ヘ閃q句

March 2432006

 夕辛夷ドガの少女は絵に戻る

                           河村信子

語は「辛夷(こぶし)」で春。日本全土に自生しているので、ソメイヨシノなどよりポピュラーだとも言える。東京辺りでは、いまが花の盛りだ。句の「ドガの少女」とは、有名な踊り子シリーズのなかの少女だろうか。あるいは、晩年近くに好んで競馬を描いたパステル画の流れのなかに、少女像があるのかもしれない。あるとすれば、パステル調のほうが掲句には似合いそうだ。ドガは印象派の中心的な存在として知られているが、しかし、他の画家のように明るい外光にさして関心を抱かなかった点がユニークだ。それこそ踊り子シリーズは室内の光で描かれたものだし、競馬の絵にしてもむしろ薄暗い外光で描かれていて、印象派一般のぱあっとした派手な陽光を感じることはできない。句の「夕辛夷」は、おそらくこのあたりのことを意識して選ばれた時間帯と季題なのだろう。夕暮れ時に高いところで真っ白に無数に咲いている辛夷の花は、まさにドガの好んだ心地良い照明そのものなのであって、明るすぎる昼間にはどこかに姿を消していた少女も、いつしか「絵」に戻ってくるのであった。すなわち、ドガの少女像は「夕辛夷」のような照明の下で最もその存在感を得るというのが、掲句の言いたいことだと思う。こんな屁理屈はさておいても、掲句には辛夷と絵の中の少女という意外な取り合わせが、実に自然にスムーズに溶け合った叙情的な美しさがある。作者は一方で長年自由詩を書いてきた人だけに、素材を選ぶ際の視野の広さも感じられる。『世界爺』(2006)所収。(清水哲男)




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