zq句

April 1442006

 いもうとのままに老いたり桜餅

                           平沢陽子

語は「桜餅」で春。塩漬けにした桜の葉の芳香が快い。家族のなかに、姉か兄がいる。だから、「いもうと」。だから、家族のなかではいつもいちばん若かった。何かにつけて、そのことを意識させられることも多かった。それが、どうだろう。若い若いと思って生きているうちに、いつしか「老い」の現実が、若い気分の自分に突きつけられることになっていた。老いが誰にも避けられないことはわかっていても、「いもうとのままに」老いたことに、作者はちょっと不思議な感じを受けたのだ。理屈ではなく、なんとなく理不尽な感じがしている。子供のころから姉か兄かと分けあって食べた「桜餅」を、あらためて懐かしいようなものとして眺めているのだろう。当たり前のことを当たり前に詠んだだけの句だが、じんわりと心に沁みてくる句だ。私ごとで言えば、私は長男だからいつも二人の弟たちよりも年上であったわけで、ずっと年長者意識はつづいてきた。だから、弟たちはいつまでも若いと思ってきたのだが、その弟の一人が還暦を迎えたときには、なんとなく理不尽な感じを受けたものである。これまた、理屈ではない。作者とは立場がまったく逆になっているだけで、受けたショックの質は同じようなものだろう。読めば読むほどに、味わい深い良い句です。しんみり。「詩歌句」(第九号・2006年3月)所載。(清水哲男)


June 1862013

 草刈女草に沈んでゐたりけり

                           平沢陽子

雨の晴れ間にやらなければならないことのひとつに庭の草むしりがある。雑草を根こそぎ抜くには、やわらかく雨を吸った土は絶好のコンディションである。草むしりの極意は、雑草の名を知ることだという。名を知れば、特性が分かりそれぞれの対処が可能になる。それにしても、行うまではあれほど億劫なのに、いざ始めると時間を忘れてしまうほど没頭してしまう不思議な作業である。茎から根をまさぐり、ずるずると引き上げる。草を排除しているというより、草や土とひとつながりになっているような感覚も、出来高が目に見える達成感も得難い。掲句の一心に作業する草刈女が刈り取った草のなかにうずくまる様子もまた、青々とした草いきれに包まれ、まるで草のなかから生まれたように見えてくるのではないか。『花いばら』(2013)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます