ヨ杜q句

January 1312006

 襖絵の虎の動きや冬の寺

                           斎藤洋子

の句を矢島渚男が「単純な形がいい」と評していて、私も同感だ。がらんとした「冬の寺」。想像しただけで寒そうだが、ものみな寒さの内に固く沈むなかで、ふと目にとめた襖絵の虎だけには動きがあって、生気にみなぎっていると言うのである。この生気が、いやが上にも周辺の寒くて冷たい事物を際立たせ、ひいては寺ぜんたいの静けさを浮き上がらせているのだ。襖絵の虎といえば、誰もが知っている一休和尚のエピソードがある。彼がまだ子供で周建という名前だったころ、その知恵者ぶりを足利義満に試される話だ。義満が聞いた。「周建よ、そこの屏風の絵の虎が毎晩抜け出して往生しているのだ。その虎を縛ってはくれないか」。「よろしゅうございます」と縄を持った周建が、平気な顔で「これから虎を捕まえます。ついては、どなたか裏に回って虎を追い出していただきたい」と叫んだという話である。少年時代にこの話を何かの雑誌で読んだときに、文章の傍らに虎を描いた立派な襖のイラストレーションがそえられていた。何の変哲もない挿絵だったけれど、それまで襖絵というと模様化された浪と千鳥の絵くらいしか知らなかった私には、衝撃的であった。こんな絵が自分の家の襖に描いてあれば、どんなに楽しいだろうか。虎の絵が寺や城の襖につきものとは露知らず、一般家庭の襖にも描かれていると思ってしまったわけだ。以来、襖の虎は我が憧れの対象になっていて、いまだにそんな絵があるとしみじみと見入ってしまう。掲句が目に飛び込んできたのも、そのことと無縁ではないのであった。俳誌「梟」(2006年1月号)所載。(清水哲男)




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