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September 2292005

 足踏みの音の疲れし脱穀機

                           松倉ゆずる

脱穀機
語は「脱穀(だっこく)」で秋、「稲扱き(いねこき)」に分類。現在ではコンバイン一台で稲の刈り入れから脱穀、さらには藁の処理まで行ってしまうが、戦後しばらくまでの水稲農家の秋は大変だった。鎌で刈り取って乾燥させた稲を、今度は脱穀機にかけて稲穂から籾(もみ)を扱きとる作業が待っている。そこで活躍するのが脱穀機だ。私が子供の頃にはまだ足踏み式(図版参照)の脱穀機が多く、ドラムにつけられた金属製の歯の間に稲穂をはさんで下の板を踏むと、ドラムが回転して籾が落ちるという仕掛けであった。相応の力とコツを必要とし、子供にはとても無理だったけれど、当時の農業では唯一の「機械」仕事だったので、物珍しく眺めたことを掲句から思い出した。実際、大正初期に発明されたというこの脱穀機が、日本農業機械化の最初の機械なのである。なんでも自転車のスポークに稲がからまって籾が落ちるのを見ての発明だそうだが、真偽のほどは不明だ。しかしいくら機械だとはいえ、所詮は人力式のかなしさである。だんだんに疲れが出てきて,その「音」にも、句のように疲れがあらわれてくるわけだ。一日に脱穀できる量も知れていたので、さぞや毎日が辛かったろう。だから、この足踏み式に石油発動機を連結した装置をはじめて見たときには、子供ながらに快哉を叫んだものだった。昔から農作業を実地に体験した人の句の少ないなかで、作者のこうした句作は貴重である。俳誌「俳壇」(2005年10月号)所載。(清水哲男)


November 23112008

 自動ドア閉ぢて寒雲また映す

                           松倉ゆずる

動的に動くものに対して、わたしはなかなか慣れることができません。自動改札では、いくども挟まれたことがありますし、自動的に出てくるはずの水道も、蛇口の下にどんなに手をかざしても、水が出てこないことがあります。本日の句に出てくる自動ドアも、ものによって開くタイミングが異なり、開ききるまえに前にすすんで、ぶつかってしまうことがあります。それはともかく、この句を読んで思い浮かべたのは、ファーストフード店の入り口でした。つめたく晴れ渡った空の下の、繁華街の一角、人通りの多い道に面した店の自動ドアは、次から次へ出入りする人がいて、なかなか閉じることがありません。それでもふっと、人の途切れる瞬間があって、やれやれと、ドアは閉じてゆきます。そのガラスドアに、空と、そこに浮かぶ冬の雲の姿がくっきりと浮かんでいるのが見えます。やっと戻ってきてくれた空と雲も、早晩、人の通過に奪い去られてしまうのです。次にやってくる客は、自動ドアの中の雲に足を踏み入れて、店に入ってゆくのです。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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