@Y句

September 0592005

 桔梗の二夫にまみえて濃紫

                           阿部宗一郎

語は「桔梗(ききょう、きちこう)」で秋。秋の七草の一つではあるが,実際には六月頃から咲きはじめる。昔は朝顔のことだったという説もあるので、秋の花の定説が生まれたのだろうか。ところで、掲句がすらりとわかった読者は、かなり植物に詳しい人である。わからなかった私は、百科事典などをひっくりかえして、ようやく納得。「二夫(にふ)」は二人の夫の意味で、儒教に「貞女二夫にまみえず」の教えがある。たとえ未亡人の身になっても再婚しないのが女の鑑(かがみ)というわけだが、「桔梗」の場合はそうはいかないのである。そんなことをしていたら、子孫が絶えてしまうからだ。少し説明しておくと,桔梗の雄しべは開花後にすぐ成長して花粉を放出する。雌しべは、その後でゆっくりと成長していく。つまり同一の花の雄しべと雌しべの交配を避ける(自家授粉しないための)仕組みであり、雌しべは常に他の花の雄しべの花粉で受精することになる。「雄ずい先熟」と言うのだそうだが、すなわち桔梗の雌しべは「二夫にまみえて」はじめて子孫を残すことができるというわけだ。桔梗というと、私などには清楚で凛とした花に見える。が、こうした生態を知っている作者には、その「濃紫」がどこかわけありで艶っぽく感じられると言うのだろう。今度実物に出会ったら、じっくりと眺めてみたい。『現代俳句歳時記』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 0862006

 太刀持ちも雇えず殿様蛙鳴く

                           阿部宗一郎

語は「蛙」。春の季語とはされているが、夏にも大活躍しているので、この時期の蛙に違和感はない。言われてみれば、なるほど。「殿様蛙」と名前は偉そうでも、「太刀持ち」もいなければ従者のいる様子もない蛙だ。作者はそれをおそらく彼は零落した殿様であって、太刀持ちを雇う余裕もないので、ひとり寂しく、しかし威厳だけは保ちながら鳴いていると解釈したのだ。「ははは」と笑っては、殿様蛙に失礼だろうか。でも、この「鳴く」は、ほとんど「哭く」なのである。笑った後に、しんとした気持ちがこみ上げてくる。実際の人間の殿様にも、こういう立場に追いやられた者も、きっといたはずだ。それにしても、トノサマガエルというネーミングは上手い。英語では「Black-spotted Pond Frog」とまことにそっけないけれど、やはり日本人のほうが、蛙に親近感を持っていたためだろう。小さい身体のくせに、どっしりと構えた座り方は、たしかに殿様のそれによく似ている。太刀持ちを従えているとしても、十分にサマになる。世が世であれば立派な屋敷住まいの身であったろうに、それが何の因果で、真っ暗な田圃で鳴いたりしなければならないのか。そんなことを思ったところで、もう一度掲句に帰ると、作者は笑ってはいても、決して嗤っているのではないことがわかる。ところで、この機会にトノサマガエルのことを少し調べてみたら、関東平野や仙台平野には、トノサマガエルは存在しないのだそうだ。東京あたりでトノサマガエルと呼んでいるのは、正確にはトウキョウダルマガエルという種類で、トノサマガエルとよく似てはいるが、斑点や脚の長さが微妙に違うらしい。一つ、勉強になった。『魔性以後』(2003)所収。(清水哲男)


December 04122006

 白鳥来る虜囚五万は帰るなし

                           阿部宗一郎

者は1923年生まれ、山形県在住。季語は「白鳥」で冬。遠くシベリアから飛来してきた白鳥を季節の風物詩として、微笑とともに仰ぎ見る人は多いだろう。しかしなかには作者のように、かつての抑留地での悲惨な体験とともに、万感の思いで振り仰ぐ人もいることを忘れてはなるまい。四千キロの海を越えて白鳥は今年もまたやってきたが、ついに故国に帰ることのできない「虜囚(りょしゅう)五万」の無念や如何に。ここで作者はそのことを抒情しているのではなく、むしろ呆然としていると読むのが正しいのだと思う。別の句「シベリアは白夜と墓の虜囚より」に寄せた一文に、こうある。「戦争そして捕虜の足かけ十年、私は幾度となく死と隣り合わせにいた。いまの生はその偶然の結果である。/この偶然を支配したのは一体何だったのか。人間がその答えを出すことは不可能だが、ひとつだけ確実に言えることは、その偶然をつくり出したものこそ戦争犯罪人だということである。/戦争を引き起こすのは、いついかなる戦争であろうとも、権力を手にした心の病める人間である」。いまや音を立ててという形容が決して過剰ではないほどに、この国は右傾化をつづけている。虜囚五万の犠牲者のことなど、どこ吹く風の扱いだ。そのような流れに抗して物を言うことすらも野暮と言われかねない風潮にあるが、野暮であろうと何だろうと、私たちはもう二度と戦争犯罪に加担してはならないのだ。それが、これまでの戦争犠牲者に対しての、生きてある人間の礼節であり仁義というものである。まもなく開戦の日(12月8日)。『君酔いまたも征くなかれ』(2006)所収。(清水哲男)


June 0462007

 夏の月ムンクの叫びうしろより

                           阿部宗一郎

まりにも有名なムンクの「叫び」。血の色のように濁った空の下で、ひとりの人物が恐怖におののいた顔で耳をふさいでいる。つまり題名の「叫び」はこの人物が発しているのではなく、赤い空に象徴された自然が発している得体のしれない声なのだ。掲句はしたがって、この人物の位置から詠まれている。季語「夏の月」は、多く涼味を誘われる景物と詠まれているが、この場合は花札にあるような不気味さを伴ってのぼってくる月と読める。その火照ったような光を見ていると、まさにムンクの「叫び」が「うしろより」聞こえてくると言うのである。作者は兵士としてかつての戦争を体験し、長くシベリアに抑留された人だ。だから「夏の月」を見ても、いまだに風流を覚えるというわけにはいかないのである。「夏の月耳に砲声消ゆるなし」の句もあり、掲句の「叫び」は砲声も含むが、それよりも戦場に斃れた数多くの戦友たちの無念の声でなければならない。戦後六十余年、もはや多くの人には仮想現実のようにしか思えないであろうあの悲惨を、現実のものとして捉え返せという切実な「叫び」がここにある。『君酔いまたも逝くなかれ』(2006)所収。(清水哲男)




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