ワ搭

January 1112006

 観覧車雪のかたちに消えにけり

                           五島高資

が降っている。それでも動いている「観覧車」を、作者は離れた場所から見上げているのだろう。こんな日に、乗ってる人がいるのだろうか。そのうちにだんだん降りが激しくなってきて、とうとう見えなくなってしまった。その様子を、迷うことなく「雪のかたちに」消えたと詠んだところに、作者のリリシズムが光っている。消えたとはいっても、遠くのほうでまだぼおっと霞んでいて、観覧車のかたちは残っているのだ。つまり、あくまでも観覧車はおのれの「かたち」を保っているわけだが、時間が経つにつれて降る雪と混然となっていく様子を指して、作者は「雪のかたちに消えにけり」と情景に決着をつけたのである。「雪」に「かたち」はない。しかし、このように「ある」のだ。そう言い切っているところに、句としての鮮やかさを感じた。観覧車といえば、高所恐怖症にもかかわらず、私が一度乗ってみたいのは映画『第三の男』に出てきたウイーンの大観覧車だ。オーソン・ウェルズとジョセフ・コットンが、これに乗って話し合う有名な場面がある。だから乗らないまでも見てはおきたいと長年思っていたのだが、実は十数年前に一度、スケジュール的に少し無理をすればチャンスはあったのである。所用でせっかくウイーンの駅で降りたのに、しかし疲れていたこともあって、またの機会にと断念してしまった。でも私には、もはやまたの機会はないだろう。あのときに行っておけばよかったと、何度くやんだことか。だいたいが私は「またの機会に」と思うことが多い人間で、大観覧車にかぎらず、けっこう見るべきものを見ないままに今日まで来てしまっている。要するに、勤勉でない性格なのである。『蓬莱紀行』(2005)所収。(清水哲男)




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