O句

July 1172007

 はつきりしない人ね茄子投げるわよ

                           川上弘美

出句を読んだ人は「これが俳句か!」と言い捨てる人と、「おもしろい!」とニッコリする人の両方に、おそらく極端に分かれると思われる。四年前に初めてこの小説家の句に出会ったときの私の反応は、後者であった。それ以来ずっと、この句は私の頭のすみっこにトグロを巻いたまま棲んでいる。いずれにせよ「はつきりしない人」は、男女を問わずいつの世にもいるのだ。私たちの周囲だけでなく、企業や団体・・・・いや、政治の場でも「はつきりしない/させない」人や事、あるいは「玉虫色のもろもろ」はあふれかえっている。それらには鉄塊か岩石でも投げつけなくてはなるまい。この句で投げられるのは、あの柔らかくて愛しい弾力をもった茄子だから、むしろ愛敬が感じられる。ジャガイモやトマトとは違う。ヒステリックな表情から一転して、茄子がユーモラスな味わいを醸し出している。口調はきついが、カラリとしていて陰険ではない。この人は「投げるわよ」と恐い顔をして威嚇しただけで、実際には投げなかったかもしれないし、投げつけたとしても、すぐにニタリとしてベロでも出したかもしれない。場所は茄子畑でもいいし、台所でもよかろう。「ひっぱたくわよ」ではなく、すぐ手近にあった茄子(硬球ではなく軟球のような野菜)を衝動的に投げつけようとしたところに、奥床しさが表われている。1995年から2003年までに書かれた俳句のなかから、「百句ほど」として自選されたうちの1995年の一句。同年の句に「泣いてると鼬の王が来るからね」がある。これまた愉快な口語俳句。「文藝」(2003年秋号)所載。(八木忠栄)


November 24112010

 たくさんの犬埋めて山眠るなり

                           川上弘美

季折々の山を表現する季語として、春=山笑ふ、夏=山滴る、秋=山粧ふ、そして冬は「山眠る」がある。「季語はおみごと!」と言うしかない。冬になって雪が降ると♪犬はよろこび庭かけまわる……と歌われてきたけれど、犬だって寒さは苦手である。(冬には近年、暖かそうなコートを着て散歩している犬が目立つ。)ところで、「たくさんの犬埋めて」ってどういうことなのか? 犬の集団冬ごもり? 犬の集団自決? 犬の墓地? 悪辣非情な野犬狩り? 犬好きな人が熱にうなされて見た夢? で、埋めたのは何者? ーーまあまあ、ケチな妄想はやめよう。句集を読みながら、私はこの句の前でしばし足を止め、ほくそ笑んでしまった。だから俳句/文学はおもしろい。たくさんの犬を埋めるなんて、蛇を踏む以上に愉快でゾクゾクするではないか。しかも、山は笑っているわけでも、粧っているわけでもなく、何も知らぬげに静かに眠って春を待っているのだ。あれほど元気に走りまわり、うるさく吠えていた犬たちもたわいなく眠りこんでいるらしい。だからと言って、殺伐として陰惨という句ではなく、むしろ明るくユーモラスでさえある。句集全体が明るく屈託ない。そして犬たちは機嫌よく眠っているようだ。弘美さんは犬好きなのだろう。この待望の第一句集十五章のうち、三つの章を除いた各章の扉絵(福島金一郎)に犬が描かれているくらいだもの。犬を詠んだ句も目立つけれど、「はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く」なんて、ふわりとしていて好きな句だなあ。よく知られた傑作「はつきりしない人ね茄子投げるわよ」も引いておこう。句集『機嫌のいい犬』(2010)所収。(八木忠栄)


January 2912014

 生き死にの話ぽつぽつどてら着て

                           川上弘美

ういう句に惹かれるのは、こちらが齢を重ねたせいだろうな、と自分でも思う。若い人がこの句の前で立ち止まるということは、あまりないのではあるまいか。(こんな言い方は、作者に対して失礼だろうか?)それにしても「どてら」(褞袍)という言葉は、一部の地方を除いてあまり聞かれなくなった。今は「たんぜん」(丹前)のほうが広く使われている呼称のようだ。呼び方がちがうだけで、両者は同じものである。『俳句歳時記』(平井照敏編)では「広袖の綿入りの防寒用の着物。江戸でどてらと呼び、関西で丹前と呼んだが、いまは丹前と呼ぶのが普通である」と明解である。雪国育ちの私などは「どてら」と呼んでいた。何をするでもなく、お年寄りが寄り合えば、生きてきた過去の思い出、先に亡くなった仲間のことが話題になり、おのがじし溜息まじりに明日あさってのことを訥々とぽつぽつ口にのぼせながら、うつろな目つきで茶などすすっているのだろうか。「どてら」はお年寄りにゆったりとしてよく似合う。どことなくオシャレ。ここは「丹前」でなくて、やはり「どてら」だろう。弘美の同時発表の句に「球体関節人形可動範囲無限や海氷る」という凄まじい句がある。句集に『機嫌のいい犬』(2010)がある。加藤楸邨の句に「褞袍の脛打つて老教授「んだんだ」と」がある。「澤」(2014.1月号)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます