ヨ土句

April 3042006

 春落葉病めば帰農の悔つのる

                           斎藤惣弥

語は「春落葉」。「落葉」といえば冬の季語だが、これは春になってから木々の葉の落ちること。常磐木(ときわぎ)の古葉などが、ほろほろと落ちる。華やかな春に感じられる侘しさである。作者は一度農業を捨てて、都会で働いていた。が、何らかの事情があって、再び故郷に戻り農業に就いたのである。都会に出たのは、元来が病弱だったためかもしれない。それが一大決心をして「帰農」したのだったが、激しい労働がたたってか、病いを得てしまった。農業が体力勝負であることは、サラリーマンのそれの比ではない。とりわけて農繁期に寝込んでしまうようなことがあったら、季節は待ってくれないから、その年の前途は絶望的である。「やっぱり、俺に帰農は無理だったか」。悔いて事態が動くわけでもないけれど、焦る気持ちのなかで、ますます「悔つのる」ばかりだ。健康なときには気にも止めなかった「春落葉」が、我が身心の痛みに重なって見え、やけに侘しい。最近では「定年帰農」などとと言い、定年退職後にサラリーマンから農業に転ずる人が増えているようだが、この場合は病いも大敵だが、老いの問題もあなどれない。私の田舎の友人はみな農業のプロだけれど、老いに抗して働くことの辛さは相当なもののようだ。農作業が機械化されたとはいっても、たとえばその機械を山の上の畑に運び上げるのには人力が必要である。それが、加齢とともに苦しくなってくる。農業の楽しさばかりが語られる昨今だが、資本である身体の病いや老いについても、掲句のようにもっと語る必要があるだろう。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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