N句

September 2192005

 口下手の男と秋の風車

                           加藤哲也

句で「風車(かざぐるま)」は春の季題だから、掲句の季語は「秋」である。自画像だろうか。男が風車を手にしているのか、それとも傍らの人の手にあるのか、もっと言えば抽象的心象的な存在なのか。いずれにしても、秋風を受けて風車は軽快に回っているのだ。そして一方、男の口はといえば、軽快さとは裏腹にぼそりぼそりとしか言葉を発しない。したがって、ここで両者は一見対極にあるように思えるけれど、しかし天高き秋空の下に置いてみると、いずれもが季節の爽やかさとはどこかちぐはぐで、場違いな感じがする。お互いに季節から置き去りにされたような寂寥感が、読者の心をちらりとよぎる。そんな味わいを持った句だと思う。ところで、口下手とは一般的にどういう人の属性を指すのだろうか。たしかに世の中には、反対に良く口の立つ人もいる。私の考えでは、これまた対局にあるようでいて、そうでもないと思ってきた。自分の言いたいことを述べるというときに、前者はより慎重なのであり、後者はより状況判断が早いのである。だから話の中味については、どちらが理路整然としているかだとか、説得力があるかだとかは全く関係がない。状況に応じて、それらは口が立とうが下手だろうが入れ替わるものなのだ。よく漫才などでこの入れ替わりが演じられ笑いの対象になるのは、そこにこうしたいわば発語のメカニズムが極端に働くからなのだろう。だから中味的には、能弁で口下手な人もいれば、訥弁で巧みな人もいるという理屈になる。ちょっと議論が大雑把に過ぎたが、この問題はじっくり考えてみるに値すると思う。『舌頭』(2005)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます