65歳以上の介護保険料、全国自治体の九割以上が値上げ。このシステムの自滅も近そうだ。




2006N430句(前日までの二句を含む)

April 3042006

 春落葉病めば帰農の悔つのる

                           斎藤惣弥

語は「春落葉」。「落葉」といえば冬の季語だが、これは春になってから木々の葉の落ちること。常磐木(ときわぎ)の古葉などが、ほろほろと落ちる。華やかな春に感じられる侘しさである。作者は一度農業を捨てて、都会で働いていた。が、何らかの事情があって、再び故郷に戻り農業に就いたのである。都会に出たのは、元来が病弱だったためかもしれない。それが一大決心をして「帰農」したのだったが、激しい労働がたたってか、病いを得てしまった。農業が体力勝負であることは、サラリーマンのそれの比ではない。とりわけて農繁期に寝込んでしまうようなことがあったら、季節は待ってくれないから、その年の前途は絶望的である。「やっぱり、俺に帰農は無理だったか」。悔いて事態が動くわけでもないけれど、焦る気持ちのなかで、ますます「悔つのる」ばかりだ。健康なときには気にも止めなかった「春落葉」が、我が身心の痛みに重なって見え、やけに侘しい。最近では「定年帰農」などとと言い、定年退職後にサラリーマンから農業に転ずる人が増えているようだが、この場合は病いも大敵だが、老いの問題もあなどれない。私の田舎の友人はみな農業のプロだけれど、老いに抗して働くことの辛さは相当なもののようだ。農作業が機械化されたとはいっても、たとえばその機械を山の上の畑に運び上げるのには人力が必要である。それが、加齢とともに苦しくなってくる。農業の楽しさばかりが語られる昨今だが、資本である身体の病いや老いについても、掲句のようにもっと語る必要があるだろう。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


April 2942006

 個展より個展へ銀座裏薄暑

                           鷹羽狩行

語は「薄暑(はくしょ)」で夏。初夏の候の少し暑さを感じるくらいになった気候を言うが、四月中旬ごろから「薄暑」を覚えることは多い。銀座は画廊の多い街だ。一丁目から八丁目まで、おそらく二百廊以上はあるのではなかろうか。とくに銀座裏の通りの一画には、軒並みにひしめいていると言っても過言ではない。そんなにあるのに、よく商売になるなと感心させられてしまうが、それほどに銀座は昔から、裕福な好事家や趣味人が集まる土地だったというわけだ。私のサラリーマン第一歩は芸術専門誌の編集者だったので、銀座にはよく通った。掲句のように「個展から個展へ」とネタ探しに歩き回り、若かったにもかかわらず、あまりの画廊の多さに辟易したことを覚えている。句の作者は、むろんネタ探しなどではなく、楽しんで見て回っているのだ。ひんやりとした画廊を出て、また次の画廊へと向かう。とりわけてこれからの季節は、この間の「薄暑」がとても嬉しく感じられる。おあつらえ向きに「銀座の柳」の新緑でも目に入れば、気分はますます良くなってくる。「画廊から画廊へ」と詠み出した軽快なテンポが、作者の上機嫌を見事に描き出していて心地よい。私だったら、しばらく見て回った後は、天井の高い「ライオン」の本店で生ビールといきたいところだけれど、このときの作者はどうしたのだろう。ああ、久しぶりに銀座に出かけたくなってきた。『地名別鷹羽狩行句集』(2006)所収。(清水哲男)


April 2842006

 学やめし汝が苗札のローマ字よ

                           古島壺菫女

語は「苗札(なえふだ)」で春。畑や花壇に種を蒔いたり苗を植えたときに、品種の名前を書いた小さな木の札を立てておく。最近はあまり見かけなくなったが、小学校などの花壇や農園には健在だ。どんなふうに芽生え、どんなふうに生長するのかを待ち受け、見守っているようで微笑ましい。掲句では、その苗札がローマ字で表記されている。作者は「学やめし汝(な)」の母親か姉だろうか。「学やめし」は「学」を放棄したという意味ではなく、家庭の事情で上の学校に行くことを断念したという意味だ。いつごろの句か不明だが、まだ猫も杓子も(失礼)が高校や大学に行ける時代ではなかったころの作句だろう。当人も勉強が好きで、周囲もできることなら上級学校に行かせてやりたいと思っていたのが、そうはならなかった。進学をあきらめて、家業の農業を継いでいる。それも、継いでからはじめての春だ。そんな彼の書いた苗札の文字は、みな横文字だった。でも英語や学名ではなくて、日本語表記でも構わないところを、ローマ字で書いてあったのだ。洒落っ気からではあるまい。すなわち英語などの横文字への憧れが、彼をしてローマ字で書かしめたとしか思えない。なんという「いじらしさ」。作者はしばし、苗札のローマ字をみつめ、目を潤ませていたにちがいない。「ローマ字よ」の「よ」に、作者の複雑な思いの全てがこもる。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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