草(「千日紅」とも)」というはるかに凄いのがあって、こちらは枯れても花の色が変わらないというから、なかなかにしぶとい。むろん千日も咲いているわけではなく、両者の花期はほぼ同じである。ところで作者は、かなりの夏好きだとお見受けした。咲きはじめた百日草を見つけて、「今日が一日目」だと思いなした気持ちには、すなわちこれからの長い夏への期待が込められている。まだ「一日目」だ、先は長い。そう思って、わくわくしている弾んだ気持ちがよく伝わってくる。似たような発想の句としては、松本たかしの「これよりの百日草の花一つ」を思い出す。だが、こちらの句には櫂句のようなわくわくぶりは感じられない。どことなく「これよりの」暑い季節を疎んでいるかのような鬱積感がある。静かな詠みぶりに、静かな不機嫌が内包されている。作者が病弱だったという先入観が働くからかもしれないのだが、同じ花を見ても、かくのごとくに截然と感情が分かれるのも人間の面白さだろう。二つの句のどちらを好むかで、読者のこの夏の健康診断ができそうだ。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003・邑書林)所収。(清水哲男)


June 2062005

 花氷うつくしきこゑ冷淡に

                           石原舟月

語は「花氷(はなごおり)」で夏。冷房が普及してからは、あまり見かけなくなった。草花などをなかに入れて凍らせた氷柱で、よくホテルやデパート、劇場やレストランなどに飾ってあった。通りがかりに、ちょっと指先で触れてみたりして……。句のシチュエーションは不明だが、どこかそうした場所での印象だろう。たとえばデパートで目的の商品の売り場がわからず案内嬢に訪ねたところ、「うつくしきこゑ」で教えてくれた。それはよいとしても、彼女の「こゑ」がなんだかとても「冷淡に」聞こえたというのだ。そう聞こえたのはおそらく、そこに「花氷」があったからで、なかったとしたら、単に「事務的に」聞こえる声だったのではあるまいか。それがひんやりとした花氷の置かれた気分の良い空間で、てきぱきと事務的な口調で、しかも「うつくしきこゑ」で答えられたものだから、つい「もう少し親身になってくれても」と思ってしまったというところだ。「うつくしきこゑ」は、うつくしいだけに誤解されやすい。それもたいていが、冷淡(そっけない)と受け取られてしまいがちだ。はじめて放送局のアナウンス・ルームに入ったときの、私の印象もそうだった。そこにいる人はみな「うつくしきこゑ」の持ち主で、みんながラジオのように明晰にしゃべっていて、私にはとてもついていけない浮世離れした世界に思われたものだ。慣れればそこもありふれた世間の一つにすぎなかったのだが、「うつくしきこゑ」たちの醸し出していた独特の醒めた雰囲気は忘れられない。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1962005

 悲壮なる父の為にもその日あり

                           相生垣瓜人

語は「父の日」で夏。六月の第三日曜日。母の日に対して「父の日」もあるべきだというアメリカのJ・B・ドット夫人の提唱によって1940年に設けられた。俳句の季語として登場したのは戦後もだいぶ経ってかららしく、1955年(昭和三十年)に発行された角川版の歳時記には載っていない。克明に調べたわけではないが、手元の歳時記で見ると、1974年(昭和四十九年)の角川版には載っているので、一般的になりはじめたのはこのあたりからなのだろう。その解説に曰く。「母の日ほど一般化していないようだが、徐々に普及しつつある」。定着するのかどうか、なんとなく自信のなさそうな書きぶりだ。現在の角川版からは、さすがにこの一行は省かれているけれど、比較的新しい平井照敏の編纂になる河出文庫版(1989年)でも、筆は鈍い。「母も父もともに感謝されてしかるべきだが、父の日は母の日に比べてあまりおこなわれないようである。てれくさいのか、こわいのか、面倒なのか、父はなんとなく孤独な奉仕者である」。したがって掲載されている例句もあまりふるわず、そんななかで、掲句は積極的に「そうだ、父の日があってしかるべきだ」と膝を打っている点で珍しい。現代に見られるように、父親と友だちのようにつきあうなど考えられず、ただただ存在自体がおそろしかった時代の句だ。そんな父親との関係とも言えぬ関係のなかで、一家を背負った父の「悲壮」をきちんと汲み取っていた作者の優しい気持ちが嬉しい。悲壮の中味はわからないが、戦中戦後の困難な時代の父親のありようだろうと、勝手に読んでおく。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)他に所載。(清水哲男)




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