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March 2432007

 輪を描いてつきゆく杖や彼岸婆々

                           河野静雲

岸明けの今日。手元の歳時記の彼岸の項には、この気候のよい時に彼岸会(ひがんえ)と称し、善男善女は寺院に参詣し、祖先の墓参をする、とある。また、彼岸、といえば春彼岸をさし、秋のそれは、秋彼岸、後の彼岸、という。彼岸婆々、は、ひがんばば、であり、彼岸会に来る信心深いお婆さん達、というところか。歳時記の彼岸詣(ひがんまいり)の項にあったこの句は、句集『閻魔』によると昭和八年の作。句集には他に〈腰の手のはだか線香や彼岸婆々〉〈みぎひだり廊下まちがへ彼岸婆々〉〈駄々走り来て小水の彼岸婆々〉など、彼岸婆々の句が多く見られる。作者は、時宗の僧職におられたということなので、どれも実際の彼岸会での光景を詠んだものだろう。掲句は、法要が終わって帰って行く姿である。足腰はもちろん、疲れもあって目もしょぼしょぼしているのか、探りながら杖をついているのだろう。それを後ろから、じっと見つめている作者の眼差しは温かい。生き生きとした描写の数々は、ときにおかしみを伴うが、その根底には、さまざまな苦労を乗り越えて生きてきた彼女達の怒りや涙をも包みこむ愛情が感じられる。それは、僧侶という立場を越えた、人としてのものだろう。ふと、彼岸爺とは言わないものか、と思い読み進めると〈ふところにのぞける経や彼岸翁〉とある。彼岸翁(ひがんおう)か、なんだか高尚な感じだが、つまらなく思えてしまった。いずれにせよ、善男善女とおおらかなご住職とそこに生まれる俳句、それほど遠い昔ではないのだけれど。『閻魔』(1940)所収。(今井肖子)




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