t句

December 12122006

 雪女くるべをのごら泣ぐなべや

                           坊城俊樹

粋を承知で標準語にすれば「雪女がくるぞ男の子なんだから泣くな」とでもなるのだろうか。雪女は『怪談』『遠野物語』などに登場する雪の妖怪で、座敷わらしやのっぺらぼうに並ぶ、親しみ深い化け物の一人だろう。雪女といえば美しい女として伝えられているが、そのいでたちときたら、雪のなかに薄い着物一枚の素足で佇む、いかにも貧しい姿である。一方、西洋では、もっとも有名なアンデルセンの『雪の女王』は、白くまの毛皮でできた帽子とコートに身を包み、立派な橇を操る百畳の広間がある氷の屋敷に暮らす女王である。この豪奢な暮らしぶりに、東西の大きな差を見る思いがするが、日本の伝承で雪女は徹底した悪者と描くことはなく、どこか哀切を持たせるような救いを残す。氷の息を吹きかけるものや、赤ん坊を抱いてくれと頼むものなどの類型のなかで、その雪のように白い女のなかには、幸いを与えるという一面も持っているものさえもあり、ある意味で山の神に近い性格も備えている。さらに掲句には、美貌の雪女にのこのこと付いて行く愚かな人間の男たちへの嘲笑が込められているような、女の表情も垣間見ることができる。「雪女郎美しといふ見たきかな」(大場白水郎)、「雛の間の隣りは座敷童子の間」(小原啄葉)など、かつて雪に閉じ込められるように暮らしてきた人々が作り出した妖怪たちに、日本人は親しみと畏れのなかで、深い愛情を育んできたように思えるのだ。『あめふらし』(2005)所収。(土肥あき子)


May 1552007

 代田より這ひ来て吾を生せる母

                           小原啄葉

者は1921年、岩手県生れ。今よりほんの少し昔の農村では、農閑期に受胎し農繁期に出産することが多かった。そして10歳をかしらに5人の子供というような、すさまじい育児を繰り返してきたのだ。少子化とは何なのだろうかと今一度考えてみる。前回の国勢調査で出生率は過去最低の1.26人であったと発表されている。いわく子供を育てる環境が整わない、働く女性への配慮が足りないなど、不満や不安は限りない。しかし掲句を前にしたとき、それらの言葉のなんと脆弱であることか。代田とは苗を植えた際、発育が良くなるように田の面を掻きならす代掻きが済んだ田のこと。この作業はかつて非常な労力を必要としたという。産み月まで労働を強いられてきた女たちの過酷な日々を感じつつも、掲句には弱音を一切受け付けないようなほとばしるパワーがある。私を含め、出産や育児に対して気弱な女性が増えた昨今、大いなるエールを与えるには、政府が打ち出す「次世代育成支援対策推進法」や「教育再生会議」の親切めいた子育て指南でうんざりさせるより、過去の母親がなしてきた姿を見せてくれたほうがよほどこたえる。女たちはいつの時代も力強く子を生み、育ててきた。どんな時代であろうと果敢に挑戦せよと、過去をさかのぼる何百何千という日本の母親たちの手に触れたようなぬくもりと厳しさを一句に感じている。『平心』(2006)所収。(土肥あき子)


August 1282008

 山へゆき山をかへらぬ盆の唄

                           小原啄葉

仕事に行ったきり帰ってこない者を恋う歌なのだろうか。具体的な歌詞を知るために、まずは作者の出身である東北地方最古といわれる盆踊り唄「南部盆唄」から調べてみた。ところが、これがもうまったく不思議な唄だった。「南部盆唄」はまたの名を「なにゃとやら」と呼ばれ、「なにゃとやらなにゃとなされのなにゃとやら」と、文字にするのも困難を極めるこの呪文のような文句を、一晩中繰り返し唄い踊るのだった。しかし、元々盆唄とは歌詞は即興であることも多く、その抑揚そのものが土地へとしみ渡っているように思う。「なにゃとやら」と続くリズムを土地の神さまへ納めているのだろう。掲句の盆唄もまた、山を畏怖する土地に伝承されている唄と把握すればそれ以上知る必要はないのだ。抑揚のみの伝搬を思うと、今、やたらと耳につき、思わず口ずさんでいることすらあるメロディーがある。「崖の上のポニョ」。このメロディーもまた、やはりなにか信仰につながるような現代に粘り付くメロディーがあるように思い当たるのだった。〈草の中水流れゐる送り盆〉〈精霊舟沈みし闇へ闇流る〉〈あらくさに夕陽飛びつく二十日盆〉句集名『而今』は「今の一瞬」の意。道元禅師の「山水経」冒頭より採られたという。(2008)所収。(土肥あき子)


January 2412012

 いつまでも猟犬のゐる柩かな

                           小原啄葉

と人間の交流は1万年から1万5千年前にもさかのぼる。それまで狼と同じように群れを作り、獲物を仲間で追っていた犬が人間の食べ残した動物の骨などをあさるうちに、移動する人間に伴って行動するようになっていったという。現在の溺愛されるペットの姿を見ていると、人間が犬の高度な知能と俊敏な特性を利用したというより、扱いやすい生きものとして犬が人間を選んだように思えてくる。とはいえ、犬と人間の原初の関係は狩の手伝いである。優れた嗅覚と聴覚を持つ犬は人間より早く獲物を発見して追い込み、仕留め、回収することを覚え、また居住空間でも外敵の接近を知らせるという警備の役目もこなした。その律儀なまでの主従関係はハチ公物語などでも周知だが、ことに猟犬となると飼い主を狩りのリーダーとみなし、チームの一員として褒めてもらうことに大きな喜びを得る。掲句は主人が収まる柩から離れようとしない犬の姿である。通夜葬儀とは家族には手配に継ぐ手配であり、その慌ただしさで悲しみもまぎれるというものだが、飼い犬にとっては長い長い指示待ちの時間である。じっと動かぬ主人からの、しかしいつ放たれるか分らない「行け」という言葉を犬はいつまでも待っている。『滾滾』所収。(土肥あき子)


August 1482012

 新盆や死者みな海を歩みくる

                           小原啄葉

者は盛岡市在住。昨年の大震災に対して「実に怖かった」のひとことが重く切ない。掲句は津波で失った命に違いないが、生命の根幹を指しているようにも思う。海から生まれ、海へと帰っていった命の数にただただ思いを馳せる。迎え火から送り火まで、盆行事には愛に溢れた実に丁寧なシナリオがある。精霊馬にも水を入れた盃を入れた水飲み桶を用意したり、お送りするときにはお土産のお団子まで持たせる。今年は縁あって福島県いわき市の「じゃんがら」に行く機会を得た。鉦や太鼓を打ち鳴らしながら新盆の家々を廻る踊り念仏である。新盆は浄土からこの世へと戻る初めての道のりのため、故人が迷うことのないよう、高々と真っ白い切子灯籠を掲げる土地もある。お盆とは、姿が見えないだけで存在はいつでもかたわらにあることを思い願うひとときであることを、あらためて胸に刻む。『黒い浪』(2012)所収。(土肥あき子)


December 30122014

 生きてゆくあかしの注連は強く縒る

                           小原啄葉

連縄は神聖な場所と下界を区別するために張られる縄。新年に玄関に飾る注連飾りには、悪い気が入らないよう、また年神様をお迎えする準備が整ったという意味を持つ。現在では手作りすることはほとんどなくなったが、以前は米作りののちの藁仕事の締めくくりに注連縄作りがあった。一本一本丁寧に選別された藁は、手のひらで強く縒(よ)り合わせながら、縄となる。体温をじかに伝えながら、来年の無事を祈り込むように、注連縄が綯(な)われていく。『無辜の民』(2014)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます