范イq句

April 1042007

 つぎつぎと嫁がせる馬鹿花吹雪

                           福井隆子

冷えが続いた陽気に、ずいぶん長持ちしたように思う今年の桜だが、花吹雪も一段落し、これからは桜蘂(さくらしべ)を降らす段に入った。桜は花を落としたのち、ひときわ紅く燃え立つように見えることがあるが、これは深紅に近い色彩の蘂があらわになるためだ。掲句に竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)」をふと重ねる。しづの女が母親入門の句であるなら、掲句は母親卒業の句である。しづの女は乳飲み子を前に母性から噴出する一瞬の狂気を描き、掲句は手塩にかけたわが子をあっさりと手放したあとの自嘲と諦観を詠んでいる。「馬鹿」と軽口めきながらも、そこには同時に健やかな巣立ちの喜びと誇らしさがあり、はらはらと散る桜の花びらが、長いお母さん業卒業の祝福の花吹雪にも見えてくる。母の強さはこの超然とした態度にあるのだと思う。元気でいてくれたらそれで結構、そんなおおらかな気分が母性の終点にはある。惜しみない時間を愛する子供に費やしたあとは、自分の時間をたくましく開拓していくのだ。まるで花吹雪のあとの桜が、一層力強く鮮やかな表情を見せるように。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)


August 1482007

 白蝶に白蝶が寄り盆の道

                           福井隆子

の行事は、先祖を敬うという愛情を芯にしながらも、地方によってその表現方法はさまざまである。数年前、沖縄県石垣島で伝統的な「アンガマ」を目の当たりにすることができた。旧盆の三日間、あの世からこの世へ精霊たちが賑やかに来訪し、きわめて楽し気にあちらの生活を語ってまわるという、いかにも南国らしい行事である。先頭の若者は、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)の面を付け、昔ながらの島言葉を操り、踊り歌いながら新盆を迎えた家々を訪問する。輝く月に照らされ、使者たちの行列は家から家へ、黒々とした健やかな影を引きながら未明まで続く。考えてみれば、お盆にこの世を訪問する死者とは、明るい浄土を成し得た幸せな者たちである。個々の悲しみはさておき、空中に浮遊する明るい魂に囲まれている楽しさに、思わず長い行列の最後尾に加わり、満天の星の下を歩いていた。掲句の白蝶は、ふと眼にした景色を写し取りながら、美しい死者の魂のようにも見せている。触れ合えばまた数を増やし、現世を舞ってゆく。句中に据えられた「寄り」の文字が「寄り代」を彷彿させ、あの華奢な昆虫を一層神々しく昇華させている。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)


September 1192012

 河童の仕業とは秋水のふと濁り

                           福井隆子

詞に「遠野」とある。ざんばら髪で赤い顔といわれる遠野の河童は、飢饉のむかし、川に捨てられた幼い子どもたちが成仏できずに悪さをしているという伝承もある。土地の語り部の話を聞くともなしに聞く視線の先に、川の水がふと濁っているのを見つける。信じるも信じないもない話だが、信じてあげたいような気持ちにもなる。哀れな運命をたどった子どもは確かに存在したのだろう。そして、それをしなければならなかった親たちも。時を越えて同じ水辺に立ち、同じ木漏れ日のなかで、強引に伝わってくるものがある。それは悲しみとも、恨みとも言いようのない、ただひたすら「ふと」感じるなにかである。河童といわれるものの正体は背格好といい、相撲を取るような習性といい、もっとも有力だといわれてきたカワウソも、先日絶滅が報じられた。心の重荷をときに軽くし、あるいは決して忘れることのないよう河童伝説にひと役かっていた芸達者が消えてしまったとは、なんともさびしいことである。〈秋天に開き秋天色の玻璃〉〈秋口のものを煮てゐる火色かな〉『手毬唄』(2012)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます