pY句

January 1612006

 寒柝や街に子供の声残る

                           両角武郎

語は「寒柝(かんたく)」で冬、「火の番」に分類。火事の多い冬季には火の用心のために夜回りをするが、その際の拍子木の音が「寒柝」だ。我が家の近辺でも引っ越してきた当座(もうかれこれ四半世紀前になる)の何年間かは、夜遅くに寒柝が聞こえてきたものだが、いつの間にか聞こえなくなってしまった。古くからの住民で作っている町内会の人々の高齢化によるものなのか、あるいはもはや夜回りは時代遅れという判断からなのか、いざ聞こえなくなってみるとなんとなく物足りなくて寂しい気がする。掲句は現代の句。作者は東京郊外の東村山市在住とあるから、私の住む三鷹市とはそんなに遠くない東村山では、寒柝は健在というわけだ。その寒柝がひとしきり鳴って通ったあと、街に「子供の声」が残ったと言うのである。実況なのだろうが、たとえば犬の声ならよくありそうだけれども、夜遅い時間の表での子供の声とは印象的だ。「残る」とあるので、寒柝といっしょにも聞こえていたに違いない。おそらくは「火の用心」と、子供も真似をして声を出していたのである。それが寒柝が去ったあとでも、まだ屈託なく「火の用心」とやっている。それにしても、こんな寒い夜中に、あの子(ら)は何故外にいるのだろうか。傍に、ちゃんと大人がついているのだろうか。そんな不安もちらりと頭をかすめて、作者はまた耳をこらしたことだろう。子供と夜。いささか不気味な取り合わせである。「東京新聞・武蔵野版」(2006年1月15日付朝刊)所載。(清水哲男)




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