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August 2082006

 稲妻や童のごとき母の貌

                           恩田秀子

語は「稲妻」、遠方で音もなく光ります。窓脇にベッドが置いてあります。病院の一室かもしれません。窓の外ではすでに、暗闇が深まりつつあります。ベッドに横たわる母親の顔に一瞬、窓の外から光が入り込んできます。その光に照らし出された老いた母親の顔が、子どものように見えた、とそのような句です。時の流れと、空間の広がりを、同時に感じさせる静けさに満ちた句です。母子の守り守られる関係というものは、気がつけば、いつのまにか逆転しているものです。時の流れとともに、子は成長の傾斜を上ってゆき、その傾斜のどこかの地点で、老いの傾斜を下ってゆく親とすれちがうのです。かつて、若く、いきいきと振舞っていた母親の姿が思い出されます。そのそばには、幼く、頼りなげな自分の姿があります。そのころを懐かしむ思いが、今は童のように見える母親の顔にかぶさってゆきます。「稲妻」という言葉は、雷光が稲を実らせるという信仰からきたものと言われています。つまり、光が稲の夫(つま)であるということです。そうであるならば稲妻とは、肉親の情が遠方から、はるばる光を送り届けているということになります。同じ作者の作品として、「母の日や童女のごとき母連れて」「残菊やなほ旺んなる母の齢」など。『俳句入門三十三講』(1986・講談社学術文庫)所載。(松下育男)


August 2082012

 いつとなく庇はるる身の晩夏かな

                           恩田秀子

惜しいが、私の実感でもある。若い人が読めば、甘っちょろい句と受け取るかもしれない。新味のない通俗句くらいに思う若者が多いだろう。だが、この通俗が老人にはひどくこたえる。「庇(かば)はるる身」はこれから先、修復されることが絶対に無いという自覚において、苦さも苦しなのである。「晩夏」は人生の「晩年」にも通じ、盛りの過ぎた「身」を引きずりながら、なお秋から冬へと生きていかざるを得ない。そういえば、いつごろから「庇はるる身」になったのだろうかと、作者は自問し心底苦笑している。自戒しておけば、庇われることは止むを得ないにしても、慣れっこになってはいけない。庇われて当然というような顔をした老人をたまに見かけるが、あれはどうにもこうにも下品でいけません。『白露句集』(2012)所載。(清水哲男)




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