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January 2212007

 家族八人げん魚汁つるつるつる

                           齋藤美規

語は「げん魚(幻魚)汁」で冬。幻魚は、日本海からオホーツク海の深海に棲息している。「下の下の魚」という意味から「げんげ」がそもそもの呼び名らしいが、昔はズワイガニ漁で混獲されたりしても、みな捨てられていたという。したがって、「げん魚汁」も決して上等の料理ではないだろう。食べたことがあるが、お世辞にも美味いとは言えない代物だった。身は柔らかいというよりもぶよぶよした感じで、骨は逆にひどく硬い。でも、これを干物にすると驚くほど美味くなるという人もいるけれど……。句は寒い晩に、そんな汁を大家族が「つるつるつる」と飲み込むように食べている図だ。大人たちは一日の労働を終えて疲れきっており、大きな椀を抱えるようにして、黙々と啜っている情景が浮かんでくる。ただこの句を紹介している宮坂静生が作者に聞いたところによれば、子供のころに食べた淡泊な味が忘れられないというから、作者自身は味や歯触りを気に入っていたようだ。だが、そういうことを考慮に入れたとしても、この句から浮き上がってくるのは、昔の貧しい家庭の夕食光景だと言って差し支えないと思う。寒い土地で肩を寄せ合うようにして暮している家族の様子が、さながらゴッホの「馬鈴薯を食べる人たち」のように鮮やかに見えてくる。宮坂静生『語りかける季語 ゆるやかな日本』(2007・岩波書店)所載。(清水哲男)


August 3182007

 その母もかく打たれけり天瓜粉

                           仲 寒蝉

ん坊が素裸で天瓜粉を全身に打たれている。泣いているか、笑っているか。いい風景だ。赤ん坊よ、お前に粉を打っている母もお前のような頃があって、そうやって裸の手足を震わせたのだ。時間の長さの中を、現実と過去とが交錯する。一人の赤ん坊の姿に多重刷りのように時間を超えて何人もの「赤ん坊」が重なる。たったひとりの笑顔に無数の「母」の顔が浮かびあがる。村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」。齊藤美規の「百年後の見知らぬ男わが田打つ」も同様。鬼城は百姓という存在の無名性を詠い、美規は「血」というものの不思議から「自分」の不思議へと思いを深める。三句とも「永遠」がテーマである。ところで、或る句会で、「汗しらず」と下五に置かれた俳句があった。汗を知らないという意味にとったら、これはひとつの名詞。天瓜粉のことであった。歳時記にも出ているので、俳人なら知っておくべきだったと反省したが、「天瓜粉」でさえ、僕らの世代でも死語に近いのに、「汗しらず」なんて使うのはどんなもんだろう。まあ、そんなことを言えば、「浮いて来い」だの「水からくり」なんかどうだ。「現在ただ今」の自分や状況を詠もうとする俳人にはとても使えない趣味的な季題である。『海市郵便』(2004)所収。(今井 聖)


March 1432008

 農地改革は暴政なりし蝶白し

                           齋藤美規

正十二年生まれ。昭和十七年から加藤楸邨に師事をした作者が、平成十九年の時点での自選十句の中にこの句を入れている。そのことに僕は作者の俳句に対する態度を感じないわけにはいかない。作者は新潟、糸魚川の地にあって「風土探究」を自己のテーマとして五十六年には現代俳句協会賞を受賞し、俳壇的な評価も確立している。「冬すみれ本流は押す力充ち」「一歩前へ出て雪山をまのあたり」「百年後の見知らぬ男わが田打つ」などの喧伝されている秀句も多い。その中のこの句である。一般的認識では小作解放という「美名」のもとに語られる事柄を、敢えて「暴政」と呼ぶ。敗戦直後占領軍によって為された地主解体による土地の解放政策を何ゆえ作者は否定するのだろうか。調べてみると解放という大義名分の影に、小作に「無償」で譲られた土地が農地として残存せず、宅地に転用され、そこで土地成金を生んだりした例もあるらしい。日本の農業政策の根幹に関わる疑問を、新潟在の作者は自己の問題として提起しているように思う。「風土」とは、田舎の自然を詠むことが中心ではなく、そこで営々と不変の日常を送る自己を肯定達観して詠むことでもなく、社会に眼を開くことを俳句になじまぬこととして切り捨てることでもない。まぎれもない「個」としてそこに在る自己の、憤りや問題意識を詠うこと。その態度こそが「風土」だと、自選十句の「自選」が主張している。『平成秀句選集』(2007)所収。(今井 聖)




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